メンデルスゾーン - フェリクス・メンデルスゾーン (Jacob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy)
年譜
1815年(6歳) 母からピアノを学ぶ。
1817年(8歳) 父親がパリに赴任した際に、同行して、マリー・ビゴーのレッスンを受ける。子供の頃から、音楽に限らずフェリックス少年の才能を伸ばそうという親の配慮が常に見られた。この年からベルリンでカール・フリードリヒ・ツェルターに作曲を学ぶ。
1821年(12歳) ツェルターの紹介でヴァイマルに住む72歳のゲーテを訪問して2週間ほど滞在。
1823年(14歳) 大バッハの「マタイ受難曲」の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマス・プレゼントとして贈られる。
1825年(16歳) 父と共にパリに行き、パリ音楽院の院長ケルビーニや、フンメル、モシェレス、ロッシーニ、マイヤベーヤの知遇を得る。
1826年(17歳) シェイクスピアの戯曲を題材とした『夏の夜の夢』序曲を作曲。
1829年(20歳) 3月11日、自らの監督により、「マタイ受難曲」の公開演奏を作曲者の死後初めて行う。会場はベルリン・ジングアカデミーのホールで、メンデルスゾーンはピアノで通奏低音を担当しながら指揮した。この日は、パガニーニのベルリンでの初リサイタルと重なっていたが、会場には入りきれない人が千人も出たと言う。公演は大成功で、更に10日後の3月21日(バッハの誕生日)に第2回の演奏会を行った。作品の素晴らしさを印象づける事を意図した為に大胆な削除も行い、テンポや強弱の変化を駆使している。演奏会場には、ベートーヴェンが第9交響曲を献呈した国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、思想家フリードリヒ・シュライアマハー、詩人ハイネ等がいた。
1835年(26歳) ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となる。
1841年(32歳) プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に招かれ、ベルリンの宮廷礼拝堂楽長に就任する。
1843年(34歳) 自ら奔走して設立資金を集め、ライプツィヒ音楽院を開校し、院長となる。作曲とピアノの教授にはロベルト・シューマンが招聘された。
1847年(38歳) 5月訪英の途上、姉ファニーの死の報に接し、悲嘆の余り神経障害を起こす。一時回復したが、11月3日には意識を失い、翌日ライプツィヒにて没した。彼は生前には特に病弱という事も無く、登山等もしていた事、フェリックスの父アブラハムも姉ファニーも似たように若くして突然逝去している事等から、何か遺伝的な要因があったのではないかとする説もある。
1850年 ワーグナー著の論文「音楽におけるユダヤ性」で芸術性を否定される。
1892年 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス前にメンデルスゾーン記念像が建造される。
1933年11月 ナチス・ドイツにより、ユダヤ人作曲家の音楽の公演をすべて禁止する指令が発布される(しかしその後もしばしばメンデルスゾーンの音楽は演奏されており、1935年にはベルリンでヴァイオリン協奏曲ホ短調が録音されている)。
1936年末 ライプツィヒ市長カール・ゲルデラーがフィンランド出張中に、ナチスの将校がゲヴァントハウス前のメンデルスゾーンの銅像を引き降ろし、スクラップにするよう命令を下した。ライプツィヒへ戻ったゲルデラーは抗議の後銅像再建を進め、翌年3月ライプツィヒ市長職を辞職。
1817年(8歳) 父親がパリに赴任した際に、同行して、マリー・ビゴーのレッスンを受ける。子供の頃から、音楽に限らずフェリックス少年の才能を伸ばそうという親の配慮が常に見られた。この年からベルリンでカール・フリードリヒ・ツェルターに作曲を学ぶ。
1821年(12歳) ツェルターの紹介でヴァイマルに住む72歳のゲーテを訪問して2週間ほど滞在。
1823年(14歳) 大バッハの「マタイ受難曲」の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマス・プレゼントとして贈られる。
1825年(16歳) 父と共にパリに行き、パリ音楽院の院長ケルビーニや、フンメル、モシェレス、ロッシーニ、マイヤベーヤの知遇を得る。
1826年(17歳) シェイクスピアの戯曲を題材とした『夏の夜の夢』序曲を作曲。
1829年(20歳) 3月11日、自らの監督により、「マタイ受難曲」の公開演奏を作曲者の死後初めて行う。会場はベルリン・ジングアカデミーのホールで、メンデルスゾーンはピアノで通奏低音を担当しながら指揮した。この日は、パガニーニのベルリンでの初リサイタルと重なっていたが、会場には入りきれない人が千人も出たと言う。公演は大成功で、更に10日後の3月21日(バッハの誕生日)に第2回の演奏会を行った。作品の素晴らしさを印象づける事を意図した為に大胆な削除も行い、テンポや強弱の変化を駆使している。演奏会場には、ベートーヴェンが第9交響曲を献呈した国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、思想家フリードリヒ・シュライアマハー、詩人ハイネ等がいた。
1835年(26歳) ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となる。
1841年(32歳) プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に招かれ、ベルリンの宮廷礼拝堂楽長に就任する。
1843年(34歳) 自ら奔走して設立資金を集め、ライプツィヒ音楽院を開校し、院長となる。作曲とピアノの教授にはロベルト・シューマンが招聘された。
1847年(38歳) 5月訪英の途上、姉ファニーの死の報に接し、悲嘆の余り神経障害を起こす。一時回復したが、11月3日には意識を失い、翌日ライプツィヒにて没した。彼は生前には特に病弱という事も無く、登山等もしていた事、フェリックスの父アブラハムも姉ファニーも似たように若くして突然逝去している事等から、何か遺伝的な要因があったのではないかとする説もある。
1850年 ワーグナー著の論文「音楽におけるユダヤ性」で芸術性を否定される。
1892年 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス前にメンデルスゾーン記念像が建造される。
1933年11月 ナチス・ドイツにより、ユダヤ人作曲家の音楽の公演をすべて禁止する指令が発布される(しかしその後もしばしばメンデルスゾーンの音楽は演奏されており、1935年にはベルリンでヴァイオリン協奏曲ホ短調が録音されている)。
1936年末 ライプツィヒ市長カール・ゲルデラーがフィンランド出張中に、ナチスの将校がゲヴァントハウス前のメンデルスゾーンの銅像を引き降ろし、スクラップにするよう命令を下した。ライプツィヒへ戻ったゲルデラーは抗議の後銅像再建を進め、翌年3月ライプツィヒ市長職を辞職。
