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新世界秩序(ニューワールドオーダー)

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新世界秩序(ニューワールドオーダー)

ネット上の陰謀論、暴露、裏情報の論点は、ここに集約されている、かつての世界金融支配体制を具体化しているだけだが、それに対しての、オキュパイ、反核、etcの世界的動きはあるが、インターナショナルな、社会主義とは違った、新しい形をどのようなものにするかは見えてこない、絶望してはいられないから、キルケゴールのような、対キリストの絶望ではなく、生存を危うくされるところの、抹殺されるところの、絶望だから、絶望し、死んでいられないのだった、
核に対して、人間は戦い続けることだろう、存在を侵されるなら戦うしかないのだから、それこそ無の上に私を置く以外にないのだった、世界の本質、陰謀、謀略、どうでもいいことではあったが、世界は着実に、本質に向かって加速している、近代とは、新世界秩序の歴史でもあった、
キルケゴールは、神に目覚めない人間が絶望だと定義、私は神ではなく無に目覚めない人間が絶望だと、有から、進歩、発展、利益をと、近代を引き継いで生きている、そこに絶望の概念はない、TPP、秘密保護法、安保法制、憲法改正、etcについて、私は、君はどうするのかを問うているだと、戦うのか、戦わないのか、それが決められれば、どうでもいいこと、核も、原発も、死も、君はそれに対してどうするかを問うているのだと、人類絶滅に対し、その意味をどうとらえるか、そして、どう生き、どう死ぬのか、それが決められればどうでもいいこと、私は戦わない、私は殺される方を、核に対しては、絶望を生きることを、死はいつ訪れてもいいように、楽しんで生きる、これで決まっているのだと、

●続原発日誌は第2部を完成させること、テーマは実存という領域、人間が最も人間的な人間だけの領域、そこに生も死も、全てであることの、過去の実存のモチーフ、ガードレール下の花束、井田病院での屋上のガラス窓、丹沢キャンプでの焚き火、などのような、私の実存の領域を探り、短編連作にすること、700枚程で、
●私のツァラトゥストラを完成させる、当初の構想どおり、鴨長明から始めて、全思想を絶望主義から語ること、
●絶望主義のテーゼの100の構想を書き継いでいく、これをもって私のレイトスタイルとする、
●あと12年、80歳迄の余命と決め、やりぬくこと、

実存という領域

病後、妻との会話では、70歳までは生きていて欲しいだったが、その後75歳まで延長されたのだが、3.11を体験し、私自身に希望が生まれ、80歳は生きて作品を完成させたいという、あと12年ある、これに費やして生きたいと、希望とは私自身であることの、私とは精神であり、存在であることの開明を、

人を生きることの、

75歳まであと7年と考える、この7年こそが、私の実存という領域、助かった命を、あんなに考えたかった、味わいたかった私の時間、絶望に対する私の実存、絶望をも含む、この時という領域のことを、
実存という領域とはどういうものか、感じているのだが、言葉で表そうとすると、ただの情景になってしまう、かつて、梶井や、内田百のような、非日常的情景の中に感じ、そのような方法で表そうとしたが、小説スタイルで表したとき、失われていると今は感じるのだった、物語性と虚構のもつ現実との乖離、卑小さを感じるのだった、梶井の世界、病者の情感だが、今や世界は2人に一人がガンに、カフカの不条理も、現実の世界は何百万人という難民の、すさまじい不条理が、内田百の世界も、日本的叙情の迷宮のような、映像が言葉を越えて見せてはいるが、言葉がやれることとは、それらへの私の思い、感情だけが私のリアリティーを支えることに、
私の実存とは何かを探ること、これが絶望への答えとなるはず、今、3.11から4年を経て、シュティルナーを背景に、地球の未来さえも無化して、私という実存を、

陰謀論

真実がどうであっても、世界のそうした見方、考え方をどうとらえるかが問題、弁証法という考え方から私が階級意識をもったように、陰謀論といわれるものから何を形作るかということ、私は世界をオプチュミズムではなく、絶望ととらえ、そこからの希望を考えているのだった、Tは陰謀論は人生が変わるほどのことだから、真実を知りたいと、私はいくつかの例をあげるのだが、結局手探り、人類は月に行っていない、世界統一政府、金融支配など、Tはつかめないのだった、科学や専門知識が必要だし、歴史も、資料が必要だし、例え証拠や、証言が為されても、一般人にはそれらから遠ざけられており、過ぎてしまったことへの、未だ起こっていないことへの、見方、考え方に過ぎないと、真実にはたどり着けないのだった、ただ陰謀論が言わんとすることは、世界は有史以来、権力者によって支配、構築されており、政治、経済は彼らの利益のために行われているということ、そうした世界に絶望している者らは、虚無、無力から、疑いなく陰謀論の見方、考え方を首肯する、そして世界を冷笑している、と、

