続 原発震災日誌36
癌と放射能 癌がRNAのエラーによって、何億個かの癌細胞が毎日発生しているが、キラー細胞によって排除される、発癌物質による癌化も同じ仕組みで排除される、しかし、放射能による内部被曝は免疫細胞も被曝し、それが脊椎だと恒常的に変異させられ、免疫事体が弱まることとなり、癌化の原因は放射能であることが考えられる、疫学的に核開発前と後の癌の発生を調べるなら、その証明は出来る、化学物質の発癌がこの免疫細胞の機能低下にあることの証明が必要、内部被曝こそが問題で、それがトリチュームなどのように、水分子に取り込まれると、人の遺伝子そのものが内部被曝物質となり、子々孫々に遺伝することとなり、 癌が完治して得た極楽の世界が3.11で楽しめなくなってしまった、癌の時、私ともう一人の私が一体となって冷静に私を見ることが出来なかった、今世界が絶望状況となって、この私でこの世界を冷静に見られなくなっている、再び私対世界のように、世界をたとえ絶望的であっても、見、考えたいのだった、その位置が得たいがために、絶望と無を書き続けているのだった、この確信が得られれば一挙にツァラトウストラのように言葉を紡ぐだろう、ニーチェとリルケこの二人を私は統一するだろう、そして未来の私対世界へと戻るだろう、 癌が発見された~本当に癌かどうか、生検、セカンドオピニオン、 手術で取れるか、取れないか~初期または癌もどきなら、取りきれば完治する、又は癌もどきと断定できるなら、手術しないでもよい、様子を見ればよい、しかし判定は出来ない、 抗癌剤をやるかやらないか、~世界の知見として害あって利益なし、免疫の弱体化、 転移が起きたら~更なる手術、抗癌剤etcの治療に意味は無い、 原発の爆発が起きたら~癌が見つかったということ、 避難するかしないか~核の汚染が少なく、封じ込められれば、癌の手術と同じで居住が可能となる、 除染するかしないか~汚染が広がり、核が封じ込められていない状態では、濃縮が進むだけ、 ラトビアの歌手、アイヤ・クレレの歌声 あんな時代に戻りたい、闘いとうたごえの未来を切り開こうとした青春のあの日の心に、絶望があったとしても、闘いを進めるあの青春の心を、ニーチェでもリルケでもなかった、あの青春の闘う心、原爆あるも断たれずと歌った、国際学連の歌のような、死んだっていいじゃないか、犠牲でいいじゃないかと、闘いの中で、うた声の中で、連帯の中で、理想の中で、核など怖れず、闘いの中に死すで、 意味を失うとは、有意の価値から無為の価値へ、人間の意味的存在から、無意味的存在への、意味に支配されていた所からの自由は得るが、それが喜びになるためには、有意の無意味と無為の有意味に至らねば得られないもの、文明、文化、芸術からの解放、自由はあるが、私自身は余命あと十年くらいと考えるなら、存在だけで充分なのだが、若き日からそのようには至れないのだった、この星に生を受け、世界は意味で充たされており、何もすることはない、何もしなくとも良いなど、何もしない能力があるとは、今3.11を経て出来る気がするが、余命を孤独に花を愛で死んでいったYを思い出す、一人無為の有意を生きた人だった、そのYも、女と酒、ピアノとテニスは好きだった、3.11は意味の剥奪であるのだった、 意識が終わる、終わってよいではないか、どれほどの意識だというのか、これからも、その意識が意識し続けて一体何が、もう充分意識してきた、もうよいではないか、シンプル、シンプル、静かに、静かに、ローソクの灯のように、やがて消える意識、この意識のことを考えていると、魂などはない、神などはないことが分かる、この消える入るような意識、あの青年の日の意識とは明らかに違う、人間の未来も、地球の未来も、唯在る存在であるとの理解に至る、私亡き後も在る存在としての、膨大な意識、絵の中、音楽の中、文学の中の、建築の、あらゆる物の中の人意識、まだ在る者の、これからも又生まれくる者への、残る人意識、子々孫々、意識を繋ごうとしている者らの人意識、ポンペイの遺跡のような、核汚染の地球に、それらは意識の遺跡のように、 個人の絶望と世界の絶望 癌の転移における絶望は片時も忘れられないが、世界の絶望は忘れられる、日常とはそうした生命の生きる力、個人の癌はその生きる力が日毎に変わっていくことで絶望は去らないのだった、 