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続 原発震災日誌31

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続 原発震災日誌31

夢を見た

福島になぜか私は住んでいた、一時的だという気安さがあったが、放射線計器を持参していたので、いたるところで計ってみたら、5μ、10μの所がここかしこにあった、だが誰も気にする様子はなく暮らしていた、義父が出て来た、福島の街を見物してこようということになり、出かけた、途中、工場地帯へ行きたいという、何もない所だよと言うのだが、見ておきたいと言う、一緒に行ったら、行き止まりで、どこかの工場の入り口に来てしまった、帰ろうとしたら、義父は工場の中に入っており、何か親しげに工場の人と話していた、いつしか義父は工場の服を着ていた、私も入っていった、すると義父は昔ここで働いていたのだと言う、私は工員たちに福島で働くことを色々と聞いてみた、そして、ここは今何μか知っているかというと、高いでしょうというだけで、皆何とも思っていないようだった、工場の一角は喫煙所になっていて、皆煙草を吸っていた、その後、家に帰った、家は仮設住宅なのか、アパートの一部屋で、隣とは襖で仕切られただけの、畳の部屋だった、そこには母がいた、仮設で何か賄いの仕事をしているようだった、福島には復興のための様々な仕事があるようで、人々も多く流れ込んで、活気があった、しかしそこは土地も空気も汚染されているのだとの思いがあった、いずれ去らねばならない、仮の街との印象があった、

夢分析

福島で住み続ける以外にない人々の不安を、想像していた、健康に被害があるとわかっていて住み、良くないとわかっている食べ物を食べて、それらを押し殺して、生きることの
知らないのではなく、無視することの耐え難さが私にはあり、かつて義父と徳山で暮らした仮そめの生活と重ねていたのだろうか、いずれ去る街、いずれ終わる生活との予感があった、

ベラルーシの徒労、年間1ミリシーベルト、5万ベクレル以上は補償するベラルーシ法はあっても、大半は故郷に残り、除染、土地改良と、様々やって来た、しかし、30年経っても汚染は残り、人々の徒労感が伝わり、最終的には均され、拡散され、薄まるのだが、地球全体の汚染は何も変わらず、この地球全体の汚染は何も変わらないことの、虚無、徒労、
知識が、芸術が役に立たず、人生を政治的な問題解決のために生きなければならないことの、虚しさ、実存といえど、闘いであるとの、私は闘いも全て、人生も全て、私対世界で、私が考え選び取った人生でありたいのだった、核に対し、戦争、人の愚劣に対しても、私対世界で、考え、見つめ切る、私でもって世界を味わい生きる、これが私が癌で得た確信であったはず、嫌悪、愛着から来る不条理がある、忘却、放棄、世界に対し、この個人の感情は優先される、この個人のもつ感情が世界への無関心、個人の生へと、
人間の意識構造は、社会的に誕生することによって、理想主義的に育まれていく、しかし、今、世界が破滅していく状態に対し、絶望主義こそ必要、原発、etcの核危機を言うものも、どこかで理想や希望を持っている、しかし、実存文学のように、希望など無いのだった、不条理、絶望こそ伝えなければ、新たなカフカが必要、一体人間同士が絶望を共有できるものなのか、癌の転移の後に、癌患者どうしの共感など、エイズの子供達の「もう私たちは老人にはなれないのね」のような共感が、殺されていく者としての自覚と殺されていく者同士の共感、この不条理の絶望の中の希望ではない、世界が全て毒を盛られていることの、

私の愛し直したい心と、または絶望し続ける意味と、大江の侮辱された心と、水俣のOさんの「私が水俣だ」の毒を押し返す心と、多くのフクシマの絶望の人々の、絶望そのものの心と、これら全てが救われても、救われない大地、生きもの、失われた時間と、この絶望、屈折を通した愛と絶滅を予知しての、絶滅までの時と、癌の転移者の死までの生と、そこには闘うではなく、受容があるばかり、静かに味わう、見つめる、感謝する心の、
私対世界は私の生命をも、世界の絶望をも対峙して見る目であったはず、この絶望を異邦人の目で、俯瞰の目で、50億年の時の目で、無限と永遠の目で、見つめることを置いてはないのだと、人類の絶滅など、一粒の塵のことだと、神ではない、事実の人発達の歴史において、神を想像した人間の意識において、私対世界は私が一個の神となって、神対世界となって、
この星を汚染され、奇形生物のこの星を、宇宙と時と永遠から見つめる目の獲得とは、私対世界が世界対私となる視点、宇宙という世界から私を見る、宇宙という世界からこの星を見る、塵、無に等しい存在である私とは、塵、無であることの肯定、愛も無も、思想、芸術も全て無関係に、宇宙から捉えれば全て無、そして無限、私を無の上にではなく、宇宙の上に据えることこそが、世界対私であり、無の対極、欲望の対極である、私は私を宇宙の無限の上に置くと、シュティルナーの対極、シュティルナーから生まれる絶対境地、我が宇宙と一体の地点、太陽神、シャーマン、自然崇拝、原発、核を、罪、罰として肯定、受容し、意味として、あの日、生還した私は、世界をただ味わい、楽しむことに目ざめ、味わう中で、私対世界が確信的となったのだった、再びこの人文化、自然を味わい楽しむことへと、その中でしか再生はないのだった、絶望し続ける訳にはいかない、再びの癌、地震に備え、今を、生身を生きていかなければ、

