続 原発震災日誌60
中垣克久 戦争は、国民がそう願って成されるもの、そうなった時は、私は日本を脱出するか、それでも戦争に反対する作品を続けているかと、人間を対象化する美術家、彫刻家の言、今人類が狂気に進んでいる、望んでそうしている、原発も、核も、彼らが望んでしていること、彼らが望むならそれでいい、私は私であるだけ、 近代とは一般化、平均化、そして公共性、公共こそが近代の巨大な無である、 偉大なる虚無の放射線、DNAにとっては100万年の光線銃、 井上にしても、大江にしても、核問題を日常のレベル、病気と同じ、人間関係と同じ不安、憎悪の対象にしているが、核問題は、哲学、形而上の問題であるのだった、虚無が物質化しているということの、核が人間を解く、近代を解く、文化を、神を解く、核が存在への全ての鍵であるのだった、 反核、反原発とは 核、原発というものが国家というものによって推進され、国家を守るための武器としての核兵器として開発され、それを維持するための原発稼動、国家秘密、安全宣言と、その国策としての政策に、軍産学、マスコミ、地域が群がり、利権共同体化し、国民自体も、その国家の一員であるという自明、 反核、反原発というのは、この国家、国民というものへの反逆、否定であるということ、日本的お上意識が、日本の原発推進へと、核開発の技術保持の敗戦国日本の意識が日本原発推進へと、核兵器保持が世界支配の条件として出発、 人類の課題とするなら、この国家、利権集団というものへの、その国家を形成する社会、集団、個人への戦いとなる、ニィチェ、マルクス、etcを超えなければならない、無政府だけでもありえない、神のようなものが人間に、再びの神の再生がない限り、人類は滅亡以外ありえない、原子力はやってはいけないという意識が人類意識として形成されない限り、核、原発は維持される、 私が書くという行為が、人類のためにと考えているのか、いないのか、人類のためになるのか、ならないのかは別として、人間は人間のためにと考えて、創造行為をしている、が私にあって、それはないのだった、絶望を招来しているのは人間だとの考えがあるから、かつては、貧しきもの、抑圧されているものへの共感と、解放、真理、愛、正義、平等への希求があり、私の行為は意味づけられていた、が今、原発、核、世界の状況を考えるとき、それらへの共感は失われているのだった、それはパンドラの箱が開けられてしまったせいではあるが、喪失、虚無の絶望意識が発生しているのだった、人類への責務、希望、意味はと巡らすのだが、私個人においては、私のための私の希望、私の存在だけの希望へと、絶望した私において私の希望が見出せるのならと、かつての癌5年後のあの開放感、無条件性の喜びの時をどうしたら迎えられるのかが、再度癌に、再度不幸に、再度絶望に遭遇することによってか、個人の絶望が、その絶望を超えたとき、世界の絶望も見下ろすことができるというのか、それは判らない、 父の発狂が、同房にヤクザの男がいて、常にその男からの圧迫、暴力に晒された緊張からのものであったのではと、また看守がそれらを捉えられず、放置したことによって悪化し、薬を多用することとなり、ついには自制がきかず、電気をかけられ、拘束衣をつけられ、心臓麻痺に至ったと、 ニィチェの発狂も、世界からの圧迫、不条理を常に受け、美的、文化的、自然的に安らぐことの少なく、常に神経は緊張し、その緊張が言葉となって湧いては来るのだが、それらは、神経の叫びで、ニィチェ本人にとってはなんら救いとはならず、 私も書き続けていることが、絶望をえぐることを、当面の課題としてきたが、そこには徒労感しかないのだった、人に見せたからといって、それが共感されたからといって、何ら喜びとはならず、むしろ不安と苦痛を伴い、自己嫌悪、ストレスに、 Tさんが希望と真なるものを探し求める中には、こうした徒労、無力への拒否、虚無への抵抗があって、公害告発展が知床の大地への共感、一体の感情があって、人にその公害の異常を告発していたのだった、現代の放射能の中にあっても、宇宙、大地という存在、世界の神秘と美との共感一体があって、この地球の狂気を告発していたのだった、大地、自然、人との一体があれば文明はいらない、人はそれだけで充分に喜べる動物であったから、この喜びの欠陥が文明を必要としてきたのだった、病に対して医療、災害に対し治水と、しかしそこには一体共感の、人への自然への感情からではなく、一人の病、一人の災害とする、喪失、孤立からのものであった、この3年間の私の喪失状態、瞬間的な音楽にだけ、美なるもの、真なるものの不毛、無意味状態、この星の絶望状態は、この星の最後の輝きと感じ味わってはいるのだろうが、いやそれらを解っていて、私の生命において味わい、楽しみ、世界に感謝する心へと、これが希望、意味であらねばと、 ふと、ソーローの森の生活を考えた、あと10 年ほどの味わいをそのように送る、絶望が故に、味わう生活、 絶望的社会への人の認識は、反権力、反社会への正当性を得、国家以前の共同体、動物的繋がりを呼び覚まし、新しき人、新しき宗教を生む、 3.11の絶望を我がことと捉えた作家が、個人的絶望をきっかけに、精神を病むプロセス、 3.11の絶望をきっかけに、行動に立ち上がった作家が、個人的な絶望に見舞われ、個人の絶望を世界の絶望に結びつけ、超人の誕生、新しき人へと、 個人の絶望の超え方、それが超えられて、世界の絶望が超えられる、世界がどのようであっても絶望しない私において、世界の絶望が超えられる、 死にいたる病とは、絶望のこと、すなわち癌ではある、個人の絶望と、世界の絶望、絶望の子、絶望の人間、世界が絶望であれば、個人は否応なく絶望に至る関係、 書き続けていることは世界の絶望状況に過ぎず、それらは直ちにではないだけで、自明の、絶望している人間の共通認識であるだけ、ツィッターのつぶやきに過ぎず、 私の捉える絶望など虚妄であろうか、3.11後の世界の絶望などと殊更に、戦争を生きた人間にとって、かつて世界は絶望的存在であった、個人の生そのものが、死すことを義務付けられた世界にあって、観念でも、希望でもない、直ちに死にいたる絶望世界であったと、何千万人の無理死、原発、核など只の世界状況であるだけと、私の絶望を通して、世界の絶望にいたる、世界の絶望を通して、私の絶望にいたる、無や、意味や、死の肯定など、世界の絶望に遠く及ばず、絶望があっても死なないで生きる、絶望を糧にして生きる人間こそが新しき人なのだと、この新しき人こそ、核世界であっても、世界を天国、楽園とするという希望、私の癌からの生還とは、世界の絶望を通しではなかった、私一人の絶望にしか過ぎず、絶望は世界の絶望と結びつかねば絶望たりえないのだった、私自身が絶望の一コマとなって、新しき人として、死なないで生きる、絶望を生きる、世界の絶望とは、世界の一人一人の絶望している人の総体であるのだった、希望や、理想、歴史がそうであるように、絶望もまた、フクシマ、チェルノブイリの、世界の核汚染を生きている人との一体の中に、絶望を通して、絶望を生きる人々の中に絶望の中の希望を見、生きる道であるのだった、