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メンデルスゾーン - フェリクス・メンデルスゾーン (Jacob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy)13

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メンデルスゾーン - フェリクス・メンデルスゾーン (Jacob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy)13

メンデルスゾーンは1837年3月28日に、フランスのプロテスタントの聖職者の娘、セシル・シャルロット・ゾフィ・ジャンルノー(Cecile Charlotte Sophie Jeanrenaud 1817年10月10日 - 1853年3月28日)と結婚した[71]。2人は5人の子に恵まれた。カール(Carl)、マリー(Marie)、パウル、リリ(Lili)とフェリックス(Felix)である。下から2番目のフェリックス・アウグストは1844年にはしかに罹り、以後健康を取り戻すことなく1851年に死去した[72]。最年長のカール・メンデルスゾーン・バルトルディ(ドイツ語版)(1838年2月7日 - 1897年2月23日)は著名な歴史家となり、ハイデルベルク大学とフライブルク大学で歴史の教授を務めた。最後はフライブルクの精神病院で生涯を閉じた[73]。パウル・メンデルスゾーン・バルトルディ(1841年 - 1880年)は有名な化学者で、アニリン染料の工業的生産において先駆的役割を果たした。マリー(1839年 - 1897年)はヴィクトール・ベネッケ(Victor Benecke)と結婚し、ロンドンに住んだ。リリ(1845年 - 1910年)は、後にライプツィヒ大学の法学の教授となるアドルフ・ヴァッハ(Adolph Wach)と結婚した[74]。家族の紙類はマリーとリリの子どもたちに受け継がれ、メンデルスゾーンの草稿の膨大なコレクションの基礎を形作った。中には「グリーン・ブックス」と呼ばれる彼の書簡も含まれており、現在これらはオックスフォード大学のボドリアン図書館に収蔵されている[75]。妻のセシルは夫の死から6年弱の1853年9月25日、彼の後を追った[76]。

総じて、メンデルスゾーンの人生は同時代のワーグナー、ベルリオーズ、シューマンなどに比べると遥かに平凡なものと思われる。ただし、例外は1844年10月に出会ったスウェーデンのソプラノ歌手、ジェニー・リンドとの関係である。ロンドンの王立音楽アカデミーのメンデルスゾーン奨学基金[注 19]保管されている、リンドの夫で作曲家のオットー・ゴルトシュミットの宣誓供述書には、1847年に当時未婚であったリンドに対して、メンデルスゾーンがアメリカへ駆け落ちしようと誘った書面に関する記載があるとされている。この宣誓供述書には公開の要望があるが、封が開けられていながらもメンデルスゾーン奨学基金が閲覧を許可していない[77][注 20]。

メンデルスゾーンはリンドと何度も会っては仕事を共にし、彼女のためにライン川の乙女ローレライ伝説に基づくオペラ「ローレライ」に着手していた。しかし、この作品は彼の死によって未完に終わっている。彼はオラトリオ「エリヤ」にハイ嬰F音を用いたが、これはリンドの声を念頭に置いたものだったとされる[注 21]。しかし、彼女がこのパートを歌ったのはメンデルスゾーンの死後、1848年12月のことであった[81]。彼は1847年にマイアベーアのオペラ「悪魔ロベール」の公演に出席した。彼はこのオペラを軽蔑していたが、アリス役となったリンドのイギリスデビューを聴くためであった。彼に同席した音楽評論家のヘンリー・チョーリー[注 22]はこう記している。「私はここに書いているような、メンデルスゾーンの彼女を楽しむ笑顔を目にした。リンドの才能は底知れず、彼はこちらを振り返って私を見みなが、心から不安が消えたかのような表情をした。彼の彼女への愛着である。リンドの歌手としての天賦の才は無限大だが、彼が彼女の成功を願う思いもまた限りないものである[82]。」

メンデルスゾーンの死に際して、リンドはこう記している。「(彼は)私の精神を満たしてくれる唯一の人でした。彼を見つけたと思った途端、また失ってしまったのです。」1869年、リンドはメンデルスゾーン生誕の地であるハンブルクに彼を記念する飾り板を掲げた。1849年にはメンデルスゾーン奨学基金を設立し、基金は2年ごとにイギリス在住の若い作曲家に対しメンデルスゾーンを記念した賞を与えている[77]。1856年の受賞者第1号となったは、14歳のアーサー・サリヴァンであった。

