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続 原発震災日誌35

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続 原発震災日誌35

辺見庸~「審判」「記憶と沈黙」「瓦礫の中から」、エミール・クストリッァ、ジャン・ボードリヤール、「あいさつの魔法」、忌じみの観念、日本的鵺、心の戒厳令、ウァルター・ベンヤミン、トウルーズ・ガタリ、ジョージ・オウエル、原爆で灼き殺して欲しいと訴えるほどの絶望、スローデスなどではなく、即死を我に、デシャビュー(既視感)、ジャメビュー(未視感)、ヒロシマ、長崎は涙そうそうの記念行事であった、アメリカにとっての原爆投下、原爆は遺憾であったが、やむおえない、気の毒であると天皇の言、ペラペラ、ノッペラボウ、石原吉郎~死は単独であるべき、原水協の後ろめたさ、核の平和利用の後ろめたさ、矢部史郎、折口信夫「砂けぶり」~震災日誌、「死者の書」、オノマトペ、辺見の祖父、市会議長、それでいて2間の市営住宅に住んでいたと、妹あり、海岸の入り江で育った、父は通信記者、将校として、川端康成「空に動く灯」~関東大震災、辺見の対談集~串田孫一「星と歌う夢」、言葉と言葉の間にカタブル(屍)がある、堀田善衛「橋上幻像」、人間存在というものの根源的な無責任さ~「広場の孤独」、「方丈私記」~他者の死に人間は責任を取れない、津波で死んだこと、原発で死んだこと、ハダシのゲンの妹~上から下まで全員が難民になってしまえば終わりだが、始まりでもある、私は告発しない、ただ自分の<位置>に立つ、泣けよこの私の位置に立っていない石原に、最後まで見つめきろうと、核は人を人にする、弱小国が大国に、一人が万人に、平等も共生も、絶望も無も、全てを可能にする、絶望の中にあってさえ、絶滅までの時間が在る、それが今という時間、人が人になる時代、それが今であるのだった、フラクタルではなく、自覚されたフラクタルな社会へと、個人の死は個人をエゴイスチックにするばかり、集団の死は個人を全体へと導く、NPO、国境無き医師団、ジャーナリストと世界に立つ彼等には、全体への死の視点に充ちている、死んでも死に切れない視点の中にある、個からの安易な全体死ではない、個の死からの、石原のもつ死の個人性からの、絶滅へのつぶやき、輝き、叫び、アアー、オオーの、人は絶滅に至ると小羊になるのだった、今や人間は小羊へと、石巻内海橋、「眼の海」~原発震災の視点は無い、絶望、絶滅がディシャビュー、ジャメビューに至ってはいない、ただ石原への捉えは泣ける、私に似る石原という男、大道寺将司句集、ジル・トウルーズ~多様性と芸術、プリモ・レーヴィ~アウシュビッツ、市川浩、ジョゼ・サラマーゴ「白い闇」中村稔~「鴉原抄」、ボリス・ウィスマン~トランペッター「日々の泡」、フルク・グレヴィル~詩人、デュルケーム「自殺論」、9.11を陰謀だとしたら、辺見のテロ観はどう変化するか、また大道寺らのテロを、ロスチャイルドらの策略だとするなら、辺見の考えは、また大道寺らの反天皇テロがCIAの策略であったとするなら、辺見の思考が操られているとしたら、沼沢均~同僚、戦場のカメラマン、渡辺一夫「敗戦日記」、スタンレー・ミルグラム~「服従の真理、アイヒマン実験」、ホモ・サケル~哲学者、アガンペン、癌を放射線etcの現代文明論と断じるなら、自らの癌への自明、人間の命運として、受容となるのでは、辺見は癌を運命的に語ろうとしている、チャールズ・ヴコウスキー「町で一番の美女」、レシス・ドブレ「メディオロジー」、ジョン・ドス・パソス「VSA」、ヴァルター・ベンヤミン「ドイツ悲劇の根源」、ホイスラー~画家「黒と金のノクターン」、中国での「生体手術演習」~闇の絵、ハルピン、ロバート・ジェイ・リフトン~「死のうちの生命-ヒロシマの生存者」、オウムの日本的空気感からの行動は、原発への対応にも現れている、科学、観念ではなく空気として、原発問題がこれらの世界、人間の状況から発生している、世界は想像されうる形で存在しているのだった、辺見は個の絶望を通して言葉に迫ろうとしているのだが、世界の絶望は言葉ではないのだった、
クロード・ランズマン~「ショアー」SHOAH、ツァイ・ミンリャン、台湾「河」、ティツァーノの宗教画、辺見は悪霊的だが、世界の偽善を引き剥がそうとするばかりで、真に絶望してはいない、絶望から、彼、彼女らの偽善を見、嘆じてはいない、子供のスカートめくりのような、言葉が言葉言葉していて、自らが無い、前述の作家群の引用のように、日本への批判が、しかし、世界が今や絶望的であるのに、これでは絶望と向き合えない、アウシュビッツ、死刑囚、人間というもの、実存というもの、