ドストエフスキーのギロチン体験は、彼の文学を変えた、ベートーベンの聾の体験、カフカはミレナとの、キルケゴールはレギーネとの、サルトルは軍隊でのと、私は癌で、そして3.11で世界への幻想を切断されたのだった、それ以前は共同幻想として、国家や、社会、文化に依存した理想思考を自然なこととして、しかし、それらが幻想であったことが、核をとおして、決定的となり、絶望主義へと、以来、破滅も調和もせず、希望も絶望も抱かず、では居られなくなつたのだった、その上で考える希望、意味であるのだった、絶望しているから、世界の理想を肯定するか、否定するかの二項対立ではなく、絶望からの肯定、または無化によって、新たなる私へと、多くは肯定の中に、幻想の回復へと、せっかく死ぬのだからとある医者が言っていたように、諸行無常の中に、絶望の肯定の中に、肯定して味わう、命の向日性、肉体の向死性に任せて、若者たち、世界の構造、人間の本質を絶望と見ているのだった、真実や、理想が何ほどの役割をもつなど考えたこともない、私個人で、一人の人間を生きているだけ、世界は私対世界で構成されているのだった、

安保法制可決

権力者による、権力者のための戦争法案が決められていくことの、秘密保護法から始まって、戦時体制のような法律が次々と決められていく、それらに怒る市民と、無関心の市民と、原発再稼動も、反対者と、賛成者、無関心と、何故に賛成、無関心なのかを、
原発を現代の未来に対する罪だと、誰も言わない、罪を認めない、戦争は国家犯罪だと、誰も言わない、罪を認めない、システムとしての支配体制が完成形に近ずいている、世界の金融支配、核の支配、それらに軍産学マスコミ、学者、政治家、と利権、人脈が網の目のように張り巡らされ、が、システムといえど個人の集合であるのなら、その個人を問題として追及、裁かねばならない、国家のためだから、命令だから、と責任を転嫁する個人を問題としなければならない、新たなる私とは、個人としての責任をもつ人のこと、

絶望を武器に、絶望を通して世界を見ることの意義

「地下生活者の手記」が今わかる、幻想から絶望へ、理性から実存へと、陰謀、謀略と聞いて否定する者の心は、人間への、社会への幻想、理性がそうさせている、または、生物的、他者への無関心が、リーダーに民族主義者はいるが、無政府主義者はいない、理想主義者はいるが、ペシミストはいない、これが政治で右も左も、同床異夢ということ、理性主義による、合理主義による世界システム、これらから世界を絶望ととらえる自明は生じる、理想で生きた65年、残りは絶望で生きよう、シュティルナーは創造的無というが、私は破壊的無、人間の文化総体を否定しよう、人間の核への絶望は、この文化の集約であるのだから、かつて「努力」という字には不思議なエネルギーがあると、小4の時、詩に書いたが、ソクラテスのパトスに、汝自身を知る努力の何と空々しいことか、核の前の自己卑下にしか過ぎず、社会主義に、共産主義に、何と青春の幻想であったことか、

私を無の上に据えるとは

私をこそ有意味に、体系、真理、正義、民族、神といった、価値の前提、知識、意識を排除するということ、現象学的な排除ではなく、絶望という絶対無の上に、私を置くということ、絶望を通さなければ、現象学といえど、観念論に過ぎず、現実という絶望からは逃げられない、現実を絶望規定するとは、死と同じように事実であり、進行中の出来事であるということ、核汚染、核戦争を宇宙現象のように自明なこと、そこには死すまでの、絶滅までの生というものしかなく、命は死すまで私の個の命、そして絶滅迄の種としての人の命を生きていることには、太古より変わりはない、だが、個においては死生学があるように、今や、命全体の絶望学が必要である、個人においては、死生学でよいだろう、そこに絶望学をいれてもよいだろう、大事な点は死生学を含む、絶望という現実認識であるのだった、
核とはアプリオリに作られたイデアであり、生命力である、内なる天皇制であり、集団的、依存性であり、生得である、だからこそ絶望という、汝死を忘するべからずと同じように、意味であるのだった、絶望を忘れず、絶望から考える、これが絶望そのものの力であるのだった、

絶望に対しては、絶望で対することこそ意味であった、キルケゴールの神の下の絶望ではなく、核、放射能、科学の、現実における絶望こそ、一切の救いを求めない、理想、希望しない、絶対無の生、思考となるのだった、
徴兵が来たとする、その絶望を通してのレジスタンスとなるだろう、癌になったとする、その絶望を通しての味わいとなるだろう、あらゆる困難は、命の絶滅までのバリエーションとなるだろう、ニィチェといえど、観念、形而上の絶望、ニヒリズムに過ぎず、現代とは、現実の、自明の、不可避の絶望を通した、ニヒリズムであることの、







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