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日本人という意識

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日本人という意識

人はどのようにして日本人という意識を持ち、そのことを拠り所とするようになるのか、Tはじめ、戦前の人間には特にその意識が強い、戦後の私、又その子供たちに特別な日本人意識はない、拠り所とはならないから、日本の美や、伝統やらが、何ら誇りでも、優れていることでもないことを、世界の文化のバリエーションの中で知っている、イデオロギーでも、ナショナリズムでも、理想主義でも、絶望主義でもない、現実主義の、存在主義の彼ら、わが子を見ていて思う、彼ら、飲み食い遊び、働き、友達と集い、思いやり、つながり、有ることの味わいを基本に、絶望を見据えて、今を生きている、

唯我主義ということ

絶望主義が世界に対する、社会、国家に対する絶望であって、私への絶望ではないということ、一人一人の人間に対しても、絶望主義ではない、唯我主義、絶望世界においても、人に在る精神主体への確信と意味、唯我主義がないことへの絶望、悲哀であるのだ、唯我、個、利己、エゴと、私対世界は、私固有の死から導かれた感情である、世界の絶望に抗する唯我をシュティルナーに習って、深め力としなければ、あらゆる哲学、文化芸術のアカディミズムの覆いを取り除くなら、現われる唯我、私対世界の姿をこそ、

私対宇宙の関係

無限大の、かつて何故そんな無限が在るのか、一体無限とは何かと、小学4年の心に湧いた不思議を、70のこの歳において抱く心、無限の中の銀河、その中の太陽系、その中の地球、その地球誕生50億年後の、2万年後の、70年の私という存在、この無限を24時中もっているという意識、無限の中の私、私はこの無限とつながり、一体であるという、そこには神も時間も空間も、全て含まれて在るという、もちろん人間文化歴史など何者でもない、宇宙という無限という存在、そこに私は存在しているという意識、

私を生きるとは

世界が、利権と権力構造によって支配されているとする、それでどうなの?と、世界の陰謀、矛盾、不正を暴き、それを知ったからといって、それでどうなの?と、革命も、抵抗も、神、愛さえも利権、権力であると、それでどうなの?と、人の病気、死さえも、人為の、核etcの汚染によって引き起こされている、それでどうなの?と、人を生きるとは、世界がどのようであっても、存在している私を生きるということ、無から誕生した、奇跡の私を生きるということ、

辺見も丸山も

辺見は諧謔を駆使して、怒鳴り続けている、丸山は高踏的にやっている、大江は自分に帰っている、高橋は虚無に抗っている、山口は行動に埋まっている、
3.11以降を、世界として、これは一体なんだろうと、見つめ、対象化しなければ、この世界と人間とを、絶望のアウシュビッツであっても、カメラマンが死に逝く人をカメラに納めるように、私への問い、世界への問いを、それが、唯我、私対世界、

TKの膵臓癌

私の癌を問うように、TKの癌を問わねば、TKがどうであっても、TKとの時を、今日こそは病院へ行かねば、玄界原発から25キロ以内の住民には、癌発症11倍のデータ、東海村、福島からの、プルトニウム飛来、茨城育ちのTK、プルトニウムが膵臓に、Mも千葉に住み、がん細胞は、1個から起きるのだから、1個の放射線であっても、発癌するのだった、低線量被爆とは、内部被爆とはそうしたもの、

タルコフスキー〜映像のポエジア〜

私の生い立ちを、タルコフスキー的に捉え直してみようと、書いては見たが、本日は意欲失せ、Yが何もすることんなかないよ、と私の創作行為を終始揶揄して死んでいったが、昨日はTKの見舞い、自然界の調和においての、人間の存在を了解し合い、TK、死はもう肉体に任せたと、死が近づいてきて、肉体と精神が変化してきたと、一日一日を死と一緒に味わっていると、

夢を見た

精神病者を、治療と称して、集団生活をしている集団と出合った、彼らはスピニチアルや、考古学をやっていた、ある日彼らの集会に参加したら、気が合い、後に我が家にもやってきて、ワイワイと芸術論を交わした、その後彼らのキャンプ地に遊びにも行き、遺跡の発掘やら、スピリチアルの瞑想体験もして見た、するとその体験は有料で、一度に30万払うか、月々2万5千円にするかと言って来た、これは詐欺集団だと思い、逃げようとしたが、全員がグルで、私はカモである事が分り、私が逃げないように、下半身は裸にされ、靴もどこかに隠され、まだ私に知られないように、私を新入会員として、皆で歓迎会をするようだった、子供までが、洗脳されているようだった、私にどうしてここに来たのかと聞いてくる、適当に話していると、私をどこかのスパイのように、疑い始めた、隙を見てその場から逃げだしたが、誰も追って来ない、街中に、病院を装って建っていたその施設、飛び越えられそうな塀が取り巻いていた、私は何食わぬ顔で塀に近づき、塀によじ登ろうとしたら、突然一人の若い女の看護師が笛を吹いた、すると一斉に子供や大人達が私に迫ってきた、塀さえ飛び越え、街中に出れば逃げられると、私は懸命に走った、

