Yの「何もやることなんかないよ」 何かの目的、何かの為、何かをと話した時、何もそんなことやること無いよと、何もしないほうが良いよ、自分は何もしないでいられる、一日中花を見ていられるが、時には酒を飲んで、ピアノを弾いて、時には女と遊ぶだけの、そしてこんなになったのは、青年時代結核になり、秀才の兄達ともう競わなくて良いと思えた、そんな体験があるからかもと、そのYも晩年、喉頭癌になり、癌と知らされないまま身体を鍛えなきゃと、自転車、テニスと、そして長生きする為にと食事療法にと、 私の家から近いのと、駅へ出る途中にあるYの家には、良く家に上がって何といった話題も無く話した、そんな時に出る口癖のような「何もそんなことすること無いよ」と「人間はどうしようもない」だった、すると私の話題も尽きて、Yと一緒に庭を見るしかなくなる、しばらくするとYは何かのメロディーをハミングし出す、私は聞くばかり、言葉ではなくハミングで何かを表わしている、思いついたように私が何かを話すと、短い返事が返っては来るが、又すぐハミングの続きが流れ、ある時、誰か人が来ていて、聞くと近くに住む高校時代の同級生だと、時々来訪しているらしいが、会ったのは初めてだった、紹介を受けて何かを話したのだが、ほんの短い返事が一言、二言、その彼はYに勝る寡黙な男で、庭を見るわけでもなく、俯き加減にうづくまるように縁側に座っている、Yとも何も話すことなく、時間だけが流れ、私はそうした時間の流れに身を任せられず、何かを思いついたように話すのだが、一時間もそんな状態が続くと、耐えられず、帰ってやることがあったなあと、何かをやることの時へ向かって、「又来ます」と辞すのだった、今、3.11以降何もすることなどないのだった、何をやっても放射能入り、人間は滅びるしかないことの、Yの諦観が現実の事に、 Mへの 出会いは、平和展か何かの折、気骨のある発言をしていたMに共感し、散会後2人で呑みに行ったことから、その後誰々のオープニングがあるからとか、誰々と会わないかとか良く呼び出され、交友範囲を広げたいという思いもあって出かけた、戦災の焼け跡の川崎で、孤児のような生活をしていたこと、絵描きになりたくて、焼き芋屋で食い繋いで来たこと、文化評論の表紙絵に採用されたこともあったと、様々な絵描き仲間との交友物語を、私と15歳違いのMは懐かしく語った、そのMも今は精神を患った妻の看病で憔悴し、泣き言の電話が多くなった、只聞いてやるだけなのだが、出口の無い、果てることのない、繰り言、3.11以降の絶望世界という私の意識に、それは朽ちていく、世界の終末への呻き声のように響いてくるのだった、 後の祭りと祭りの後 いま日本は後の祭りの、祭りの後を、もう一度日本をと、後の祭りとは、多く手遅れになった状態を称して、そんなことをやっても無意味だと使われるが、日本の原発推進、安全神話こそが後の祭りを招いたのだが、2万年にわたるプルトニウム汚染、全生命への、未来への、後の祭りである事柄において、南京大虐殺より、従軍慰安婦より、大東和共栄圏より、何より取り返しのつかない、核汚染という犯罪において、45基ある原発、存在自体が未必の犯罪、たとえアメリカの植民地であっても、いや何をやっても、後の祭りであることの、日本人はわかっていることだろう、広島、長崎、チッソ、ミドリ十字、四日市、川崎、カネミ、数え切れないほどの公害、薬害問題をおざなりにしてきた日本だから、オリンピック、安保法制、共謀罪、そして非常事体法と、祭りの後を楽しんでいるのだから、 宇宙は永遠だ 太古の地球のように、放射能に汚れる時もある、強い太陽風によって電磁嵐がおきる時もある、太陽の活動が弱まって氷河期もおとづれる、巨大彗星が衝突することもある、億年という単位で、繰り返されている宇宙の存在という永遠、 陰謀論について そんなこと信じてるのと、それは陰謀論だよと、彼らがそんなことして何の意味があるのか、そんなことやれるわけが無い、科学的ではない、証拠も無い、etc、etc、一般人は情報を得る手立てが無い、専門の知識が無い、自分とは関係が無い、人間、社会を信じたいとする、もし真実を、多くの情報を得られたなら、世界は変わりうるのか、為政者、権力者の個人の糾弾は出来るだろうが、利潤、剰余価値で成立している、資本というシステム、世界はこのシステム維持の陰謀で出来上がってきた、そして今やそれは完成の域に達しているのだった、貨幣経済、世界銀行、軍産学グローバル企業、1パーセントが世界の富の半分を、これらは陰謀等ではなく自明の収奪システム、ヒットマンたちの証言を聞けば、全てが政治という公然の謀略、陰謀、世界は今や、賃金、貨幣奴隷制社会の上に成り立っているのだと、 