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続 原発震災日誌65

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続 原発震災日誌65

ブライアン・オールディス「子供の消えた惑星」1964年発表、2029年の設定、
マンデラの民族融和、赦しとは、人間の理想や、希望が可能であった世界でのこと、3.11以降の絶望世界にあって、それはどちらでもよいことに、絶滅していくものに、たとえそれが強者であっても、放射能は差別しない、すべからく遺伝子を傷つけ、いずれ子供の消えた惑星となるのだった、この開けられたパンドラ、緩慢なる核戦争、絶望世界の認識の果てにのみ、正義や愛は成立するのだが、それは滅び行く人間感情の最後の輝きに過ぎないのであった、絶望の果てに、もう人は闘わないだろう、隷属も、支配も、まして競争や健康などと、なすがままの、それは決して諦めでも、屈辱でもなく、自然裡なものとなるであろう、

丸山健二が「トリカブトの花が咲く頃」1200枚を書き下ろした、儚き生を見続けること、それが私の「運命」、5つの命が奏でる奇跡の物語、戦争の終わりとともに、「私」は覚醒する、

私の事柄を無の上に据えるとは

何事からも自由になるということ、イデオロギー、アイデンティティー、価値等の人間が常に生命の欲求に従い行動する、あらゆる事柄から自由になるということ、仏教で言うところの無明ではない、それらの価値、悟りと言ったものからも自在になる、それに変わる存在という永遠、無限を価値とする私へと、かつて私の歴史は、虚無、アンニュィとの闘いだった、人間の本能、欲望と同じように消すことの出来ないものが、この虚しさであった、それは心の休息、遊びであったかもしれないが、私の病気、死と同じように、世界の絶望に対しても、私が出来ることは待ち構え覚悟しておくことだけ、考え方も、これは存在の自然裡、自明であるということの肯定なだけ、生命とは、その上での活動であること、世界がどうであろうと、私は私の癌を通して実存を突破したのだから、

Tとの

私が絶望主義をとなえると、共感は示すものの、それは私の思い込みであり、人間はそれ程愚かでもなく、安定、連続したものであるとの考えがあり、むしろ障害者問題、差別、社会問題にこそ原因があると思考をまとめる、死ぬまでにやっておきたいことに、それらのことを作品化することを加えると、

Yとの

浮遊という感覚、所詮世界などといった虚無、諦観があり、競馬、家庭菜園、DV鑑賞と、快楽に意味を見つけ、どのように生きても同じと、老後の浮遊を生き、自己に囚われない、何もしない人間を描きたいと、

変革の意思、反抗の意思、問いかけの意思、これらの他に、社会一般が求める家庭や、社会的地位、蓄財やらの喜びがあり、それらのために意思はあるのだとの、唯物的、下部構造の幻想から人間を生きてきた人間たち、今や、意思ではない意識を生きる人間が絶望世界にあって誕生するのだった、新しい芸術、文化とは、絶望を背景に意識を生きる形の中にあるのだった、

辺見、大江、鎌田、瀬戸内、落合、丸山、映画人、音楽人、ジャーナリスト、元官僚、一部の政治家、無数の活動家、やり続けている彼らの中に、意思する人としての形がある、辺見、固定はない、意思し、問い続け、何らの方法、スタイルで、我が事として、私として、水俣とは私であると言う人のように、野本三吉の一人から出発しようのように、串田孫一の、絶望をさっぱりとした無人の青空ととらえたように、タルコフスキーの私の地球よのように、タルベーラの私の虚無のように、
状況に対し、不条理に対し、絶望を背景に、存在の等価ととらえ、人を生きることを生き、問いを問い続け、意思を意思し続ける人DNAを生きる形へと、

