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続 原発震災日誌41

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続 原発震災日誌41

ニルバーナと潤

カート・コバーン(1967-1994)27歳自殺
潤(1978-  )1994年が高1
私(1947-  )1988年が手術、1994年は6年目、私は転移も無く完治、生きる喜びに溢れていたのだった、だのに潤はカートコバーンの世界を生きていた、締め切った部屋からは毎日、やるせない声が響いていた、青春の通過儀礼だと見ていたが、自分でギターを弾き、歌もコバーンに似せ、歌う姿は、何か痛々しかった、サッカー少年だったが、ユース試験も叶わず、絵は好きだったようだが、自らの表現手段とはならず、次第に鬱屈していった、高校も休みがちとなり、単位も落としそうになった、卒業はしたのだったが進学せず、一年遊ばせてくれと言い、外泊することが多くなった、そしてある日「子どもができたよ」と顔を出した潤であった、今、アンプラグト・イン・ニューヨークを聴いていてあの頃の潤がいとおしく思う、どうしてあの潤の痛みを共有してやらなかったのかと、私は拒否感があった、子供には明るく、楽しく、しあわせであって欲しいという、コバーンのような苦悩は私だけで充分だと、子の幸せが私の子供時代のしあわせであった、生まれてきたこと、世界の腹立たしさと、自分の怒りとを、コバーンのあのハスキーボイスの、しかし力強い歌声に合わせて、青春の日を生きていたのだった、聖美との結婚はそうした、自分の証明であったのだ、世界の不幸に身近な不幸に耐えなれなかったのだ、俺がお前をしあわせにすると、愛に聖美に心を、潤、誇りに思うよ、お前のことを、カート・コバーンの歌声のような、不敵なお前の心は、世界がどうであっても、ここに人の意味がある、これがあらゆる文学に流れている、生きる意味、生きるということだと、
3.11以降のこの世界に、コバーンの歌声、何と似合うことか、絶望の中でも、人としての感情を失わず、飼いならされた、絶望を見ようとしない世界の中に在って、絶望を抱いて、世界を生きていく、

日本人の日本の歴史の島国性、後進性、保守性というものが、政治の世界を通して見えるものであった、このシステムは為政者が選び作って来たものではあったが、そこに住む日本人が為政者達が望んでしてきたことの証でもあるのだった、農民、庶民はそんな政治は彼等に任せて自分のことをやってきた、年貢や税金がどのように使われようがそのおこぼれで生きる知恵をもって遣ってきた、戦後アメリカとそれに追随し、その中での安泰をはかる官僚、政治のシステム、江戸時代と何ら変わらない、上から下まで、流れの中で生きる島国性、保守性が流れている、精神は諸行無常であろう、核も原発も、地震津波と同じように、仕方の無いこととして、世界の無常として諦める精神性、ものの哀れの中に自らの哀れを共感し、近代が持つ、個人の責任と義務、自立と誇りといった精神は求められ、感じられることもなく、小児のままに現代を生きる日本人像がそこにはあり、ツァラトウストラ的精神など、想像だにされることはないのだった、私のツァラトゥストラであるばかり、闘い続けることだけ、

無が現実味を帯びる時、絶望は虚妄から存在となる、15人のうち12人が奇形児出産のツィート、誇張であったとしても、ありうる汚染の実態と、そこに住む人々、命の営みを奪われることの無、絶望と無は拡がり、深まり、が、世界は地球は、未だ気休めに満ち、しかし、いずれ破局は訪れ、不可逆の時に至ることは予想され、再びのそうした中での、命の生き方が問われ、日本の誰もが、最悪の想定の中を生きていくことになるのだが、答えを、方法を、絶望と無に対する命の生き方の、

組織というもの

最初に出会った校長というもの、次に園長、課長、社長、事務局長、理事長、会長、委員長、誰がどのように回しているのか、又何によってまわっているのか、世界が300人委員会のような軍産学複合体によって動かされていているのか、日本という国が、天皇制によって動かされていたように、それは可能なことであり、あらゆることは可能なことであると、誰がといえば権力者が、どのようにといえば、国益の名のもとに、何によってかは、その国益を得る者によって、とすると、あらゆる組織は国益のもとにあり、それらを求め、歴史をさかのぼると、権力者は、国民庶民のことなど考えたことは無く、未必の故意、そうなることを知っていての、国も会社も政党も、宗教さえ御利益で成り立っているという組織の本質、ここに理想が生まれる訳はないのだった、人間のもつ、組織というものの根本が間違っているのだった、
戦中派は絶望の中から希望へと、または絶望のままに、戦後派は希望の中から絶望へ、または希望のままに、戦無派とは世界にはいつの時代にも、それぞれに絶望はあったと絶望のままに、が、今や人間の絶滅という事態が想定され、現実のこととして予測され、それに対しての哲学や文学が真に考察されたことがないことの、この想定の前には、この考察さえも不毛であるのだが、過去人間はそれらを想定し、個人で対処してきたとしても、世界は全て私対世界で成立しているのだとしても、現実には社会を構成し個人はその中を生きている、核こそ悪の根源であると捉えても、その供給物こそが原発であり、世界は原発と同じ構造で構成されていると知っていても、そこにぶら下がり生きている、
私の国ではない、私はあと1万時間くらいでこの世界を去るのだでいいのだし、それ以外に何らの未来はないのだから、

