ソクラテスの弁明と本覚坊遺文 弁明が、法律論、哲学、政治の考察であるのに対して、本覚坊遺文は、着想を弁明に得て、日本的な、境地、義、美、又はイジケ、卑屈、遁走、情緒文学となっている、 秀吉に対して、市民国家観から、個人、法を説くのではなく、友情論のような、意地をはって自殺する宋二、利休、織部と、義はこれら三人の死生観、武士の切腹への体面、誉れ観の共有、美とはこうしたものの哀れからくるものと、個の探求、反権力とはならず、疎外の中に美を、哀れさの中で美を見出さんとする、開き直り、精神主義、否定主義、連綿と続いている、万葉、西行、芭蕉、兼好のもののあわれ、花伝書、etcの日本のいびつ、いじけ、ギリシャから2000年後の日本は、未だ縄紋であるのだった、 時間とは 人間が考えているだけで、自然に時間など無い、ただ存在なだけ、有が全て、有から無が考えられるだけ、人の死が無に帰すかのように捉えても、原子に帰るだけの、PCのチップに帰るだけの、ソフトウエアによって存在していただけの、ただの元素であったことの人存在、人が永遠を理解するなら、人は永遠に存在する、現在、今の私は永遠から誕生している存在であることの、ビッグバンの遥か以前から、そして超新星爆発のその後も、永遠に存在して行くものであることの、それが今在ることの、在ったことの絶対性、私の存在への信仰、在るものに、在ったものに、奇蹟性、畏敬、一体感、コムニス(共有)の感情となっている、癌で命を拾ったということは、そういうことであった、 Sも、Iも、T、STさえも 国家を論じ、中国を論じ、私が戦争とは、させる者がいて、させられる者がいるだけ、そんなものに乗せられ、議論していることの滑稽を突く、朝鮮のミサイル、中国の尖閣、韓国の竹島、etc、etc、全てが資本の、軍産学のやらせであることの、テロも、あらゆるニュースも同じこと、スピンコントロール、フェイク報道、マッチポンプ、策略、権力者でもない彼らが、自分の国、自分の土地のように、盗った盗られたと、何ら事実を調べ、知ることもできない彼らが、さも知っているように、私の意見を陰謀、デマと否定し、一笑に伏すことの愚、戦争はじっくり作られ、ある所でそうした人間の愚に付け込んで火蓋が切られるものである、唯一者の意識を、実存の意識、死の意識、人間であることの、それらを考えていないことの、つまらぬ議論をするばかりの、もはや2度と参加しまい、彼ら70、80代の人間だのに、 縄紋美、縄紋文化の問題 岡本太郎が縄紋の美を発見、芸術は爆発だと言って、縄文文化を讃えた、そうした中で、旧石器の捏造事件のように、また考古学の町おこし利用、学会の利権化と、そして日本美、日本民族、日本人は素晴しいへ、火焔土器に美を見る、土偶に、抽象と均整の美がと、私は縄紋に、シャーマン的な、カオス、非論理を見るばかり、非人間化、畏れ、非形式、を見るばかり、土偶が祭器として用いられたからか、人間自覚への、非思考、遮断化を観る。まもなくヨーロッパではギリシャ文明が発生するという時代に、美を探る意識に、過去を尋ねる意識に、人間の現実、現在の喪失を見る、近代とは何か、が問われないままに、ノスタルジー、エコ、復古にと、近代を経ていない日本においては、未だ縄紋を残してはいるのだが、シャーマン、没個人、共同体幻想、 グスコーブドリ ブドリに描かれた、賢治の犠牲精神に、その昔、尊いものを、理想とするものを感じたが、また、共産党員としての犠牲精神、そして民主主義文学の人間像への、また、戦前の転向問題の、また、階級としてのプロレタリアートの、また、才能の有る、無しの、こうした様々の人間としての懊悩を、3.11の核爆発は、私の中から一掃したのだった、捉われてきたこれら一切の無化、タルコフスキーにも流れる、サクリファイスの意識、宗教、文化、あらゆるものに流れている、愛という名の犠牲精神、これらは個人の精神の抑圧としてもたらされ、青春の日より苦悩が、人間になること、立派な人間になることと、しかし、3.11はそれらを一笑に伏した、自由に、好きに、唯一者を生きたらいいのだと、3.11は人類の絶望では有るが、人類の出発でもあるのだった、 