核とは国家大収奪のシステム、汚染と戦争という不安の名のもとに、税金を収奪するシステム、除染の手抜きのように、核廃棄物の200万年の保管料のように、原発労働者のヤクザのピンハネのように、

アポロの捏造、9.11の陰謀を知ることで、国家というもの、政治というもの、人間というものの、現実、生身の姿を知ることとなる、
無の上に、そして宇宙神秘の上に私を据えることの、人間とは、人の上では、人文化の上では人にならないのだった、超人とは、信じることを超えて行く人のこと、人が人を超えていく、科学や知識ということではない、意識、感情において、情報やシステム、脳科学、脳機能ではない、超えていく意思、


アポロの嘘(秋山豊)

●ぶっつけ本番でLive中継するバカはいない、
●リフト着陸など出来ない、地球上でできないことは月でも出来ない、
●ソ連もアメリカも捏造計画であるため、互いをかばっているだけ、
●バンアレン帯を人は超えられない、
●予定地へ着陸させられないのに、どうして月へなど、
●今頃バンアレン帯の調査をしている、
●月へロケットを打ち込むといっている、
●大気圏外が核でどれだけ汚染されているのか
彼は科学的な論駁はしない、聞いた事実と、政治的、マスコミ的発想で、嘘と断じている、

人生50年、60年の彼等、生まれ落ちた日より、支配と利権のこと以外考えを巡らしたこともなく、その不幸に気晴らしの享楽で人生を送って来たのだろう、そうした無知、感情喪失な脳のもとに、それ以外を知らず、そうした人種、集合の中で生き果てる彼等に、知真、意味などを説いても詰まらぬことであるのだった、国家、政治、経済とはそうしたものであることを、
ネットの写真家達の作品を見ていると、昨年までは、皆モノクロでどれも暗く数も少なく、しかし今年になって彼等の目は、自然の再発見のように、人へ物へと、失われんとする自然への鎮魂のように、彼等と、彼等に包まれている感じさえし、癒される、

今日の夢

エミコと買い物に出かけ、私はとある店で何かを買おうとしていた、八百屋のようでもあったが、店の中では4、5人が対面で何か野菜のような物を売っていた、何かを買った、財布には日本の金ではないものが混じっていた、2ドル何セントというような単位だった、日本の500円玉ようなものと、50円玉のようなものもあったので2枚出した、すると男はそれでは多いと言う、ではどうすればと言うと、こうしましょうと、この店の者達は皆貧しいので、お釣りは皆の酒代ということにしてもらえないかと言う、「ああ良いよ」と、すると男は裏からワインのケースを持ち出して来て、店の店員にコップ酒のように注ぎ出した、私にもどうかと言ったが、私は呑まないと断った、そこへエミコがどこかの店に行っていて戻ってきた、「どうしたの」と聞くから、「いや、別に」と何も言わなかった、その後、私はどこかの倉庫のようなところに行った、そこには黒人の青年が10人ほど丸くソファーに腰掛け集まっていた、子どもも何人かいた、何をしているのかと聞くと、自分達は何かのバンドだと言った、どこから来たのかと聞くと、誰もが分かる言葉では応えない、何よりそこにいる誰もが、私や世界に対し、憎しみの眼をしていた、私はそんな一人の子どもと思える少年に聞いていた、黒人だから、南アフリカ、チュニジヤ、ナミビア、コンゴ、と、最近観たウラン鉱山告発の映画、「イエローケーキ」の名を上げていた、が、その子どもは私を憎しみの眼で見るばかりだった、その眼を見て、突然、民族紛争で、子供たちが銃を持って戦っていたルワンダを思い出し、フツかと言ったら子どもが頷いた、私はとっさその子どもを抱きしめていた、ごめん人を殺さなければならない少年時代を生き抜いてきたんだこの子供達はと、私は世界の子どもの不幸に泣いていた、涙が頬を伝っているのが分かった、そこで夢が覚めた、何とも支離滅裂な夢ではあったが、どのような夢も、最後は核の問題に繋がっている様で、世界の子供の不幸で一番の不幸は、核によるDNA異常から奇形として生まれた彼等、水痘症、身体欠損、ダウン症の「チェルノブイリハート」の子供達のなんという不幸、昼間見た中沢啓治の、チェルノブイリ、カザフスタンの旅のビデオの中で、水痘症の子供に中沢が指を握らせ、その子供の笑顔に触れている姿に、中沢がその子どもから人間へのメッセージを聞いていた姿に泣けた、そのことがあって、夢であの少年兵の子供達が出て来たのだった、世界は不幸を食い物にして、肥え太っていく、彼等に、ジャーナリストが、作家がどれだけ現実を突きつけても、せせら笑って通じない、彼等は確信犯で、人間らしさのかけらも持ちあわせてはいないのだと確信せる、世界は毎日紛争のニュースで溢れている、いずれ核という不幸を食い物にし、自滅していく世界ではあるのだが、



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