この絶望の中で読む本が無い、読むに耐えうる、読んで示唆を受ける本が無い、これは私だけの現象ではないはず、日本だけではない、世界の更に深刻な絶望に、答えや、方向を探すとき、人間の文化に想定外のこととして、絶望とは終わることとして、用意などされてはいないのだった、が、人は最後の一人まで生き続けるのであった、現実性を帯びるにしたがって、用意、考察されていくのだろうが、SF、漫画の世界でしか語られることのない世界の絶望、私は私のために書くしかない、死のその時までの私の意味としての、絶望への答えを、書かねばならない、かつて「ある死刑囚との対話」を書いた、私が死刑囚だったらどのようにとの観点で、再び私は死刑囚と連帯し、死刑囚が読むに耐えうる、絶望の書であらねば、草川たかし、正田昭、etcの死刑囚が残した言葉、又はタルコフスキー、タルベーラ等の映画人の、またはリュリ、マレ等の自己との対話に生きた音楽の、世界の絶望が問題ではなかった、私の絶望が問題であった、それが癌であり、死刑囚であった、国家、社会、真理を越えた、私対世界の視点、人の尊厳こそが絶望に対峙できるもの、人の愚劣に対して、自らの尊厳だけが、ガンジーの非暴力とは、人の尊厳に裏打ちされてのもの、死刑囚にとっては本や文化などではなく、窓の外の一本の草、一輪の花でよいのだった、その花と私の命との共感で充分であるのだったから、


「自分自身への審問」辺見庸

市川浩~「身体の現象学」ベルグソン、メルロ・ポンティー、心身二元論の克服

プリモ・レーヴイ(1919-1995)
伊、ユダヤ化学者、アウシュビッツより生還「人間であることの恥辱」

ジル・ドウルーズ(1924-1995)
仏哲学者、多様性と共生の哲学

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1898-1986)
アルゼンチン作家、「バベルの図書館」~作家の書物の収集

ロベルト・ビーネ~「カリガリ博士」(1919)
ドイツ表現主義

ジャン・ボードリヤール(1929- )
仏社会学、「消費社会の神話と構造」

ジョゼ・サラマーゴ(1922- )
ポルトガル、ノーベル賞、「白の闇」~人間の極限状態

ボリス・ヴィアン(1920-1959)作家、トランペッター、ジャズ世代「日々の泡」「墓に唾をかけろ」

フリードリッヒ・ヘルダーリン(1770-1843)
独、詩人、ギリシャ悲劇

ミシェルフーコー(1926-1984)
仏、哲学、ニーチェより影響~人間もまた概念であると、

フルク・グレビル(1554-1628)
英、詩人、ソネット

エミール・デュルケーム(1858-1917)
仏、社会学、自殺論~アノミー的自殺

スタンレー・ミルグラム(1933-1984)
米、心理学、「服従の心理」~ナチスへの、

藤田省三(1929-2003)
政治、丸山真男より、「日本思想史」~天皇制国家の支配原理、

ジョルジヨ・アガンベン(1942- )
伊、哲学「ホモ・サケル」~剥き出しの生

辺見は自己の利己的なものを審判にかけるのだが、何ら審問とはならず、自己肯定だけが浮かび上がってくるような、辺見の生き様、世界を審問にかけることも、自己を審問することも、癌を得た今、必要ではないと思えるのだが、彼にとっては、癌を得て審問を思い知ったような、
安倍が、自民党が、財界が、右翼が、アメリカが、何をしようが、何を企もうが、開けられたパンドラの箱の原発事故から比べれば可愛いもの、何をやっても良いよと、彼等も被害者なのだとの、彼等の理想も死んでしまった、万世一系の、忠君愛国の、皇紀2600年の国土を汚してしまった、この絶望は、あらゆる二元論を、あらゆる矛盾論を、歴史、経済、国家を超えさせる議題、原点となった、癌が私の人生の全てを支配し、全ての問題を解決したように、核は世界の問題の全てを支配し、全てを解決するのだった、

辺見の世界への憂慮、孫崎の政治のカラクリ、全ては核によって無化されるのだからと、しかし、人の愚劣への答えを、私は何によってと、やはり実存とは何かを、人を生きるとは何か、どのようなことなのかを書き表さねばと、しかし、これは私の独り言でいいのだと、これら核を含めた人の愚劣に対し、その原因は、人間が未だ実存を知らず、実存を生きられないことにあることを、何が実存かを、実存を生きるとはどういうことなのかを、そこには何が在るかを、私の答えとする他はなく、



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