続 原発震災日誌62
私の実存とは、やはり私の人生の唯一性ということに帰結する、絶望があろうがなかろうが、世界がどうなろうが、私がここに誕生していることの唯一性、至上性、間もなくこの命も無に帰そうとも、いかなる人生であろうとも、今ここに在る事実性、我在りの感情、狂人となろうが、痴呆となろうが、我在りという事実性、これは何にも、何事にも代えがたい、癌からの生還で得た確信、おまけの時間ではあるが、人間の喜怒哀楽の感情を、深く広く長く体験することが、私の唯一性の楽しみ方、苦悩も、不安も、人間というものの感情の奇跡であるということ、私に於いて味わうということ、実存とは、この存在の奇跡性であるということ、 世界が陰謀史で作られているとして、科学は50Mt水爆を作り、2万発の核兵器を保有し、医学はISP細胞、クローンと、遺伝子操作をし、70億が100億にと人口増大が問題となり、イルミナティーによる世界コントロールへと、しかし、この人間の陰謀史をどうとらえるか、人間が、人間を殺す動物であることと何ら変わらず、自明であると、それでどうなのかと、私はそれでも、それらを知った上で、唯一性の私を生きることを至上とし、人間存在とは、理想主義者にとっては絶望だが、絶望主義者にとっては、人間という動物の属性、自然裡となるだけであった、人間の原爆と、ヤクザとを考えれば、世界支配は自明であと思える、 夢を見た 田舎の同窓会のよう、天皇のお召し列車を皆が並んで、セーラー服、学生服姿で日の丸の旗を振って、出迎えているのだった、私はその光景をビデオで撮っていた、谷間に川、街道、古墳群、私はタイムスリップしていると思った、大桑と古井と景色が合体しているし、時間が遡っている、現在が無い変な所へ来てしまっていると、早く家に帰りたいと思った、が、先ほどまであった鉄道がどこにも見当たらなかった、ただ歩くしかないこととなり、呆然としているところで目が覚めた、 夢分析 昼間見た、NHKアーカイブ昭和の映像記録のせいだろう、私はお召し列車を見たこともないし、ただその時代に逆戻りすることの不安が見させた夢であるのだろう、 袴田死刑囚の冤罪 45年間囚われた人の人生とは、実存ということのモチーフ、テーマである、異邦人そのもの、絶望の世界と人間存在への、カミュ、カフカが、全哲学、全宗教を問うテーマであるということ、 ハイデガーと原爆文学 「存在と時間」~問うことを問う、その問題と意味 「原爆文学」~人間の進化を超えた20万年の問題、結局何を書いたとて、後を生きる人の問題であり、私と私との関係であり、私に限れば、私対世界であるのだった、そこでの哲学である、それがどうして私に留まれないのか、根底を覆すものなのか、実存も本質も、なぜ覆るのか、科学ということか、この科学から、哲学文学を再構成することが必要となるのか、絶望の認識とは想像力の問題ではないということであるのだった、問うことを問う問題などではないのだった、問う主体の無ということ、3.11以降という事であるのだった、 私の絶望感は想像や観念ではないのだった、余命3ケ月の私の生命の問題のような、人間への命の問題であるのだった、実存はそこに誕生はするであろうが、無であり絶望であるのだった、死にゆく人間が、生まれて良かった、ありがとうしかない世界に、そのように人は生まれ死んでいくとしか語れないという、そのことの自明が核というものであるのだった、 オウム、山口組、創価学会、統一教会などの謀略論議、事件の真相など、世界の過去の出来事の真相究明など、どれも核がもつ絶望には対抗できないということ、彼らと言えど存在している、存在しようとしている、ただどのように存在したいかだけである、それが核の前には存在し得ないという絶対無に対し、人の死と同じように、畏れないではいられないのだから、核の絶望こそ人間を人間にするものであるのだった、もし彼らこそが絶望主義者であるのなら、人間はその狂気に自らを見るばかり、彼らの絶望こそ私の絶望であるのだと、絶望して死に至る彼らが私であるのだと、現代、多く人を内面で、底流で支え捉えている感情は、この絶望の意識であろう、この絶望から世界を眺めれば、たとえ自らがその被害者であっても、絶望を抱いて今を生きるは現代の正気であるのだった、世界をやはり絶望、狂気ととらえる視点こそが核への最終考察となるのだった、核に象徴される人間の狂気、絶望こそが現実、実在であることの、その上での実存であるのだった、 