幸福感とは 人間の五感を通し、体験した記憶の総体を、保存維持していること、記憶は深く、広く、それは間接的であっても、人類2万年の歴史、文化、芸術のように、否、50億年のこの星の、否、100億光年の宇宙の、否、存在の永遠の時の記録のように、存在それ自体が人の記憶の総体となり、人間とはこれら総体を生きている動物、そこには悲劇も、喜劇も、絶望も体験されてあり、私とはその記憶の総体の上を生きている者、この時の永遠、この存在の永遠こそが人の幸福感でなくて何んだろう、デカルトにしても、パスカルにしても、これらの記憶の総体が私と存在を神に比し、思う故の喜びに、 世界は全て利権で動いているでいいか 50人が世界の半分の富を所有しているという、50人が70億の上に君臨しているという、これが人間という種の生態系、これは太古より変わらず、これが人間の自然であるで良いのでは、もう、こうした人間の生態系を確認する作業はやめよう、政治はその最たるもの、利権が、利権に取って代わるだけ、太古の族長性から、現代のグローバル資本へと、狩猟、採取から、現代の帝国性へと変わっただけ、宗教から科学の発達、革命から民主主義へと、しかしそこにはシステムとしての利権構造があり、共産主義といえど、物を平等に分けえたとしても、蜂、蟻社会と同じように、賃金奴隷ならぬ、集団維持システムとしての利権、利益、価値への生態系があり、世界は全て、集団的利己によって成立しているのだから、 自分の家が欲しいと 市営住宅で育ち、借家のマンションで所帯を持ち、2人の子供を育て、間もなくそれぞれ独立していく、だからこそ、家族が集まれる場所が欲しいと、働くことをいとわない子供達、逞しく思える、世界の構図など知り尽くしている、今頃親父は気ずいたのかと、私の原発日誌を揶揄したことがあった、人はすべからく欲得で動いていると、政治や思想等には関心も無く、ニルバーナーに共鳴した十代は、世界は絶望と捉え、しかし家だけは欲しいと、私の家の思い出、駅前の商店街、借家の桶屋、冒険の場所、家賃が払えず、新家での間借り生活、父の本家の納屋での暮らしが始り、母の家出、父の事件、そして母の実家での居候、3年足らずの間に家は転々とし、そして養護施設へと、その後も、4畳半一間の母子寮、初めて借りた古井での6畳一間のアパート、蒲田での6畳一間、川崎での民商の事務所での、新婚の日の射さない6畳一間、そして市営住宅へと、私に持家と言うものへの願望が生まれないはずは無かった、否、人一倍あるはずであった、が、市営住宅でよいとする、ローンで縛られること、居着くこと、働くことへの、家を持とうとは思いもしなかった、母は家を欲しがった、それが三度の結婚動機、女三界に家無しと、家が無いことを安住がないことのように、先祖伝来の家がある者、親の遺産の有る者、家に、血に、人に縛られ、異邦という私は生きられないのだった、放射能の降るこの地に、直下型地震が来るといわれるこの地に、オリンピック以降は地価が下落するといわれるこの地に、10年後には空き家だらけとなるこの地に、全部承知で、それでも家が欲しいと、有史以来、農耕民族は定住し、狩猟、放牧民族といえど住処を持ち、家は人の自明であるが、家が簡単には持てないこの国の政治、家が人に賃金奴隷を強い、人は家の為に働き続け、労働の後の人生を生きることとなり、人生が何と家に縛られるものかと、 国家が収奪機構として 存在していることは有史以来自明ではあるが、その国家を誰が、何の為に、また何故人は国家に依存するのか、人間という種の生存形態としても、その国家による収奪と、侵略、手先としての人民は何故に、国家目的は肯定され、無政府主義といえど、労働形態としての組織を必要とし、その形態の維持の為には抗争も、生産力が上がれば社会主義、共産主義へと、そこには抑圧、支配は必要とせず、と、かつて理想した革命思想、今や支配者に国家意識は無い、民族、先祖、とは神話の世界、富、金という、人を支配、隷属させる物が所有できただけ、民主主義という国家単位の徴税システム、それらの維持が現代の内乱、民族紛争、言い尽くされ、暴き尽くされ、が、民主主義とはそれらを歴史の中で、民主なるものに変化させていくと、民主という国家を形作り、たとえ核汚染の地であっても、民主なる政治形態で、死ぬまでは生きようと、闘い続けけている、3.11以降の世界、
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Yの「何もやることなんかないよ」
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