私は個の絶望ではなく、世界の未来の絶望を考えて、個の絶望から無に至る道へと、無とは無、仏教の無ではない、科学の無、人存在の無、宗教、哲学も全て吹き飛ぶ、消滅する無、毎年3万人の自殺者、否、その何倍もある変死者、またその何倍も在る自殺願望者、そして40パーセントのつまり5000万人の無関心者、彼らはともに絶望者であろう、理想や信じるものを持てない事からの無関心、彼等こそ、文化人らの理想を求めての絶望とは違うのだった、辺見が様々に引用する個人の絶望を私は読みたくないのだった、個人の絶望が問題ではないのだった、世界の絶望とは個人を超えている、個人から発想された絶望ではないのだった、私自身は絶望していない、ただ世界に絶望しているだけだった、

自分が死んで言葉が残ったからといってどうなの、人類が絶滅して言葉が残ったからといって、この絶望を言葉で表したからといってどうなの、私に言葉はいらない、ただ思考の道具に過ぎず、ただ記すもの、音楽も、絵画も、すべて同じでしょう、ただ記すものとしての、記したいだけ、空に詩を絵を描く人としての、書く行為をシャボン玉を飛ばすように、楽しんでいるだけ、陰謀、冤罪、世界史はつい100年前まで、これらは自明であった、それが封建、君主というものであった、近現代となって、とりたててはいるが、支配の体制は形が変わっただけ、内容は連続しているのだった、戦争の中の陰謀そのもの、官僚支配の独裁制の、国家の陰謀、戦争となれば何百万人も殺す体制、

今日の夢

世界には裏社会というものがあって、それは表の社会と密接につながっていて、表の支配者達を政治的、経済的にコントロールしているのだった、それがどこで間違ったのか、核戦争が起きてしまい、遂にニューヨークに核が一発落とされてしまった、裏のルートからそれ以上の世界戦にはならなかったものの、地球にまた一つ核の汚染地帯が出来てしまった、といたって冷静に核戦争を見ている私がいた、

夢分析

昼間見た、核戦争の映像の勢だろうが、かつて原水爆禁止運動などで、世界の原水爆実験に反対し、諸運動をやってきた、ヒロシマ、長崎をピカドンの言葉に象徴されるように、落とされた側の視点で捉えてきた、それが3.11以降見方が変わってしまったのだった、核戦争が核爆発の熱によって短時間に人を殺すものではあったが、そこで放出される核物質の量は、わずか5キロ位のもの、かたや福島原発で放出された核物質は、ヒロシマ原爆の180個分、これからじわりじわりと人を殺して行く、そして熔け落ちた核燃料は200万年に渉って、人を殺し続けていく、そう思うと核戦争による放射能など知れたもの、世界の原発、ウラン鉱山、核施設の汚染からすれば可愛いもの、との思いがあったのだろう、


過去の文化芸術が時代錯誤に感じる、3.11以降、あらゆる価値観に異和が生じ、映画など科白は聞きたくないし、ニュースは音声は消して見るようになったり、旅、料理、美術、Etcの番組は、眼を落とすことも嫌気がし、3.11以前から、現在も、いや有史以来ある、文化、歴史の欺瞞追及のブログ記事だけが、真実を持ち、やっと現代の絶望状況に納得をし、人類の絶滅を肯定できるのだった、ロクでもない文化であったと、
ユダヤ人の受け入れを嫌って、ヒットラーの蛮行を容認した欧米諸国、ヒットラー以前より迫害してきたヨーロッパキリスト教が、十字軍で、魔女狩りで、現在、軍産学で、アフリカ、少数民族を同じように、世界の出来事の、何をとっても、どれをとっても、3.11以降の世界観で見るなら、日常上は何も変わっていないが、人の心に私の心に、底流で大きな価値観の喪失、変更が起きているのだった、今を生きるという、そのシンプルな生きものとしての基準に変化しているのだった、



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