作曲家として

作品についてはメンデルスゾーンの作品一覧をご覧ください。

リチャード・タラスキンが指摘するように、メンデルスゾーンは非常に幼い年代から極めて優れた作品を生み出してはいたが、

彼は早熟な幼年期の様式を脱することはついになかった。(中略)彼は保守的なスタイルにとどまり続け(中略)「革命的な」新しさを提示して注目を集める必要性を感じていなかった。彼はキャリアを通じて、かつての音楽に誠意をみせることをよしとしていたのである。かつての音楽とは、彼の時代には既に終わったものと考えられていた古典派形式のことである。彼のロマン主義は既に最初期の頃より明らかであり、非常に因習的、客観的基質の音楽的「描写」となって現れていたいた。(ただし、優雅な装飾を施されてはいたが)[83]

このように、彼は同時代のワーグナーやベルリオーズ、またシューマン、ショパンとさえも大きく異なっていた。この節では上記指摘を踏まえ、彼の作品を作曲年代順ではなくジャンルごとに眺めていくことにする。


初期作品

若いメンデルスゾーンは幼少の頃よりバッハ、ベートーヴェン、モーツァルトの音楽に大きな影響を受けており、12の 弦楽のための交響曲にもその痕跡が全てみてとれる。これらの楽曲はメンデルスゾーン家での内輪の演奏会用に書かれたものであり、彼の死後も長い間出版も演奏もされなかった。作曲年代は1821年から1823年であり、その時彼は12歳から14歳であった。

メンデルスゾーン作品で最初に出版されたものは、3つのピアノ四重奏曲である(1822年-1825年 第1番 ハ短調、第2番 ヘ短調、第3番 ニ短調)。しかし、彼の驚くべき才能は、特に次の作品群に早熟さとして現れることになる。

弦楽八重奏曲 (1825年)

序曲「夏の夜の夢 序曲」。全曲版も、当時メンデルスゾーンと親しい付き合いのあったアドルフ・ベルンハルト・マルクスからの影響を受けている。

2つの初期弦楽四重奏曲:第1番(1829年)と第2番(1827年)。両曲とも彼が熱心に研究したベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲(第12番、第13番、第14番、第15番、大フーガ、第16番)の技法と発想をしっかり掴み取った内容となっている[84]。

これら4つの作品では形式、和声、対位法、色彩感そして作曲技法が直感的に把握されており、しばしば指摘されるような彼のモーツァルトを超える早熟な学習能力が如実に示されている[85]。

交響曲

メンデルスゾーンの成熟した交響曲群は、作曲順ではなく出版順に番号が振られている。作曲順に番号をならべると第1番、第5番、第4番、第2番、第3番の順になる。第3番に関しては、彼が10年以上も作曲に取り組んでいたこともあり、どこに位置づけるべきかは悩ましい問題といえる。彼は第5番に着手した後すぐに同曲のスケッチに取り掛かったものの、全曲を完成したのは第5番と第4番の後となった。

「交響曲第1番 ハ短調」はメンデルスゾーンが15歳の1824年に書かれた、フルオーケストラを用いた作品である。この作品は実験的なもので、ベートーヴェンとウェーバーの影響が見られる[86]。メンデルスゾーンは初めてロンドンを訪れた1829年に、ロイヤル・フィルハーモニック協会管弦楽団を指揮してこの曲を演奏している。第3楽章には八重奏曲の第3楽章スケルツォを管弦楽編曲したものを代用した。この形で曲は成功を収め、彼のイギリスでの名声の礎を築くことになった[87]。

1829年から1830年に、メンデルスゾーンは「交響曲第5番 宗教改革」を作曲した。これはルーテル教会300周年を記念したものである。メンデルスゾーンは曲の出来に満足しておらず、総譜の出版を認めなかった[88]。

「スコットランド交響曲」として知られる「交響曲第3番」は作曲と改訂が断続的に続き、それは1829年(彼はホリールード宮殿訪問の際に開始主題を書き記している)から1842年まで及んだ。この年に同曲はライプツィヒで初演され、これが公開演奏された彼の最後の交響曲となった。この曲はロマン主義の中にスコットランドの空気感を思い起こさせるが、中にスコットランド民謡の旋律が引用されているとして同定された例は確認されていない[89]。

メンデルスゾーンはイタリア旅行から着想を得て、「イタリア交響曲」として知られる「交響曲第4番」を作曲した。彼は1833年に自らの指揮でこれを初演したが、その後も改定を計画しており、生涯この曲の出版を許可しなかった[90]。

