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続 原発震災日誌21

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続 原発震災日誌21

エゴイストは己を理念の道具だの、神の器だのとはみない、ただ己を生き尽すだけである、人類がうまく過ごす事など気に止めない、唯一なる私自身の上に私の事柄を据える、死にゆく創造者において立ち、

シュティルナー(1806-1856)

スピノザ (1632-1674)「エチカ」1662
カント (1724-1804) 「純粋理性批判」1781
フィヒテ (1762-1814) 「全知識学の基礎」(1794)
ヘーゲル (1770-1831) 「精神現象学」1807
ショペンハウアー (1788-1860) 「意思と表象」1819
フォイエルバッハ (1804-1872) 「死と不滅性」1830
ブルーノ・バウアー(1809-1882) 「無神論者・反キリスト教徒ヘーゲルに対する最後の審判のラッパ」1842
キルケゴール (1813-1855) 「死に至る病」1849
マルクス (1818-1883)「資本論」1867
ニーチェ (1844-1900)「ツァラトウストラ」1885
パラント (1862-1925) 「ペシミズムと個人主義」1914
ジャン・グルニエ (1898-1971) 「孤島」 1933
アルベール・カミュ (1913-1960) 「シーシュポスの神話」1942

ヘーゲルの市民社会における欲望の体系が個人の犠牲の上にあることを肯定しつつ進歩、
ヘーゲル的テーゼが他者のためにする存在、
その一回的生の中で有限の「滅ぶべき」この現在の中で充足を求めるものと、「類」の生において、未来に仮託するものとの、
私の存在意味を国家や社会が奪ったことの碇なのか、

文化、芸術とは無関係な、何か違った原理で生きている彼らによって世界は無化されたことへの、彼等、現在も無関係なのだった、核ミサイルと、原発と、全文化、全歴史への挑戦のように、
3.11を悪霊、ペスト、青ざめた馬、ストーカー、サクリファイス、ツァラトウストラ、リルケで考えてみる、

絶望の上に私を据えると、この世界の全ての愚行に涙が出てくる、全て私で愛していくにしても、

がん患者が語る、意味と未来、対社会、対国家、対人間ではない、3.11の絶望は未だ定義出来てはいない、今や日本沈没が、世界の滅亡が、想像から現実に、それに留まらず、使用済み核燃料が手がつけられず、世界を汚染し続け、無責任、無知が、
癌患者が絶望の中で、抗がん剤を打ち続ける愚行ではなく、がんと闘うではなく、生きる意味を問う、私対世界をどのように、
絶望の上に据えた、立った私であるのだが、刻々の病気の進行があって人は覚悟を決めていく、核の被曝の進行が、20年、30年のスパン、癌患者、もし私の生命が助かるのなら、地球と取り替えても構わない程のエゴイズムが人にはあるのか、地球の未来を憂えて人は死ねないのか、
縄文杉が7000年生きている、人が2000年、いや産業革命後200年位のことだろう、この世界の破滅がこの人によって、
現代を絶望の上に据える視点というより、現実であることの、三分の一が飢え死ぬ、生物の絶滅、そして人類の絶滅、予測され、進行していく中で、絶望の上に世界を据えない人間は、浮かれ、盲しいている、または虚無に憑かれている存在、核の絶望の上に世界を据える、私がいかに私の癌を通して、絶望の上に私を据えたかを、今少しこの世界に居たいと思った、あの時の私でもって、この絶望を、この世界を、タルコフスキーのように、文学でどのように、

人間の未来が見えるから、いずれ絶滅へ、今の存在とは奇跡的であるのだから、核戦争からの、原発災害からの、偶然に助けられただけの、この瞬間にも進行している絶滅への未来、世界の核汚染、迫る地震活動期の中にある原発、核施設、私が癌に罹って、私は、今の今日という存在を、見納めのかけがえのない時として生きる、私対世界という、私の生命さえ、私の時として、いつ核戦争が起きても、いつ次の原発震災が起きてもいいように、今の今日を愛し、味わい尽くして生きてと、

