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続 原発震災日誌⑩

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続 原発震災日誌

私の青ざめた馬

映画「東京原発」のようなプロットで、テロリストの私が、福島原発の作業員となって、腹々時計を仕掛けに、マスコミ各社に、ただちに原発の廃炉を国が議決しなければ、爆破すると脅迫する、
ロープシンの皇帝暗殺から、現代も続く世界の様々なテロ、テロリストが初めて世界に有効性をもって、生命と生命の等価交換が可能となった原発爆破という方法、テロリストは考えているに違いない、テロリストとはならなかった私が、何故、原発テロを考えるのかを書くことで、人類の終末観を表わしてみたいと思うからであった、現在、進行形で、この「絶望と無」を書いているのも、私における人類の終末観からであるのだから、様々に、映画で、コミック、SFで示されているであろう終末観、が、福島は現実の、進行形、最悪を、いつその時が来てもいいように、と覚悟をしていなければならないのだった、私の死は一日一日の中に、しかし、人類の絶滅までには至らず、遺伝子組み換えが可能となった現代、人類はどのような形をとってでも種の延命を模索するだろうが、放射能の万延は、二百万年に渉るもの、いずれ絶滅することは必定、これは現代人の誰もが考えられる自明のこと、それなのに、原発を止められない、核兵器を止められない、科学する心に、知りたい、探りたい、極めたい、とする可知論がある、その心は止まらない、それは人間の条件であるから、生命とは生きようとする物のことであるように、
テロリストが世界の理不尽に抗議して、しかしそこには、人間への信頼と希望がまだあり、かつての哲学、文学、芸術、どれほど地獄や、絶望を描こうとも、理想と希望を求めてのこと、が今や世界はそれらを全否定する、人類の絶滅という無の肯定に至っているのだった、この無の後には何も無いのだから、何も考える必要もないのだが、まだ生きている私は在り、最後まで考え続けなければならない、

死が人の不条理の本質だとするなら、原発と核は、全生命への不条理の本質である、
ホロコーストとが民族絶滅であるのだが、核、原発とは、全生命への絶滅行為であるのだった、

永山が、無知で人を殺し、無知の自分を思いやり、無知でなくなった自分で、無知の自分の死を見つめる、イエスが自分の死を、無知の人間の死のように見つめる、この孤独と死が、私対世界の、一人の極地、

未来世界の絶望を、私のイメージと思索で表わしてみること、
核汚染―――ソイレントグリーン、ストーカー
人間の心の闇

悪と核、テロと核

川端の末期の眼とはどのようなものであったのか、末期と絶望がどのように捉えられていたのか、世界は、日常は、絶望を背景に、希望と愛を紡いで、
私は生きている、しかし、彼らは若死にし、ここに悲哀、怒り、意味は、インパラの死と同じように見るしかない私がいる、

核による支配、原発はプルトニウム製造装置、軍事、経済、権力機構の一大プラントであること、

二度見るには退屈な映画のように、日常とは、分かってしまえば、起きて、喰って、寝てと、タルベーラの絶望のような、タルコフスキーにおいては、この世界の意味の回生、失われた世界への、ノスタルジー、カフカには、この世界への徒労、不思議、日常とは、たとえ絶望があっても、存在している限りは、この日常ではあるのだった、癌のあの日、怯えてはいたが、変わらず在った日常、

カフカ「審判」が世界の不条理と言うものの形を描き得てはいるが、現実、歴史は、遥かに非情、人非人、カフカにあっては、ユダヤ人としての異邦感、疎外感が、掟、宿命としてあり、

フランツ・カフカの作品における希望と不条理、―カミユ―

絶望に対しての希望が愛であると捉え、この世界の核、未来を書かねばと思う時があって、カミュのカフカ論を、カフカに於いては、絶望そのものを書き表すことが、カフカの生きる希望であったとの、シーシュポスに於ける徒労が「城」には、反抗的精神の末路が「審判」には、カミュにあっては未だ残されている希望が、カフカにあっては無く、タルベーラが「ニィチェの馬」で、人の徒労をシンプルに、しかし執拗に描いている、お前は、絶望に対してどう描くのかと、私は絶望などしていないのだった、異邦人でもないのだった、おそらくは彷徨者、帰る家は未だ在るのだった、旅先で災難に合っただけ、間もなく家に帰るのだと、世界の現実は闇である、カフカは象徴として不条理を描いているのだが、この核未来、そして死の行進をしている人間に対しての象徴とはどのようなものが、金と無知と幻想と、吉本が人の闇を共同幻想、自己幻想、対幻想と捉え、しかし3.11以降の私に幻想は無い、シュティルナーの無の上に私を置いた、結局作家としては又カフカに戻ってしまう、私の象徴、私の解決を探り続ける、書き続けるという作業でしか希望にはなり得ないになるのだった、画家が捉える象徴としての原発、不気味に、生きもののように、壊れた瓦礫の中で光っていた、一度作られた核生成物、人の目には見えないが、眩い放射線の光を放ち続けているのであった、それらを、赤いつぶつぶで表わしていた画家がいた、彼らが捉えた象徴、私の捉える象徴とは、カフカが書く意味と、私が書く意味は、書いている私と、書いている世界に何の意味が、絶望の上に私を置き続けることの、癌サバイバーの私の意味、飢餓、殺戮、病魔の中、生きている彼らへの、絶望を得たのなら、平気で生きる、待ち構えて生きる、覚悟して生きる、それが私が捉えた対世界であったのだった、書くことなど何もないと、音楽、芸術、文学の鑑賞にと、三昧を生きていたのだった、 
カフカの「審判」風に書いたのなら、Kが小出氏で、あとは全員、あの裁判所の聴衆達が国民、原発問題を全て戯画化したなら、世界の構図が、狂人達に支配された、その狂人との対話が、原発推進する者との対話で、狂人と刃物とは、彼ら怖いということを知らないから、四号機崩壊、北半球が絶滅するというのに、ウインズケール、チェルノブイリ、エンリコ・フェルミ、スリーマイル、etc、現在地球が在るのは、奇跡的に破局が免れただけ、にもかかわらず、大震災が4年以内に七十%の確立で起きると言われている日本で、原発の再稼動、建設などと、原発を止められない、止めても廃炉処理、使用済み核燃料、と開けられたパンドラの箱、これらの危機を、悲劇をいくら書いたとしても、癌患者に「大丈夫?」と聞くような日本の現実、癌になって悲嘆に暮れて死んでいく者と、笑って死んでいく者と、絶望を絶望し続けるものと、絶望を受容する者と、希望における現象学的考察は成立するが、絶望における現象学的考察は成立しないのだった、絶望とは絶望だから、人が認識しようがしまいが、在るのが絶望であるのだから、絶望を定義するとするなら、人が認識しないもの、出来ないものということになる、絶望とは無ということであるのだから、この絶望を生きるとは、本来人は絶望を生きることは出来ないのだが、人には死があるから、絶望を生きるという徒労も、いずれ死という終わりが在るという無があるから、
子供達に絶望を教え、伝えることの悲しみの中から、この絶望を生きる人の中から、新しき人が、絶望を糧に生きる人が、不死の癌細胞のような、新しき人となって、



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