メンデルスゾーンの合唱交響曲(英語版)である「交響曲第2番 変ロ長調」は『賛歌 Lobgesang』と銘打たれており、ライプツィヒにおける印刷技術発明400周年を祝して書かれたものである。初演は1840年6月25日に行われた[91]。

他の管弦楽曲

Two staves of printed music notation
Op.61の結婚行進曲の主題を含むトランペットパートの抜粋

メンデルスゾーンは1830年に演奏会用序曲「フィンガルの洞窟」を作曲した。これは1820年代終盤に、彼がスコットランド各地を訪れた際に得た霊感がもとになっている。彼はグランドツアーの一環としてヘブリディーズ諸島、スタファ島のフィンガルの洞窟を訪ねた。非常に強い感銘を受けた彼はその場で序曲の開始主題を殴り書きし、それをその日の午後に実家宛の手紙に加えて発送したのである。

キャリアを通じて、彼は他にも多くの演奏会用序曲を作曲している。中でもよく演奏されるのはヴィクトル・ユーゴーの戯曲「リュイ・ブラース」の慈善公演のために作曲された序曲「リュイ・ブラース」であるが、メンデルスゾーンはこの戯曲を毛嫌いしていた。また、同じく演奏機会の多い序曲「静かな海と楽しい航海」は、ゲーテの2編の詩「海の静けさ」と「楽しい航海」を題材にしている。序曲「美しいメルジーネの物語」も知られた楽曲である。

1843年作曲の付随音楽「夏の夜の夢」は有名な「結婚行進曲」を含むもので、前述の序曲から7年後の作曲となる。

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メンデルスゾーン:詩篇第42番, 第98番, 第114番, 第115番(シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊/シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム/リリング)

MENDELSSOHN, Felix: Psalms 42, 98, 114, 115 (Stuttgart Gachinger Kantorei, Stuttgart Bach Collegium, Rilling)

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メンデルスゾーン:詩篇カンタータ全集(ヒムニア室内合唱団/ロイトリンゲン・ヴェルテンベルク・フィル/マット)

MENDELSSOHN, Felix: Psalm Cantatas (Complete) (Chamber Choir Hymnia, Württembergische Philharmonie Reutlingen, Matt)

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メンデルスゾーン:詩篇集(グルベンキアン合唱団&管弦楽団/コルボ)

MENDELSSOHN, F.: Psalms (Corboz)

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メンデルスゾーン:宗教合唱曲集(ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団/ビラー)

MENDELSSOHN, F.: Sacred Choral Music (St. Thomas Choir, Leipzig, Biller)

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メンデルスゾーン:宗教合唱作品集(ヨーロッパ室内合唱団/マット)

MENDELSSOHN, Felix: Sacred Choral Music (Chamber Choir of Europe, Matt)

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メンデルスゾーン:「高き天よりわれは来れり」/マニフィカト ニ長調/「わが祈りを聞きたまえ」(フレーミヒ/クノーテ)

MENDELSSOHN, Felix: Vom Himmel hoch / Magnificat in D Major / Hor mein Bitten (Flamig, Knothe)

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メンデルスゾーン:テ・デウム ニ長調/レスポンソリウムと讃歌「晩課の歌」/3つのモテット/「時は今」(北ドイツ・フィグラル合唱団/シュトラウベ)

MENDELSSOHN, Felix: Te Deum in D Major / Responsorium et Hymnus, Vespergesang / 3 Motets / Hora est (North German Figural Choir, Straube)

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メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」/最初のワルプルギスの夜(ヨーロッパ室内管/アーノンクール)

MENDELSSOHN, F.: Midsummer Night's Dream (A) / Die erste Walpurgisnacht (Chamber Orchestra of Europe, Harnoncourt)

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メンデルスゾーン:モテット集/詩篇集(ラ・シャペル・ロワイヤル/コレギウム・ヴォカーレ/ヘレヴェッヘ)

MENDELSSOHN, Felix: Motets / Psalms (Herreweghe)

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メンデルスゾーン:モテット集(ミュンヘン・ホーフカントライ/アンテルベルガー)

MENDELSSOHN, Felix: Motets (Munich Hofkantorei, Antesberger)

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メンデルスゾーン:オラトリオ「アタリア」(シュペリング)

MENDELSSOHN, Felix: Athalie (Spering)

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メンデルスゾーン:歌曲集 - Opp. 41, 48, 59, 88, 100 (RIAS室内合唱団/ラーデマン)

MENDELSSOHN, Felix: Lieder - Opp. 41, 48, 59, 88, 100 (RIAS Chamber Chorus, Rademann)



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