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戦前のドキュメンタリー映画

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戦前のドキュメンタリー映画

そこに生きた人間群の悲哀、語り継がれるものも有るが、圧倒的多数の無、世界大戦では6年間で世界人口の2.5パーセント、8500万人が犠牲となったという、どのように生きても、現在地点からすれば無である、草木の、動物の生命も、現在という姿で有るばかり、かつてこんな姿であったであろうとは知れるが、進化という現在であるばかり、人間もかつてネアンダール人であったということなだけ、現在のこの脳の大きさを持つ生物になっているというだけ、

タルコフスキーに習うなら

絶望した主人公を、救済、喜びに満ちた状態に、どのようにしたら良いかを、信仰のように問うこととなる、神がいないとしてきた主人公が、神を見る、知ることとへと、これらが小説で成功したとして、現実の私が主人公となるということ、書いたという充実はあるが、現実は違うという、神ではないのだった、
現実、絶望の肯定、受容であるだけ、人類全体が、核の下で、汚染の中で生きているのだった、

核も癌も肯定するなら

人間の愚かさとして、核汚染、その結果としての癌、他の病死があることの自明、それらを人間は肯定しているのだから、人災も自然災害と同じように、仕方がない、調和のために為されているのだと、私があの日40歳で死んでいたなら、それだけの命であり、学徒での兵士が20歳で死んだ命であり、日本という、国家という、戦争という自然であるのだと、カフカの「審判」はまだ人為によって、見える形での撲殺であり、現代の死は未必の故意によるジェノサイト、核汚染から3世代目の現在、今、助かっていても、10万年に及ぶ、ホモサピエンスの歴史より長い、DNAへの損傷、変異、蓄積、最早絶望というより、必然の自然法則と、人間の宿命として捉えるしかない、

人間を生きるということ

世界がどのようであっても、唯一者の私を生きること、寿命は体に任せ、私という精神は、唯一者としての命を生きている、絶望と、唯一者、これだけが人の証となる、

恋愛のエチュード

思いつめた、言葉に出来ない、感情だけが押し寄せ、美しいもの、人生の全ての出発点、初めて見出した、感じられる世界、瞳、つぶらな漆黒の淡い光を放ち、語らない、戸惑い、恥じらい、憧れと、瞳こそ言葉以上の表現、この世界に汚れ無き者として、未だ侵されず誕生している、私が見つけたもの、君自身でさえ知らない、原初の美、男を見るときの、女同士、話に興じるときの、本に目を落とすときの、瞳は生まれて初めて見るものとして、見開かれ、見つめ踊り、潤い、初々しく光る、君の瞳をいつまでも見ていたいと、そして私と目を合わせて欲しいと、一度だけ合った瞳と瞳、見つめる私に、偶然の出会い、瞳が語っていた、何?、アレ?、エッ?と、私の瞳を読み取って、忽ち瞳は隠された、以来、私と瞳を合わすことはなくなった、私は見つめるだけ、君の瞳は、君の瞳、誰に注ぐことも君の自由、その瞳の美しさは、誰をも魅了する、が、その美しさは私が最初に見つけたもの、私の視線を吸い取って、育つた花、未だ誰のものでもなかったが、野路に咲く花のように、私と出合って、開花したもの、私の心が浄化されたように、君の瞳が持つ、貴女の力を忘れないで欲しい、

天皇制と憲法改正

辺見が、天皇、スメラギ、虚構と、生前退位、象徴やらと、騒ぐヌッポン国と、お気持ちの、お肝血の、と、世に倦むが、天皇は安倍の憲法改正を憂い、生前退位をこそと、その上で象徴としての天皇制を維持しろといっているのだと、天皇には、万葉集に、古典文学に、登場する者としてのものであったが、近現代において、天皇制という、天皇という、それらが中世の領主と農民のような、封建を維持し、形作るものとして作用し、嫌悪しか持たなかったが、人には、誇りや、権威や、伝統、神聖やらが必要であり、国が、民族宗教が、それらを果たし守ってくれるものとして、守り、支え、維持してきたもの、何故にと問えば、日本人であるからと、現代の防人を人は生き、マイナンバー制、秘密保護法、共謀罪、安保法制、憲法改正と、国民精神、国防、愛国と、

