Quantcast
Channel: 個人誌 『未踏』全ページ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1732

続 原発震災日誌64

$
0
0
続 原発震災日誌64

ソクラテス何才で、70才なんだ、ガリレオ何才で、78才なんだ、利休何才で、70才なんだ、66才の私の心の変化、惑い、気弱、胃無しで26年、死を見つめて26年、私が疲れてきているのか、私対世界の私が、世界と対置する私が戻って来ない、
絶望するとは、強い主体があってのこと、弱い心では絶望もできないのだった、私の無い絶望は只の痴呆、泣いて、不安で、一人で、言いなりで、私が無いのだった、絶望し続けるとは、人間であり続けることであるのだった、
タルコフスキーを受け継ぐ者、時の刻印とは自らの生の証であった、

絶望者が、果たして世界の絶望を感じるだろうか、キルケゴールはどうであったのか、ドストエフスキーのラスコーリニコフ、キリーロフ、絶望の経験があったのだろうか、個人の絶望が世界の絶望へと、人の絶望とは、一体どのような形なのか、人に個人の絶望は伝えられる、が、それがどうなのとなるだけ、絶望者には見たくも聞きたくもないものが絶望だから、結局何を書いているのかとなる、世界の危機を伝えたいとして、共感があってそれでどうなのと、私は私に絶望して、私対世界を再構築するしかないのだが、絶望がそんなに必要なものなら、勝手に絶望していればとなる、結局私は無知の智のように、世界を裁断する、私の真理を欲してきたのだった、

私の世界の絶望の定義は、毎日砒素を飲まされているような、いずれ衰弱、変調を起こし、死に至るが、直ちにではないがために、気づかない、それが全人類に起きていることを知っていて、必要悪のように、リスク、利便の方便をつかって容認しつづけていることに、文明というものを核と同列視してとらえ、10万年に渉る被害という、未来を持たない人間に対して絶望するのだった、
この人間に絶望するとは、私の過去、記憶、思い出も無に帰すこととなるのか、美しいと思ったもの、すばらしいと思ったこと、生きていることの喜びであったもの、これら全てが只のノスタルジーになり、私対世界の私がなくなってしまっているのか、過去はしっかり持っていかなければ、世界がどうであっても、私の過去は、生身の私の延長なのだから、旅行者のように、私を世界から遊離させねば、あのイタリア旅行のように、
麦畑が広がっている、褐色の光が麦わらを透かして光っている、風は麦わらを波のようにうねらせている、空にはヒバリが鳴いている、
私の「孤島」であった少年の日の思い出、

Kの絶望、あれは何んだったのか、母がいざりであったと告げた、哲学科卒、ラディゲが好きだった、将棋、競馬が好きだった、反マルクス主義、

ニルバーナsmell like teen spirit~
絶望世代の叫びと、ウルグアイ大統領、ムヒカのスピーチ【世界で最も貧乏な大統領】の問いかけているもの、 

山口和朗について

彼は1947年岐阜県加茂郡富加村(現在の美濃加茂市加茂野町)で生まれた、今年66歳であるが、世に問う何らの著作も持っているわけではない無名の思索家である、個人誌として100部程度のリーフレットを23号出しているが、そこに書かれているのは、生い立ち、私生活を通した日常を実存風、思索的に綴っているのだが、理論立て、体系立てられた世界観が述べられているわけではない、雑感、エッセイの体である、
その彼の思索が突如変化するのは、3.11東日本大震災での原発爆発からである、最初「原発震災日誌」という形で、原発事故への自己の構えを表したが、その後、3年の沈黙を経て発表されたのが「絶望と無」という原稿用紙1000枚に及ぶ、現代文明、近代批判である、その主張は、現代、歴史、人間文化を絶望と規定する点にある、その上で新たなるもの、それは無であるが、東洋的な禅の言う無ではなく、存在を無化した状態、すなわち己を非在化するというような、理性を通した非理性という、東洋日本のもつ矛盾のアウヘーベンであるのだった、
近、現代が相変わらず二律背反、人間主義に囚われている中での閉塞、虚無を、絶望という現実的認識で超える方向性を示そうとしている、
絶望の現実的実態を示す為に、彼は核、原発の絶対的不可逆性を科学的見地から表しているが、核というもののDNA損傷の詳細なデータと、今後予測される、奇形と絶滅への過程を、遺伝学的に考察し、人間および地球生命の絶滅年代を推定している、核兵器の登場以降、絶滅への哲学的考察、黙示録、等々、カタストロフイーとして言われてきたことを現実的、時間的問題として提起した点にある、
全生物を絶滅させることが出来る核というものの持つ絶対性、これは人類文化の中で考え付かない、神を越えた存在の根源であることの開明であるのだった、理性の人としての想像は人間は出来るのだが、明日の運命を予知することは出来ない、しかし運命に対する不可逆性は想像可能であるのだった、運命を核と言う存在の根源性を通して開明することによって、世界を絶望の下に据え、現代文明を否定も肯定もすることなく、今、現在というものを至上のものにする、一般絶対性の哲学であるのだつた、実存哲学の相対的時間が、一般絶対性をもって日常に誕生してくるのだった、人間の存在理由が、この絶滅という絶望を通して、初めて絶対性をもって誕生しているのだった、絶対性という、人類が常に追い求めて来た、時に神であったりしたものが、彼においては核と言うものによって定義されたのだった、絶望というものが初めて絶対性を持つことによって、実存的現在というものが開示されたのだつた、死というものを、これらの絶対性、絶望において人類が捉えたとき初めて存在が、有機体としての限界を超えることになる、