夢分析
昼間、Tと議論したとき、考古学の捏造事件をフト思ったこと、Tへ私の文学論をぶっつけ、Tから反撃を食らったこと、帰って不正選挙、テロのニュース、五輪利権とヤクザ、etc、etcのネット情報を見て、それらをリツイートして後、Tの思考と意識を分析して寝た、夢の背景は、昔、本のセールスをしていて、身障センターへ行ったとき、身障センターというものが、どういうものかを知らず、誰かまわずセールスしていたら、職員に彼らは皆患者ですよと言われ、自分の無知を笑った、又そこの職員が精神病者と一緒に、保安処分に反対してデモをしているのを見て、彼らと共に生きる健常者がいることも知った、そして、宗教、慈善団体の寄生集団とまやかしの闇を知り、多くの活動家がハニートラップに、金の誘惑に引っかかっている姿を見て、自分も初期において、何か女の性や、人間の群れ、集団への共感が落とし穴であったと思い当たり、プラトン、タルコフスキーにさえも、精神、神秘を描くことの危険を感じた、それはカミュの師である、グルニエが問う、仏教の危うさの指摘と似る、有正にもどこか感じるのだ、ギリシャ、ローマへのノスタルジア、そしてリルケにも、スピリチアル、精神、神秘、太古、宇宙、無、どれも宗教と違わぬ、人間の唯一者としての意識の喪失であるのだった、


原水爆禁止運動と反原発運動

原水協がイデオロギーで分裂した、また市民運動も同じ問題を繰り返して来た、そんな人間はいずれ原発、核も容認して行くということ、運動の問題を組織の問題とする点、否、運動を個人の意識と、個人の行動とする点の違い、組織、イデオロギーではなく、木を植える男のように、生涯を反原発で貫く一人ひとりの集まりが反原発の運動にならない限り、戦争と反戦、抑圧と抵抗、殺す者と殺される者、支配と被支配と、存在を対立、矛盾で捉える見方、そうであってもなくても、誰の支配であっても、核と言う汚染世界で、アウシュビッツ行きの列車で喧嘩をしているようなものであることは、誰にも分っているはず、が、喧嘩はやまない、

ああ、ひめゆりの塔

過去、何本の戦争映画を見たことか、がどれも史実、又は事実以上のものを描けていない、戦争というものの本質から来る、犯罪、人間の罪、観る者を裁く、観る者を罰する視点の映画が、今こそ必要であるのだった、そんな映画はないのか、日常のファシズム、小市民の排他性と戦争、死刑制度容認と戦争、障害者差別と戦争といった、原罪ではない、日常の罪を問う視点、見るものへの視点を持つ、核戦争で消滅する人間社会にあって、戦争の意味は、自殺の考察、戦争自体が無化されている現実への、絶望が無いなら、

人間を生きる

3.11以降、生きることを生きる、私を生きる、という感情が乏しい、生きることを生きるとは、私という人間を生きることを通してしかないのだが、癌生還以降の何年間かの、あの私を生きた感情が、世界の仕組み、状況の知識、収集に捉われ、原発日誌の使命感さえも遠い記憶になりそう、癌の記憶が5年経ち、天国感を世界に描いたような、再生の私の感情は未だ現われず、3.11とは私の肉体のことではないからなのか、たとえ福島に住んでいたとしても、天国感はないのか、3.11はそれだけのものであったのか、人間の、地球の、全生命の、問題と捉え書き続けてきたものが、もはや癌生還ほどのものとはなり得ないのか、私を生きることを通して、人間を生きることが、人間を生きるとは、3.11を生きること、あの絶滅の、滅亡の記憶を、あの癌の虚無、痛みを忘れないで、生きることを生きるとした日々のように、

TK手術

40歳頃より、30年近い交友、Oのような依存、交感する関係ではなかったが、意見を互いに聞きあい、同感しあう仲だった、それが、先日突然に、膵臓癌で余命幾ばくと、私も彼が去ることの受容はしたが、今日の手術は、開腹して転移を見ることと、胆道の確保、少しは良い方向に、体力、意思が向くことができるだろう、が、いずれ癌は多臓器へ影響を与え、死へと、
本日のドキュメンタリー、チェコの「百年の夢」、何人かの老人の生き様を追ったもの、「人生にとって大事なものは」との質問に、「愛でしょう」で終わらせた、老人達、死の自明さを持っていた、生の充実も、そして死んだら、もっといい世界が在るかも知れないと、

タルコフスキーの

理詰め、美意識が鼻につき、仲々再読が進まない、結局、方法論になってしまい、タルコフスキーの言う、モチーフの意味や発見ではないのだった、美を作るように絶望は作れない、理詰めではない、絶望感から来る文体となるのだった、この何年間かの絶望だらけの中からの私の文体をと、

下流老人

原発、地震、寒冷化、経済破綻、世界戦争へと、絶望が渦巻く中で、下流老人も、子供の貧困もないのだが、死は自死で、生は生きた記憶でいいだろう、
世界憲法とは、地球に住む人間および全ての生命が、健康で調和を持って生きる権利を有する、飼われているペットも家畜も、自然の動植物も、再生可能、自然調和の中に生きる権利を有する、
人間に、文化が何故に必要だったのか、自然調和から外れた社会生活を営む為に必要だっただけ、自然調和の中にあって、何の学問が、剰余価値が原因、欲望が原因と、自然エネルギー、エコロジカルへと、が、今必要なことは、癌を生きるように、核汚染を生きるという、存在との調和、存在している、存在しただけでという、有る、在ったことへの、








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