人間の死と歴史 自らの死を省みることもなく、人は後世へと何事かを伝えんと生き、死んで行った歴史である、種としての破滅、文明の破滅があろうとも、それらに捉われることなく、永続するものとして、伝うべきものは最後の一人までと、何事かを為して行こうとする、個を超えた種としての人であろう、文化の営為がそうした流れのように、流れている、何事かの深さであったり、別の見方であったりとか、私の関心はその流れそのものへの批判があるのだった、人の種としての宿命のような、進化と発展というような、真善美、自由平等博愛といったような、文化芸術の流れそのものに、 絶望を通して希望にいたる、自明にいたる以外に無い現在という地点に至って、何の意味がと、批判と拒否の感情が沸いて、只、自らで作る考えしかないのだと、 新たな見方を 二律背反、二項対立の視点から、私対世界の唯一、一元的視点へと、が、今また癌宣告の時と同じような、私が私になってしまっている、新たな視点とは、癌を私を、私で以って見る視点、私を諦観する視点、それこそ世界の破滅を受容する視点、全てを見ること、善悪、陰謀、階級構造、etcなどではなく、まもなく世界が終わるんだという視点、間もなく我が生命も終わるんだという視点、それが私対世界の唯一者としての視点、 高史明の親鸞 子を12歳で自殺で亡くし、子の死を通して、思索を歩んできた高史明が、今親鸞を、仏教を称えている、核に反対が、親鸞依拠で受容することとなる、核に先人の答えは無いのだ、核を知らないのだから、答えで解決は無いのだから、教えではないのだから、覚悟、絶望の覚悟だけなのだ、過去にも未来にも答えは無いのだった、有るのは只今だけ、 去る者へ 悲しむ、悼むのではなく、最後の言葉、輝き、挨拶を求める、視点の必要、地球の破滅へ悲しむ悼むではなく、失われて行く故の美、存在の驚き感謝、S、SN、O、Hにこのことを提示できなかった、憐み、諦め、切断、一体の意味と別れへの共感を持てなかった、死に、人の死に際し、この感情をこそ求める、自ら刻々の時への、存在への共感と別れの挨拶、新しき人の視点、抗がん剤を拒否し、自らで癌に立ち向かう人の中に在る視点、これこそが核に対する人の態度となるだろう、人の本能、邪欲は今や去り唯在るだけとなった者においてのみ、新しき人は可能、 全人類がPuが故に、全員糖尿病、膵臓癌となる未来、新しき人の新しき共同体が、未来共産社会が誕生するだろう、自由も理想も、正義も、真理も、神も、政治も全て終焉を迎えるだろう、新しき人と新しき社会において、 フクシマ、熊本 何十万人もの不幸が、何十年、百年単位で襲う地震災害の国に住む不幸、まるでシシュフォスの神話のように、崖から突き落とされる人々、 世界の、歴史の シリア、中東、アフリカで、否、世界中で繰り返される不幸、有史以来の人の歴史の、その数、地球人口の半数に及び、人存在とは不条理が本質と、 一日の深さとは 未だ癌でない一日 未だ地震が来ていない一日 未だ親戚、友人が死んでいない一日 未だ再度の原発事故が起きていない一日 こうした一日の計り知れない喜び 草木と人と空と物の存在に酔いしれる 緑は緑に、人は人に、空は空に、曇りなく私の瞳に飛び込んでくる この命の本質の姿の一日が一日というもの この一日の中に今日も在ったということ、 この記憶は忘れ得ぬ記憶 一日の深さの記憶 一日の深さ、重さを、思索し求めた人生、定職には就かず、書きたいものを書き、個人誌を自ら印刷し、不特定者にブログ発表し、70歳を迎えている、後悔は無いし、遣り残していることも、遣らねばならないことも無い、いつ死んでもいい一日の味わいの中を生きている現在、一日の深さ、重さは、どうでもいいことに、 リルケ、文学、実存哲学、社会主義、常任活動、自由業、デキンソン、森有正、どれも 人生の重さ、深さを求めてであった、重さは癌を患って初めて解った、深さは原発事故を体験して、思想の軽さ、文明の脆さ、人間の愚かさ、どれも原発というものの深さを通して知る事となった、原発が全世界を覆すほどの深さを持った存在だとは、原発の深さを基にすれば、全てのことは浅薄な、無きものに等しい存在、 無の上の有 ファシズムを、反動を、戦争を、貧困、名声を、才能を、恐れることも、羨む事も無い、核汚染とは、これら全ての人の営為を無化しているのだから、全て無であるのだった、この無の上に有は在るのだった、しばしの、幽けき、束の間の、虚構の、夢の中の世界のような、世界は無に覆われているということ、この星の無、無の中の一瞬の営みに過ぎず、欲しいものも、やりたいことも、食べたいものも、行きたいところも、会いたい友も、見ておきたいことも、書いておきたいことも、書かねばならないことも、何も無くなった、只、私という有だけとなった、 ロシアのキツツキ 共産党が、共産主義が、革命がもたらした全体主義、官僚システム、理想主義における悪貨の襲来、1917年ロシア革命から百年、独裁、個人崇拝、秘密警察、収容所列島、核開発、可知論的自然破壊、芸術の硬直、あらゆる弊害を発生させた、人間の理想主義の幻影、チェルノブイリの事故も、失政の隠蔽、人民無視による人為、陰謀説も、すざましいKGBの暗黒社会、エリート主義の差別社会であったことの、それらを知っていて未だかつての幻想を持っている思想というものへの、人間の不確かさ、ひ弱さ、思想などの集団思考ではなく、個人を生きることこそが、絶望に抗する死の行進から逃れる方法だろうに、歴史の真実ではなく、歴史の欺瞞、常に創られたものとしての歴史であることの、 癌 がん巣の場所が特定されれば、切除が確実だが、体力の低下が手術には伴う、だとするならキラーT細胞、マクロファージ、白血球を増殖して、がん巣に注入、包囲して、時間をかけて、癌を死滅させていくのがベスト、それこそが癌との共存だろう、何故こうした治療法が開発研究されないのか、ips、スタップ細胞以前に、ただの免疫細胞の増殖だけの方法、抗がん剤が短命、無効とわかっているのに、手術で取りきれなければ倍増して行くがん細胞では有るが、増殖させないで共存又は縮小させて行く方法、免疫療法でもすり抜け増殖していくのが癌細胞ではあるが、抗がん剤治療しかないと言われ、友等の誰もが抗がん剤を、そして半年もしないで死に、選択肢の無い癌治療、抗がん剤治療は大いなる利権構造のシステム、拒否しない限りは、毒を盛られ続ける、 今日の夢 ブンがヒラメになっちゃって、どこかの水族館で飼われているの、半ば死にかけているが、私が行って抱いてやると、ヒレをヒラヒラさせて答えるの、私を判ってヒラヒラさせているのか判らなかったが、私はブンを感じてもっと良い所へと、で、隣にあった広い水槽へ誘おうとしたら、そこには大きなサメのようなものがいて、これはダメだと思い、急いでまた他ヘ移ろうとしたら、サメが追っかけて来た、で、ブンと一緒に水槽をよじ登ってサメから逃れた、安全な水槽を探して水族館をさ迷った、途中ブンが苦しそうだったので、布にくるんで水をかけながら運んだ、水槽は見つからないまま眼が覚めた、 ブンの力なくヒラヒラとヒレを振っていた感触がまだ手に残っている、犬というものの存在、十年たっても変わらず、あのひたむきな信頼は、色あせることなく思い出せる、人と動物との幸せな記憶、
↧
人間の死と歴史
↧