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続 原発震災日誌32

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続 原発震災日誌32

絶望主義における人口問題

●共産主義には人口問題は存在しない~マルクス
●堕胎問題~人口を減らすためにレーニンが母性の権利、母体を守ろうと、しかし出産を上回る堕胎があり、労働力不足から堕胎禁止令が
●戦争と出産~未婚女性への手厚い保護、10人以上には英雄の称号、1959年は2000万人が未婚女性、
●人口分布~農村人口が56%に激減、婦人の有業率世界一に、
●シベリア流刑、シベリア抑留と人口問題~労働力の不足が背景、
●人口増加の必要からカトリックと結託~人口問題は存在しないと、

絶望主義においては、人口問題が政治課題の全てになるだろう、人口問題こそは国家の存亡に係わる問題であり、厳正に国家管理されるであろう、
●1つには奇形を恐れての安易な堕胎をさせてはならない、~厳密なDNA検査、
●1つには変異の無いDNA、卵子による正常DNAによる、人工授精の促進、増産、
●正常DNAの青年男女の保護、出産義務化、国民栄誉賞の授与、
●核産業等の労働は、欠陥、異常DNAの者に限ること、
●世界正常DNA保管機構の下に、正常DNAは拡散させないように管理されなければならない、
●核汚染地帯の厳重管理を国際土地管理機構の下に行わなければならない、

原子力に反対する100の理由
これは世界の絶望の何ものでもない、絶望の証明がここにある、

2013年1月
書き続けている作品、絶望と無ではあるが、どこかで希望を、その希望とは、願いや求めではなく、絶対的な確信の持てる希望でありたいと思っているのだった、何か方法が、何か考えが、何か哲学が、何か結論が見出せないものかと、考え、考え書いているのだった、希望と言う一般的な考えは一切考えていない、信じていない、絶望とは絶望である、そして絶望こそ希望であるとさえ確信している私の絶望と無である、核というパンドラの箱を開けた人間にあっては、死、絶滅への道しかないのだとわかってはいるのだが、何か、何かないかと、ニヒリズム、ペシミズムではない、何かがそこには在るのではないかと、私が癌で余命いくばくかで、そこでこの癌は私の希望であると言える心の中身は、水俣の、ヒロシマ長崎の、核の被害者の誰かが言う、ミナマタになって良かった、ピカにあたって良かったと、私が癌を得たとき、転移が無いと分かった時の心、生きていることが、どんな体であっても、生きていたいと思った心、今在ることが、時というものが蘇った、存在こそがかけがえのないものとなった、生きていることそのことだけでよしとした心のような、絶望の中にあっても有る、絶対的な希望、
中沢啓冶が最後にカザフスタンの草原に坐ってゲンと語り合う姿、人間の運命を決めるのは人間、だがゲンならきっと負けないで生きていくだろうと、子どもに未来を託していた、が、今の地球の現実は、子供達に托せないほどのDNAの毀損が進む環境、子供達の歯にはプルトニウムがたまり続けている、生物濃縮が進み、いずれあらゆるものが子供達の体に、そして託す子供達が居なくなる世界、過去が全て無に帰した世界ということ、そして未来はないという、零からの出発となる現在だけの世界、かつて青年期、私の虚無を、それは良いことだねと励ましてくれた、友人の兄の言葉、虚無とは、原点から、零からはじめられる大事な状態だと、現代の文明など、草原で狩をして生きていく上で何の意味も持っていないのだから、ブッシュマンの生きた200万年の時のように、文明などコカコーラの壜のように天に帰すもの、人はまだ生きている、人の心、人というもの、人の原点、人がゼロに帰れる状態が今という時であることの、そのことを喜びの意味として、そこだけを見つめ、つながり、生きる、新しき人の誕生へと、私の絶望と無が書き進められたことを願いに、私亡き後、絶望の淵に生きる人間の中にこうした絶望の果てに誕生する新しき人が希望となって、今を生きる人たちの、死の不安、絶望を引き受け、携帯して生きていく人が、まもなく誕生することの、絶望の淵に咲く花、泥の中に咲く蓮のような人間達が、いっせいに誕生してくる未来、儚いがその儚さを嘆きはしない、一瞬を輝いて生きる花のような人間達の誕生が、希望となり、

文学とは自己救済であると、私対世界で、私の視座さえ確保していればとしてきた考えが、癌と同じように、やはり3.11の悲劇は世界と一体になってしまった、信念を思想を持った人間が最後まで、思想信条に死すようには、私には思想、信条というものはなく、癌でうろたえ、原発、核で、世界の不幸で、揺らぐのだった、自己救済が世界の救済なくして出来なくなっているのだった、行動が無いせいもあるが、行動は昔充分にやった感があり、動けないのだった、あくまで私の中で世界を解決したいのだった、湯川秀樹が、世界の原水爆禁止運動の広がりを見て、人類は生き延びられるかも知れないと絶望を語った時から、核の汚染は忍び寄る破滅として、人を狂わせ続けて来ているのだった、無知の罪が蔓延、取り返しがつかないことになって、生き方、考え方も、根本的に人が変らない限り、終わる運命であるのだった、終わりは決まっているのだが、それまでの生きる喜び、生きる意味が、最早、個人を包む世界そのものになくなり、個人の死の受容のように、世界の破滅を受容するしかないのだった、

早く死にたいと口走るエミコに、「早く死にたいなら福島に行って、沢山の汚染食品を食べて、沢山の土埃を吸って生活していれば心臓麻痺であっという間に死ねるよ」と未来の日本を様々にイメージすると、4つの原子炉の内どれか1つが再臨界となると、結局どれも手つかずとなり、ただ人は逃げるしかなくなる、東京も人は少なくなり、子どもは生まれず、奇形児ばかりとなり、死の町へと、日本人は国際結婚で辛うじて民族をつなぎ、しかし、核の汚染国となり、祖国はなくなり、流浪の民へ、地震国日本は、次々と原発事故が起き、手がつけられない国となり、世界の核廃棄物の処分場となり、かつての日本という繁栄を誇った国があった、黄金の国ジパングと言われたと、希望や理想があるために、人は常に戦うことに、絶望だけであるなら人はシンプル、愛だけとなり、
「エッタやもん、エッタや言われたからって、しょうないやん」と橋のない川の科白、「放射能やもん、放射能や言われたからって、しょうないやん」と、遺伝子の交雑を防ぐために、断種させる国の時代が世界のあちこちに、藤村の「破壊」のように、すみません嘘をついていましたと謝ることも出来ない、全員が背番号化され、遺伝子情報は国家管理され、結婚は出来ても、癩病患者たちのように子は作れなくされ、
草木国土悉皆成仏の教えも、今やたとえ成仏しても、浄土には放射能があり、プルトニウムは200万年と、浄土さえ支配する世界に、放射能に対する新らたな宗教が必要となっている、絶望を超える宗教が、天国には放射能が在るが、意味は在るといった、絶望こそ人には意味があり、放射能こそ神であるというような、善人尚もって往生す況や悪人をやような、転倒の宗教が、



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