メンデルスゾーン:弦楽交響曲第1番, 第6番, 第7番, 第12番
MENDELSSOHN: String Symphonies Nos. 1, 6, 7 and 12このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽交響曲第2番, 第7番, 第9番, 第10番
MENDELSSOHN: String Symphonies Nos. 2, 7, 9 and 10このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽交響曲第8番, 第11番
MENDELSSOHN: String Symphonies Nos. 8 and 11このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 1 (ノーザン室内管/ウォード)
MENDELSSOHN: String Symphonies, Vol. 1このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 2 (ノーザン室内管/ウォード)
MENDELSSOHN: String Symphonies, Vol. 2このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 3 (ノーザン室内管/ウォード)
MENDELSSOHN: String Symphonies, Vol. 3このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽交響曲全曲 第1番 - 第12番
MENDELSSOHN: Complete String Symphonies Nos. 1-12このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽交響曲 第4番, 第5番, 第8番(管弦楽版), 第13番
MENDELSSOHN: Complete String Symphonies (The), Vol. 4このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲第1番 - 第12番(ヴュルテンベルク室内管/フェルバー)
MENDELSSOHN, Felix: Sinfonias Nos. 1-12 (Wurttemberg Chamber Orchestra, Faerber)このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 1 (ポーランド放送アマデウス室内管/ドゥチマル)
MENDELSSOHN, Felix: Sinfonias, Vol. 1 (Amadeus Chamber Orchestra, Duczmal) - Nos. 1-6このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 2 (ポーランド放送アマデウス室内管/ドゥチマル)
MENDELSSOHN, Felix: Sinfonias, Vol. 2 (Amadeus Chamber Orchestra, Duczmal) - Nos. 7 and 8このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 3 (ポーランド放送アマデウス室内管/ドゥチマル)
MENDELSSOHN, Felix: Sinfonias, Vol. 3 (Amadeus Chamber Orchestra, Duczmal) - Nos. 9 and 10このページのURL
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メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲集 4 (ポーランド放送アマデウス室内管/ドゥチマル)
MENDELSSOHN, Felix: Sinfonias, Vol. 4 (Amadeus Chamber Orchestra, Duczmal) - Nos. 11 and 12このページのURL
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メンデルスゾーン:交響曲第1番, 第5番「宗教改革」/序曲「フィンガルの洞窟」(フィルハーモニア管/ウェラー)
MENDELSSOHN, Felix: Symphonies Nos. 1 and 5 / The Hebrides (Philharmonia, Weller)このページのURL
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メンデルスゾーン:交響曲第1番 - 第5番/ピアノ協奏曲第1番, 第2番/劇付随音楽「夏の夜の夢」/華麗なカプリッチョ(マズア)
MENDELSSOHN, F.: Symphonies Nos. 1-5 / Piano Concertos Nos. 1 and 2 / A Midsummer Night's Dream / Capriccio brillant (Masur)このページのURL
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メンデルスゾーン:交響曲第2番「賛歌」(RTEフィルハーモニー合唱団/アイルランド国立響/ザイフリート)
MENDELSSOHN: Symphony No. 2, 'Hymn of Praise'このページのURL
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メンデルスゾーン:交響曲第2番「讃歌」/詩篇第42番(ヴォカペラ合唱団/アーネム響/ボッシュ)
MENDELSSOHN, Felix: Symphony No. 2, "Lobgesang" / Psalm 42 (Vocapella Chorus, Aachen Symphony, Bosch)このページのURL
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メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」/序曲「静かな海と楽しい航海」(クレツキ)(1954)
MENDELSSOHN, F.: Symphony No. 3, "Scottish" / Meeresstille und gluckliche Fahrt (Calm Sea and Prosperous Voyage) (Kletzki) (1954)このページのURL
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メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」, 第4番「イタリア」(ロンドン・フィル/ウェルザー=メスト)
MENDELSSOHN, F.: Symphonies Nos. 3, "Scottish" and 4, "Italian"