競うことのつまらなさ

将棋で、トランプで、卓球ぐらいが、私の競いの体験ではあるが、遊びで、楽しみのことで、優越を持つようなものではなかった、勝ったとの快感は、途中までのことで、その後には失われた記憶だけ、つまらぬ時を過ごしたとの、テストでの高得点を競った小学生時代、解らないこと、出来なかったことへの自責は常にあり、予習、復習にと励んだ、記憶に過ぎなかった学習ではあったが、自分に対して競ってはいた、この競いには、終わった後も、世界への理解と、興味を持続させ、学ぶ意味となった、それは現在も持続している、スポーツで観るのはサッカー位だが、常にスポーツが、身体的、技術的優劣が結果となり、詰まらなくさせる、劣ったものが競った時に有る共感は、快感では有るが、そのハンディを克服する為に費やされた時の空しさを思ってしまう、文化芸術にしても、競いや、意図を又は労働を見るとき、スポーツと同じ空しさを思ってしまう、言葉を弄することへの空しさを、人生とは弄するものではないのだから、

人生とは何であったのか

あらゆる文学作品の世界、描かれた人物、その人物の感情、映像、科学で知った知識の世界、それらを直接、間接に体験をしてきたということ、それらの記憶が立ち止まれば甦り、何かを思索すれば、ひも解かれる感情、人生とはこうした記憶の総体、生きたという時間の長さの感覚は、ついこの間のようだが、味わった体験、知識はもう充分というような、

○空虚感はない〜妻子、文学で充たしてきた、
○自己実現はした〜妻子、文学が自己実現であった、
○快楽主義であろう〜自己の喜びのために生きてきた、共産主義の運動であっても、自己解放のためであった、
○利己主義であろう〜自分のために生きてやったという、対自感情、
○人生に価値はない〜何かの為、目的のために人生を歩んだのではなかった、大学も、文学賞、小説家になることも、目的とはしなかった、一般的な価値ではない、人生それ自体に価値を見出していた、
○実存というもの〜生きていることの不思議と、そのことだけで喜ぶ心が常にあった、
○悟りというもの〜達観を求めたことはない、迷いをこそ楽しんだ、
○隣人愛、夫婦愛、家族愛〜愛に使命感や、ことさらなものを持たなかった、自然な心のままの、欲求のままの愛であった、
〇克己、情熱〜どのような希望も、私の生い立ち、境遇にあっては、求められるものではなかった、足るを知るで充たされた、

唯一者と新しき人

唯一者に対する共感は、社会国家に依存、責務を伴わない、個の人生を歩みたいとする、自尊、自律の性格から来ている、だとするなら、社会国家に絶望などしなくとも良いものなのに絶望しているとは、自らの中に、依存、責務を認めるからであろうか、又は依存、責務からの決別、解放を求めてであろうか、3.11以降、絶望感と解放感とが両面あった、多く作家の中に有る、対社会に対する否定感情には、社会国家の疲弊、崩壊の時に、開放感となって現われる、M氏が横浜空襲を見ての、ざまあみろのように、太宰も安吾そうであったろう、が、世界ではどうだったか、ドストエフスキーの中の、国家社会への考えは、あくまで対置するものとしての、ソルジェニーツィンであっても、向き合い抵抗して行くものとして、日本的絶望、諸行無常的絶望のように、世界に、社会国家に対置、反抗がない、個的に不条理を受容し、自己完結へと、国家社会が私において、外なるものであるとの、日本的な唯一者意識がそこには働いている、諸行無常が遁世となるだけではなく、病者感覚のような、生きるも死ぬも1人という、疎外も不条理も、自然であるといった、時という唯一性を生きることを至上とする世界観で、かつて近代の超克、敗北の文学、私小説という矮小化されてきた、否定的なものが、3.11という、核汚染という世界の絶望を見据えた時に、救済になって行くのではないのかと、そうした唯一者こそが新しき人として、世界が求める時代にあって、日本文学が求められるのでは、こうした私対世界の唯一者性を、確信的に表現することにおいて意味を持ってくる、革命や政治を否定するものではなく、人は充分に闘争すべきである、アウシュビッツで、反戦で、民族解放で、しかし唯一者なる新しき人とは、時代を超えた、私性を生きる人、世界を絶望も希望もしない、対世界として、唯一者のその所有としての世界、これがシュティルナーの、世界は人が唯一者となって、初めて世界が所有されるといった、時を泳ぐ人としての、時を所有しているという、意識の無限の天空を持つものとして在る、即身仏のような世界に座す者としての、







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