核戦争、核開発とは、人間の癌のようなもの、人がやっていること、人の中に常に発生する癌細胞のように、免疫機能が強い時は、癌細胞を死滅させるが、弱まればまた拡がり、転移する、世界の反核運動に似る、
湯川秀樹が「人類は生き残れるかも知れないと」希望を語ったが、マルセルは、「希望とは人の認識を超えて存在するから希望なのだ」と、が、開けられたパンドラの邪悪は二百万年に及び、消えることは無い、どんな希望的観測も打ち砕く事実、人とは、有機物の数電子ボルトの細胞結合で生きている存在、放射能の数億電子ボルトというエネルギー、時を経て明らかとなる、遺伝子への毀損、取り返しのつかない無知、希望的観測、人存在の前癌症状、癌と同じ、痛くも痒くもないのだった、人の頭上に原爆を落とす人間と、原発を推進する者と、直ちにではないだけの、人、生命、DNAへの殲滅行為、
私が世界に原爆を落とすとする、地上では何十万人が死ぬとする、地球も、人間、生物も皆自分のものだとする、壊すのも勝手だとする、私が生きるのも、君が死ぬのも、私の勝手で、私が生きることが、君が生きることだと、いずれ大した存在ではないのだと、殺す方も殺される方も虚無に侵されている、全身癌に侵されてしまった人類、自分の命に対しては覚悟して生きてきた、それが世界の覚悟にまでは到っていなかった、あらゆる哲学が、世界の覚悟は出来てはいなかった、シュティルナーといえど、創造的無という虚無、絶望、消滅の上に、私、世界を置いてはいなかった、今世界は、覚悟の時に来ているのだった、一日に300種絶滅しているという無数の種、世界の絶望の上に、誰もが本気で人類は絶滅したほうが良いと、絶滅していく生命に変わって思っているのだった、人間はもう充分に楽しんだと、あとはいつ絶滅してもいいのだと、みんな絶望の上に自分を据えて今を楽しんでいるのだ、絶望の上に哲学、文学を据えること、私の絶望の上に、私対世界を構築すること、シュティルナーの限界を超える、私の「唯一者とその所有」を

未だ尾を引いている十六歳の心、自分にとっての問題が、問題だということ、芸術は、苦悩も幸福も、個人の問題であり、政治は、苦悩も幸福も、全体の問題である点、そして人は先ずもって喰わねばならぬ点、社会的には政治的、経済的なものが優先され、政治的人間へも、経済的人間へも、人は進みうるのだった、十六歳の私の葛藤、自己の境遇、追い立ちからだろう、芸術的、文学的に昇華を探り、哲学では実存を、政治では共産党を、が根底の、自己の境遇、経済的なものは何ら解決はされず、葛藤の状態は、結婚するまで続き、嘉樹誕生で、政治的生活から足を洗い、私対世界の構築へ、40歳の癌体験を経て、その構築は完成し、そして今、3.11を通して、私を、無の上、絶望の上にと、
個人の死は、無や絶望ではなかった、覚悟の問題であった、癌サバイバーにあって、これら政治、文化の問題は何ら関心とならず、世界は、世界の中の芸術文化は、死にゆく私への受容の触媒にすぎなかった、癌患者が癌を生きることこそ、絶望の上に私を置くことであった、アウシュビッツで、死刑を待つものにとって、解放や時に十年も先延ばしの死への希望があるが、癌患者にとって余命とは、覚悟はしていても、短いのだった、余命一年などと、体調とあいまって、頬に張り付く不安、虚無、諦めの断絶、私対世界だけの世界、一人誰知られることなく朽ちていく世界、誰もが、家族には、友には、時に隣人に、しかし、孤独死のように、一人、私対死、この世に生を受けたことの意味は、生きものが感じているものと同じ、私対この世界なだけ、鴉が鳴いている、仲間が呼びかけてはいるが、時がくれば一人で死んでいく、放射能があろうがなかろうが、絶滅とは全体のことであり、個の死とは、早いか遅いかだけのこと、希望は悠久の時の中へ、無、沈黙こそ希望であると、
やはり私対世界の、唯一の、生きものの私とこの世界の関係からの感じは、言葉だろう、形式ではない、美ではない、私の感じ、これが私の究極だろう、見納めとか関係なく、私対世界の、原発も、地震も、絶望も、私対世界としての、そこに意味や、概念、定義などしない、ただ私対世界の、その背景にあらゆる人文化の、歴史の意味が内包された、私の言葉、私の感じ、

今世界で誰か、この世界状況に絶望している者はいないのか、誰もが希望を信じている、絶望の中にも希望が、未来があると考えている、絶望がわかっていない、癌になったことがない、なったものにはわかる、転移しているものには解かる、プルトニウム1日10個吸い込む全人類、全生物、10年で36000個50年で18万個、もう全員癌で死ぬ運命、50年を待たず死ぬ日が、2050年で訪れ、昔の人は100歳まで生きた人があったんだって、平均寿命だって80歳をこえてた時があったんだってと、2100年頃の人間は1億人たらずとなって、人類の行く末を嘆いているのだった、縄文時代に帰った地球で語っている世界、文化遺跡は未だ残ってはいるが、ジャングルに覆われ、人間は奇形のため、絶滅寸前となり、



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