絶望の定義

何百トンものプルトニウムによる大気の汚染
シェルター、地底、海底での生き残りも、時間の問題、これが絶望の定義、個の死ではない、種の絶滅が絶望、
絶望の果ての優しさとは、きっと一輪の花に、一匹の虫に、
処刑待つ、獄舎の窓に、スズメが、今日も餌食べに、来てくれました、

原爆言説の日本的形成
-記憶の形成と証言台の証人-花田俊典

原爆言説の日本的沈黙の話型は強制収容所のそれに似ている、原発事故で人は原爆のように直ちには死なない、しかし10年後20年後のチェルノブイリetcのように、確実に人は原発が原因で寿命より早い多くの死を味わう、それが判っているから放射線防護が執られているのだが、この原発と原爆との関係性は、同じ核であっても、容認、非容認、リスク論、可知論等の意識の線引きによって、全生命への犯罪的な、不可逆の罪であることが免罪されていることにある、世界の様々な反核論理にも、核の絶対悪、生命に対する絶望論が欠落していることにある、アメリカという加害者の欠落のように、人間という加害者の欠落、

チリ映画監督 アレハンドロ・ホドロフスキー
エル・トポ(1969)ホーリー・マウンテン(1973) サンタ・サングレ/聖なる血(1989年)と虚無と無常を描くのに、あれほどの殺人が、私の絶望には恨みがあるのか、絶望は空の上から眺めるもの、それが絶望、人は結局絶望しても生きようとする、私が絶望を見据えていけばいいのだった、何を作っても、何を書いても、嘘である世界、リアリズム、私の発見こそ意味、
世界の仕組み、世界の流れは良くわかった、それは16歳の社会主義への目覚めで了解してきたこと、が問題は、社会や世界が理想化されようが、残る人の実存であった、人とは何ぞやという、人を生きるとはの、これは世界が理想的であろうが、なかろうが、私に問うてくる問題であったのだ、

世界を絶望と規定する、世界を無の上に置く、それでは何が意味、目的にと、又しても有の上に、希望、理想の上に、私を置こうとする私がいる、全文化、全人間を否定した後には私だけが残り、その私は有だが、世界は無であるだけ、それでも尚在ることへの問いだけが残り、
世界が絶望しても、私が絶望しても、絶望しないものへの、
ディスクリミネーター(周波数弁別器)という考え~種の保存という生物のもつ弁別器、生物にはそれらが備わっているとする~「人間を家畜の餌にしよう」とは人間に発想されないように、世界は種の保存の正、負によって支配されている、人間も種の保存という、川の流れを下っているだけの思考、生き方であるとの、が核戦争、環境破壊にはそれらが適用、作用しないということ、一人の狂人が世界を破滅させることが可能となった時代に、破滅は仕方がないとする思考の発生、人間による支配から自然による支配への変化、ここにも人間という種の保存よりも、生物全体の種の保存を喜びとする生命そのもののディスクリミネーターが働いているということなのか、核におけるディスクリミネーター、ふぐ毒と同じではない、人知が及ばないという完全なる負の弁別であるものが、弁別されないで自然淘汰に任せていく人間という種も、やはり生命体としてのディスクリミネーターのなせる業であるのか、利己遺伝子との違い、



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1732

Trending Articles