宗教のキリスト教では愛が壊れた世界、仏教では諸行無常が壊れた世界、愛は、子供が生まれても奇形児ばかり、生命で世界を愛せない世界、諸行無常は、半減期24000年のプルトニウムをはじめ、人類の歴史を超える核汚染の世界、無常ではない恒常の世界となってしまった地球、この地球の宗教は、今や革命を迫られているのだった、文学、哲学においては、むしろこれからが真骨頂となるべきものだが、未だ絶望意識には至ってはいない、絶望からの存在が、まだ捉えられてはいない、 原発も核も、本当に全人類が絶望に至らなければ止められないものであるような、70億という人間の営み、燃やして応援といって瓦礫焼却、食べて応援といって汚染食品の流通、福島再生といって除染、未来のエネルギーといって核融合炉、核のごみの処分といって、中津川へ、こうした世界状況、人間の意識に対し、核、原発とは、私対世界の関係だと改めて思う、私対核あるのみだと、私の癌と同じように、私対原発と捉え、私の問題として、世界がどうであっても、70億の営みがどのようであっても、核とは私対世界の関係だと、 間もなく2年目の3.11、世界は、日本は、福島は、忍び寄る危機を想定しながらも、日常を生きている、ただちに死に至るのでないのなら、死に至るかわからないのなら、逃れても、今までの暮らしが喪失されるのなら、逃れない道を選ぶと、何百万人がその地で生きることのリスクを承知で、方法が無く、福島で、その他の地で住んでいる、5万Bq/kgの地で住むことのリスク、千葉柏が52547 Bq/kg、1kg当り5万Bqとは1崚340万Bq、ベラルーシュでは55万Bqが強制避難区域、5万Bqは毎時10μSv、年間は88mSv、福島でなくとも避難区域、レントゲンが1回1000μSv=1mSv、レントゲンを年間88回やる計算、食べ物も空気も100Bq/kg、ベラルーシでは体内セシウム100bqで、100%心臓に異常、50bq/kgでも30%が白内障と、 何故か私は刑務所に入れられていた、ある日ネットで集会の合図があった、が、日ごろ私には、何故、誰もがロボットのように集まるのかとの批判があった、そして誰もが拳を上げて毎回同じ抗議を繰り返すのかとの、で、私は今日は集会には出ないで、皆が集会しているところ見ていようと出かけた、集会はいつものように、同じシュプレヒコールが繰り返されていた、私は今日は歩行者だからと、歩道を堂々と歩いていた、すると誰かが私を見つけ誰かに通報していた、集会が終わってから、私はきっと罰が待っていると思って、事務所へ行った、するとそこにはT子が受付で居た、一瞬心配を顔に表して、男に取り次いだ、男が罰を言った、座敷牢一年だってと、私は人間の想像力について考えていたのだった、こうした時代の罪人と言われた人々の苦痛を、先日ダライラマの映像を見て思っていたことが浮かんだ、「私は貴方達の苦しみや、悲しみが想像できました、人間は想像できるのです」と、人間は他人の悲しみであっても、想像できることの信頼を語っていた、 多く人は他人の悲しみは想像できないのだった、私は時代の罪人の悲しみを想像して耐えて行こうと、死刑のニュースと、世界の囚われている無数の人への想像を通して耐えていこうと、夢で罰を受け入れていた、 生きるということが、健康で文化的な最低限の生活が守られれば、いやより良い文化的な生活が保証されればと、が、それでよいのか、存在することの、日常性の喜びで充分なのか、それすらも叶わぬこの星の1/2の人にとって、この豊かさの中の私にあって、存在することの信仰が、人の考え、伝えを信仰するのではない、今在ることの、在ったことの、その喜びの中、祈っているという、人の心の、 青春の日の喜怒哀楽、躁鬱、希望、落胆、自信とコンプレックスなどなど、可愛い心で世界と渡り合っていた、時への信仰の具体とは、こうした青春の体験の延長にある、存在への信仰とは、それら行動の中に見た、出会った、世界への存在であった、リルケのように言葉で存在を表せなくとも、味わっている、この時という、この時を今日も味わったという満足、草に木に、世界に、再び降り立ち、私対世界を取り戻し、その中から希望を、明日、一年、五年、十年だろう私の時、この時を、Yのように、何もしないで、一日を花の咲くのを眺めて過ごす味わい方のような、人というものの究極、只管打坐よりどれほど自由で、喜びであるか、ヘレンが発見した存在のような日常において、