続 原発震災日誌30
人間不信があるとするなら、どれほどの人間への信頼と、人の心への慈愛を体験しているのかが、四日市の伯父さん、多治見の伯母さん、その他に誰か、いないのだった、友人においても、妻や子は私が庇護するもの、北原怜子、マルセル、作家において、実在の人間において、いないのだった、イエスは若い、カミュは野人、音楽だけが、無数の音楽家だけが、慈愛を与えてくれる、音楽とは人の生きた感情、言葉ではない、しぐさ、心、まなざしとなって、私は感じるのだった、一つの楽章に、一編の小説に勝る感情が、音楽の中にはある、人と情景、そこには失われた時が見出されるように、少しも損なわれずあるのだった、世界が人が滅んだ後でも、田園交響曲の中に人が育んだ記憶と感情は蘇る、音楽の不滅性、生身の時間の芸術、生身の人間との信頼とは、どのような形を想定するのか、森有正には近い感情を持つ、彼の苦悩は共有できる、文章で書かれた人への信頼の感情、ソクラテス、プラトン、かつては社会主義文学に、独歩に、が長じて作家の狭小を、やはりイエスが主よと呼ぶあの父なるものであろうか、田舎に帰ると、大桑に帰ると、ここから私は育って来たのだと、道の隅々、人の顔々に私を見つけることが出来る、これは私の見出された時である、 ブログの全掌編と、しあわせという感情と、母への不信と、人へのあらゆる不信を入れること、私の全生涯とすること、レンブラントの自画像のように、私のための私の自画像を、 新たなるフェルメールを、妻との、学校との、記憶との、そしてまだ続いている、いつも蘇る、今あることへの、いずれ訪れるだろう悲しみと淋しさ、そして私の死が来るまで、時は流れている、 Oの癌に、私が寄り添いたいとした時、Oは、俺の癌であり、俺の死だから、関わかわってくれるなと、末期の時の共有は拒否された、この絶望は私の絶望なのだから、他人には解からない、人と絶望を共感し合いたいとも思わないし、私の絶望を生き抜きたいだけだと、 死の時 刻々に訪れる死の時、時が音を立て刻み始めた、ついこの間まで、時は空気のように取り巻いているだけのものだったが、振り返れば、長い時の海を泳いで来た、いまその海と空の記憶が生き生きと蘇る、私は一人で泳いで来た、途中疲れて泳ぐのをやめようとしたこともあったが、泳ぎ続けて来た、何か宛てが合ってのことではない、泳いでいれば体は浮いたし、そこには空と水平線と、太陽の日差しがあったから、そしていつの頃か、泳いでさえ居ればいいと思えるようになっていた、泳ぎ始めた頃とは違った、喜びも味合えるようにもなっていた、そこへの突然の死の宣告であった、チョット待って、いましばらく、最後のクロールを、未だ果たしていない、若き日の捜し求めていた、あの人への、女性へのあこがれの心、それさえ得られればいつ泳ぎをやめたっていいから、Kに求めた、たとえKにその心が解からぬとも、私の憧れ、若き日のYであり、HでありMであった、私が見つけたあの透明な感情という憧れ、繋ぐ手、交わす言葉、見つめ合う眼と眼、今Kと再現している、Kの中に見つけている、今しばらく、今しばらく、この時を、 君が死んで九年、3.11を味遭わないで良かったね、君の好きな透明な感情に思いをはせる、未だ汚れを知らぬ少女へのような思慕の感情、地球が、チェルノブイリがあったとしても、日本はまだ汚されてはいないと、知らずに居られた、今あらゆるものは汚染され、再びは戻れない世界に、 原発が公害病のようには考えられないのは、公害は必要悪、進歩と、発展にはと是認するところがあったが、原発には進歩と発展に必要であるとの共感がなかった、自明の不特定多数の、世界の大気への、海へのと、当初から危険は、被害は想定されていたものであったからこそ、未然に防げる方策が無いにもかかわらず為されてきたことへの犯罪性が問われるのだった、 