キリスト教の殉教、仏教の利他心、共産主義における自己犠牲、そして親の子への、神は死んでも、人は信仰、信念、共同体、家族、主義、貧しく、弱き者の為にと、尽くし、犠牲となることを讃え、それらを愛と呼び、他者に強要する、津波におけるてんでんこのように、核汚染地帯の、帰村ではなく移住、愛国ではなく、安全な国へのように、人を助けるではなく、自らが生きるだけで充分な、全ての意味を剥奪された、3.11以降の世界での、最期の人々の、新しき精神とはどのようなものが、汚染地で、人の為に、人の助けに、人と共に生きるに、美に、真理に、自由に、などの意味を感じ、見出すことはできない、人間の過去の文化が、何を以ってしても役に立たない、結局は絶望を肯定、受容して、今在ることを感謝する、死す迄の喜びとする、癌患者の心となる、他者の価値、喜びは知らず、私対世界としての今となるのだった、厭世でも、虚無でもない、私による私の世界の所有、 愛の喪失は人間を非人間化すると、過去の人間文化は愛を崇高化してきたが、絶望の肯定、共有こそが、愛は自在さを持ち、自らの意思で羽ばたくようになる、 縄紋美 ○15000年前より温暖化が進み、人口は20数万人に、栗が主食、 ○4000年前より寒冷化で人口は7万人に、栃の実を食べ、 ○火焔土器は祭器として、木の実を入れる器として、紋様には何種類かあって、夫々に意味が有る、 ○火焔に対し、水焔土器もある、山梨、 ○環状石の石は、集落の中心にあり、墓である、 ○その昔、貝塚は人も動物も一緒に埋葬し、 ○土偶は自然、環境変化への抵抗、祈り、出産、 ○仮面、アクセサリーは鎮魂、魔よけ、 ○貝塚の場所は、かつてそこが海であった、 こうしたことは知識でおぎなえることだが、これらを日本回帰、自然回帰のもとに、美化、作為化がおこなわれ、侘び、寂び、もののあわれ、近代の超克、縄紋文化圏、大東亜共栄圏と、日本美化、日本帰属意識へ、はては神国日本、天皇崇拝へと、文明崇拝、歴史崇拝における、実存、時間、現在の喪失、森有正もヨーロッパ賛歌を、三島はギリシャ賛歌を、かつて私もブッシュマンを、過去文化を讃美することの現在の喪失、過去文化とは、そこに美を、そこに価値を見つけたとしても、発達史なだけ、人間の営みなだけ、西洋も、アジアもない、人間の存在なだけ、日本を縦社会、前近代的共同体社会、個の未確立社会と分析したとしても、核汚染の世界とはそうしたこと、美も、価値も、真実も、一般化、物質化したということ、特殊でも、理想でもない、ただの存在なだけ、 ヒックス粒子 空間に重力をもたらす物質、空間はゆがんでいるとする、それによって光は曲げられる、ブラックホールの存在、etc、etc、物質の中に存在する空間という概念、その空間を圧縮したら数センチの固体になる、その物質の元を知りたいと、EUの巨大サイクロトロン、100年を超えられない人間が、2万年を超えられない人類が、250億光年を想像してみるだけ、空間とは、どんな物質があろうが無かろうが、只有るもの、亀の上に象が乗っていて、その上に地球が有ると考えたとて、有ることには変わりはない、無いことを説明はできない、宇宙の起源は、物質の起源はと、科学と言うものが挑んできたが、只有ることを亀の上ではなく、原子の、素粒子のと、極小に、極大にと、しかし有という無限大が存在していることには変わりは無い、
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ソクラテスの弁明と本覚坊遺文
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