何故に無の上、絶望の上に私を据えるのか、有のもっている欺瞞性と、非解決、非絶対、非真理、人とは唯物的存在であって、形而上的存在ではないことの、この有限的存在こそが絶望であり、無であることの、この絶望と無とを規定する私とは何かとの、問う中にある私が、私である事の、存在を意味から問うて来た私から、無と絶望から問う私へ、この地点からしか絶望と無は問えないのだった、絶望と無とはそうしたもの、新しき人とは自由なるエゴイスト、掟や法、理念やらと不自由な人間なるものに縛られない、自らを最高善とする、自由なるエゴイストだけがこの絶望に向き合えるのだ、超人でも、神でもない、自らを頼みとする、自らを肯定し、自らを愛し、自らを生きるもの、社会、国家、文化、歴史を配下に置き、自らは無の上に置くという、自尊自立、唯我独尊とはこうしたものであろう、宗教が倫理的、合理的理由付けをしないで、自らを最高存在とする対自の精神であるように、はたして現代の虚無を、虚構、小説形式で、実際の進行しつつある絶望を描く事が可能なのか、原爆を詩で小説で、絵で音楽でと、人は描いてきたが、黒い雨が、原爆の図が、あの一瞬を微塵も描けているとは思えない、個と全体、個人と国家の、人間の邪悪に一体どのように立ち向かうというのか、私においては、私の追及を通してしか、癌が私において、私を追及出来なかったように、

マルセルのニィーチェ批判~神の死と人間~
私の癌以前の、3.11以前の、私の中にあったオプチュニズム的視点を感じ共感がもてない、癌のとき、「希望における現象学的考察」を読み、希望とはアプリオリに存在するからこそ希望となるのだとの考えに同意し、自らの絶望を昇華したのだったが、今思うと、結局希望すらも神秘化、形而上学化されていただけで、現実的人間の希望は語られていなかったと、あの日、私においての希望の感情とは、断念という事に過ぎなかったのだとの、
ニィチェのニヒリズムに対し、マルセルは他人事のように断じているが、自らのニヒリズムは無いのだろうか、人間存在とは、罪と罰の存在ゆえに存在自体がニヒリズムを含む事であるのだが、果たしてマルセルは絶望を個人的には体験していないのではないのか、ヤスパースにしても感じたオプチェニズム、実存とは個人的絶望体験において感じられ誕生するものである、日本の宗教者が幼少時の肉親との死別体験の中から誕生していることと考え合わすと、私において、癌体験以前に実存を体験していたのだった、あの一人という感覚、まさにあれが私の実存であった、かつてニヒリズム、ペシミズムで片付けていたものが、その原因となっている絶望というものが、3.11で露になって、その気分、心が理解、共感できるのだった、世界を絶望と捉え感じ、期待も、希望も持たず、今を生きる、今の中の我の中に、意味と絶対を知る考え、これらが絶望に対する人間の取れる喜びである事の、マルセルは普遍性や、絶対性を求めての事だったが、核の絶望の前にはそうしたものはもはや存在しないのだった、マルセルの「形而上学日記」、あの大著も結局、最後には恩寵の感情に至ることによって閉じるのだった、が、恩寵とは、絶望の世界にあっては、今あることすべてが恩寵であるのだった、絶望主義がけっして禁欲や、文化歴史の否定であるのではない、それに特別な価値や意味付けをしないという事なだけ、今という時に存在する、今の属性と見るだけ、ことさら価値や意味を必要としないという事、なぜなら絶望に対して、それらは意味を持たないから、再びはだまされまいと生きてきた癌からの生還、楽しく幸せに、心地良く、まだ生きられるといった、ニヒルも、ペシミズムも、絶望主義も常に心に抱いて、しかし今在るという至上、
文学や詩やらと、形式、技術が一体どこから発生しているのか、決して絶望からではない、理想や理念、至上なものから、永続、平常の中から、私にとって、芸術はアルタミラの壁画で充分であるのだった、かつてクロイツェルソナタでなぜ音楽が必要かと、風に、水に、音楽はあるのだからと、絶望を背景にした時、これは真に感ぜられるのだった、



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