不条理の認識が、行動であるとするなら、絶望の認識は、絶望し続けることでしか、3.11以降の哲学が絶望の哲学に向かわないではおられず、何故なら現実は不条理を超えて絶望になったのだから、絶望+愛=希望の数式が、核の前には、アウシュビッツの囚人のごとく希望とはならないのだった、鎖を逃れても外にはファシズムが、希望は、今日の今の、個人の思索と、足元の生活の中にとなるのだった、松沢哲郎のサルとの比較、今日を生きるサルたちの、絶望も、希望も持たず、今を生きている姿に、人の絶望の克服、人の罪と罰からの現代への答えがある、私が癌を得て掴んだもののような、絶望して今を生きることの中に、 ロシア民謡を聞いていて、かつて信じていた理想、また人生への賛歌の青春期が思い出され、心騒ぐのだが、戻らない年齢のように、戻らない世界の絶望、あの頃、淋しかったのだと思う、人恋しく、求めていた、実存の不安、労働の困難、今の絶望感覚とは違った、未だ生活基盤というものを持たない、浮き草の漂う不安、しかし絶望はなかった、不条理、実存感覚で生きられた、今その不条理も、実存も意味を破壊されてしまった、 浅虫の竜神様 その当時私は、文学の道へ進みたいという希求が押さえがたくのしかかっていて、勤めていたある民主団体をやめてしまった、しかし、書けると思っていたものは容易には書けず、後には街に漂う枯葉のような、行き所のない、やるせないものだけが残った、 私は耐えられなくなり、一人漂白の旅に出た、全国で革新共闘ができ、東北のさびれた村にも、ポスターがはりめぐらされ、私を問いつめるように、宣伝カーが走る毎日だった、そして、その日私は、津軽の海辺を一人さまよっていた、 過去と思索 労働と文学――労働を免れたいとする私、学びたいという欲求が、が社会は労働の後に、その合間に学んでいくことの、耐えることの苦痛、自尊と疎外との葛藤、自己卑下の時代、 政治と文学――労働の疎外からの脱出のため、専従活動へ、しかし文学への、個としての私の解決は以前のままで、個人と全体の問題が浮かび上がり、専従をやめる、 意思と文学――生い立ち、組織と個人の問題が未解決ではあり、試行錯誤の状態、がその両面を実人生において解決すべく、結婚、家庭というものを得、 実存と文学――40歳にして癌を得、轟然と自らの存在と意味を問う必然に迫られ、私の唯一性において、世界は捉え直され、方向は決まった、 絶望と文学――3.11は確かに得たとした、私対世界という世界に対する、私の意味が無に帰した、私だけではなく、世界そのものが無と化した、希望や、理想を、私でもって構成しようとしていたものが、 世界が核汚染で埋まろうが、人が、生き物が奇形で溢れようが、存在するということにおいての、意識する私という存在を通して、世界は絶望、破滅に向かっているという、開けられたパンドラの箱であるとの認識が加わっただけという、世界との緊迫した関係性の、私対世界へと、 世界を陰謀論で捉えることの抵抗は私にもある、世界を絶望と無に置くことの抵抗感と同じ、絶望と無に抗なう希望、理想を肯定しての絶望は又しても歴史の繰り返しになる、絶望の先に理想は想定してはならないのだった、絶望し続ける中にしか、これからの理想はないのだと、陰謀説の中にある、理想の想定が抵抗感を私に持たせるのだった、 メキシコ湾原油流出事故の真実、事故収束会社の利益ために起こされた、 フロリダのハリケーン被害は作られたものであった、街の移住のために浸水が放置された、 戦争で利益を得るものがいるように、あらゆる事故や災害は利益を生む、原発事故はその最たるもの、絶望と無が、政治経済の問題になり、私における問いかけが考えられず、在ることの意味が喪失していく、 「汝死を忘るなかれ」さえ無化される核の汚染、人間に対して何を言っても、無知は致し方ない、人間の宿命であるのだからと、人は死んでも核は残ることの、戦争をしなくとも、土地は失われ、人は損なわれることの、