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映画の都[飯塚俊男/日本/1991]

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映画の都[飯塚俊男/日本/1991]

基本情報
ジャンル ドキュメンタリー /
製作国 日本
製作年 1991
公開年月日 1991/3/25
上映時間 99分
製作会社 小川プロダクション
配給
レイティング 一般映画
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
カラー/サイズ カラー/スタンダード
メディアタイプ フィルム
音声
上映フォーマット 16mm
スタッフ
監督 飯塚俊男
構成 小川紳介
訳詞 マーク・ノーネス
企画 山形市
製作 伏屋博雄
撮影 大津幸四郎
加藤孝信
テーマ音楽 スカルラッティ:(「ソナタL232ト長調」)
録音 浅沼幸一
編集 小川紳介
田村正毅
飯塚俊男
栗林昌史
キャスト
ナレーション 河原崎長一郎

解説

89年に山形県にて開かれたアジア初の国際ドキュメンタリー映画祭の模様を記録したドキュメンタリー。構成は「1000年刻みの日時計 牧野村物語」の小川紳介。監督は飯塚俊男。撮影は「老人と海」の大津幸四郎と加藤孝信が共同でそれぞれ担当。(16ミリ)

あらすじ

天安門事件が起こり、またベルリンの壁が崩壊された年でもある1989年10月、山形を目指して世界各国から記録映画作家たちが集まった。世界の各地で彼らは自分たちの古びて窮屈になった殻を破り捨て、現在の自分たちに相応しい形を獲得しようと激しくもがいていた。それは東欧や社会主義圏の人々ばかりが苦しんでいるのではなく、制度の違いはあってもアメリカの作品もブラジルの作品も自分たちの文化を厳しく見つめていた。だが、アジアからは一本の作品もノミネートされなかった。「アジアでドキュメンタリーの製作が困難なのは何故なのか!?」それを話し合うためにアジアの若い映画作家たちが集まり、映画を作ったスタッフと映画を見た人々が映画と世界について様々なディスカッションを繰り広げる。そして彼らはこの映画祭が今後も持続されていくことを願い、「アジアにおけるドキュメンタリー映画の種を蒔き、いつの日か風と共に舞い上がるであろう!」と、宣言するのだった。


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飯塚俊男 いいづか としお

生年月日 1947年9月19日(69歳)
出生地 日本の旗 日本 群馬県前橋市
職業 映画監督
ジャンル 映画

飯塚 俊男(いいづか としお、1947年9月19日 - )は、日本の映画監督。

経歴

1947年9月19日[1]、群馬県前橋市に生まれる[2]。東北大学在学中の1969年より、小川紳介主宰の小川プロダクションに所属する[2]。1991年、『映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭'89』で映画監督デビューを果たす[3]。その後、小川プロダクションから独立し、1993年に『小さな羽音 チョウセンアカシジミ蝶の舞う里』を監督する[3]。同作は文化庁優秀映画作品賞を受賞した[4]。1994年、製作会社のアムールを設立する[2]。


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フィルモグラフィー

映画

峠(1978年) - 助監督
1000年刻みの日時計 牧野村物語(1987年) - 助監督

  無音の叫び声:予告編 




牧野物語 養蚕篇 映画のための映画(1977年) - 製作
映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭'89(1991年) - 監督・編集
小さな羽音 チョウセンアカシジミ蝶の舞う里(1993年) - 監督
土と木の王国 青森県三内丸山遺跡'94(1995年) - 監督
一万年王国 青森県縄文文化(1996年) - 監督
縄文うるしの世界 青森三内丸山遺跡'98(1999年) - 監督・構成
映画作りとむらへの道(1999年) - 製作
満山紅柿 上山 柿と人とのゆきかい(2001年) - 助監督
菅江真澄の旅菅江真澄の旅(2002年) - 監督
稲と環境(2004年) - 監督
映画の都 ふたたび(2008年) - 監督・編集・製作
街のひかり 深谷シネマ物語(2010年) - 監督
プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生(2012年) - 監督
宮戸 復興の記録 2011-2013(2014年) - 監督

脚注




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