終末論、27才クラブ、インドカースト、イスラム原理主義、アウシュビッツ、世界の暗黒史、etc 悲しみの詩も、愛の詩も、感じる心、言葉がない、3.11以降、世界から美は消えた、花鳥諷詠に心が和まない、激しい絶望、激しい怒りだけ心躍らす私がある、私対世界を生きていたかつての私が、轟然と湧いて来た、私対世界には、私対原発、私対絶望、私対人間、私対社会、私対死と、私に対する世界の不条理が含まれてあった、彼らの詩を見て、これらを絶望を通した私の眼で、心で表明してみたいとの心が、ニィチェの心が、絶望を通した私の私への回帰が今ここに戻って来た、長い長い癌からの余命であったのだ、 私対絶望 絶望している時には絶望はわからない、あれがそうだったと、絶望を脱した後に知る絶望という感情と体験、実に絶望とは私の個的な体験であるのだった、癌宣告のあの時、3.11のあの時、つい最近のあの時、これらを経験した後、それらを脱した後、対置する私が戻ったとき、絶望とは何かが見えてくる、絶望とは私の絶望であったことが、原発震災日誌の冒頭の私対原発であるのだった、人間無き後の世界を晴れ晴れとした気持ちで眺めると言った、串田孫一のように、今私も人間の絶望を眺められる、その上で自然へ世界へ、一体の見納めの賛歌の眼で味わい楽しみ、串田孫一の音楽の絵本「冬の記憶」を聴く、楽しかった子育ての時の記憶が蘇り涙が頬を伝う、癌になる前の私の記憶、朝は串田孫一の「朝のバロック」、夜は城達也子の「ジェットストリーム」で終わり、日々生きていることの喜びに満ちていた、万年青に凝り、オーディオ、PCと趣味を楽しみ、生活を謳歌していた、新婚からの20年であった、 もうこの三年、絶望を語り、共感を断ち、エミコ、周りを悲しませてばかりきた、エミコの老け疲れた顔を見ると可哀相に思う、かつて、一体、共感を喜びとしていた私が、この絶望を希望に、私対世界の希望へと向かわねば、絶望に対しては絶望との共感、一体でしか救済はない、「水俣は私」だとは絶望との一体からの、希望の表現、体験であるのだった、「私は癌サバイバー」だとは、私の絶望体験からの希望の感情であった、だとするなら、絶望した世界との一体、「絶望は私だ」が答えとなる、イブ・ボヌフォワの存在と一体も、そうしたものではあるが、彼の場合、絶望世界としての一体であるのかは不明、ただ詩的世界についてのみのような、否定神学の恩寵のような一体であるのだった、 「哲学することが死に方を学ぶことだとすれば、描くこと、あるいは彫ることは、愛し方、生き方を学ぶことだ」~ボヌフォア 私を感じ、考えたいだけ、世界の絶望を感じ考え、この星とこの世界との一体へと、私が末期の眼となって、世界の末期の眼となって、 人類、過去、世界を言葉で表してきた、絶望の時も、希望の時も、みんなこの星で生まれ、この星で死んでいった、草も木も動物も、皆この星の山や土、砂となって、石油やガスと同じ命であった、50億年の風や雨、日の光、この星を包み、命を育ぐくんできた、今や世界は人間の既知として在るのだった、 小さき私の世界を言葉で表すなら 自愛に満ちた母がほしかった、自信に満ちた父がほしかった、愛し合った父母との家族団らんがほしかった、親戚の世話にはなりたくなかった、養護施設には行きたくなかった、勉強がしたかった、早く施設を出たかった、母子寮には居たくなかった、鉄工所の仕事はいやだった、ラジオ工場の流れ作業はいやだった、詩や小説をうまく書きたかった、田舎に居ることが嫌だった、 ついこの間まで神も仏も知らなかった小さき人間が、神や仏のことを語っている、10万年の核廃棄物の上に住むこととなったこの星に、もはや神や仏は居ないのだ、神が作った国はいまや汚染され、神といえど人類消滅後の10万年後にしかこの星の汚染をなくす事は出来ない、罪ある人間は救済されることはない、内部被曝、DNAの負の連鎖、生物連鎖の汚染濃縮、肉体はなんら救済されない、原発、核はこのように人間の過去の論争のすべてに明確な判断を下し、終止符を打つ、神にも似る核という絶対であるのだった、