続 原発震災日誌72
戦争とは、人の家に押し入るという事、抵抗する人を、殴る、蹴るという事、山で野原で、動物を銃で撃つという事、動物を捕まえ、檻に入れるという事、その動物の羽根や皮を剥いで喰うという事、作物を荒す虫を、農薬で殺すという事、ウイルスを抗生物質で殺すという事、生あるものを、同じDNAをもつ自分の兄弟家族を、殺すという行為が戦争というう事、人間のため、社会国家のためと、弱肉強食、適者生存が世界だと、あのカマキリに、あのライオンに、人間との共通や、必然があるのだと、カマキリ、ライオンは殺さなければ自分が死ぬ、種として絶滅する、人間は殺さなくとも知恵で社会で生きられる、共通、必然も無い、そこに意味も、喜びも無い、人間の戦争とはそういう事、 戦争は仕掛けるものがいて、仕掛けられるものがいて、成立するのだが、支配するものと、支配されまいとするものがいて、発生するのだが、支配したいとする人間の意思は、太古よりあるのだった、チンパンジーと、ボノボの両方のDNAを受けついだ人間という動物の宿命であった、 ジュネ、かつて眼球譚で驚いた、それが今、読む気が起きない、読み進んでもイメージが少しも結ばない、言葉の散乱ばかりが、それも好きになれない言葉ばかり、嫌悪の共感ではなく、拒絶の共感、何故だろう、虚無、厭世を描いても読み手との共感は意識されるもの、意識しないとしても、世界に対しての人間的感情はあるもの、今や、世界は言葉では受けつけなくなっている、 君は俺に眼覚める、わが歯が生む幻のように速やかに、 おれの孤独は君によって君になる、 など、言葉が浮いて聞こえる、メタファが世界に届かない、言葉が羅列に過ぎなくなった世界の現実、メタファが今や成立しないのだった、 ランボーはどうか、 俺の空きっ腹、アンヌよ、アンヌ、駿馬に乗って、さっさと失せろ、Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青なり、母音よ、 何を言っているのかとさえ思える、 絶望に希望と勇気を与える文学とは この26年間、否10代より接してきた文学、絵画、音楽は世界の理想という、真と善と美とを、それらは絶望に抗うものとしてあった、が、3.11以降それらが何ら役に立たず、答えにならず、そのことが一層私の絶望感を強め、虚無、ペシミズムへと、それは今も変わらず、徒に絶望、絶望と叫びたてるばかりの、実存の作家、哲学、ルネサンスの絵画、スピリチァルの音楽、絶望を生きたと思える作家、哲学を乱読しと、が、どれも力とは成りえず、私が私で作る以外、私の絶望に抗うことは適わないのだと思い知り、この時代の、人間と社会と文化をツァラトゥストラのように痛打し、シュティルナーのように無化し、私を蘇生させる以外ないのだと、政治はネグレのコモンとマルチチュードでいいだろう、文明はギュンターの人間システィマ社会でいいだろう、個人としてはソーロー、この都会にあって私にとっての森の生活を、場所ではなく時の生活を、時の生活とは、地球号で、一日一回太陽を回っているという、世界の陰謀、策略、いずれ破綻するだろう、自然裡ではないから、しかし、その災禍が100万年に及ぶということが絶望の根底にあり、私の生、私の時、私の存在というものが、100万年の時には抗えず、絶望の淵から逃れられないのだった、表現で、思索で、断念でと、が、どのような営為をとっても、核の脳内被爆のような言葉の支離滅裂が、今日も繰り返され、 放射能の危険性を甘く見る人間が多くなっていくが、私は放射能に絶望しているのではない、絶望しない人間に絶望しているのだった、放射能は人生観を変える契機であったということ、現在の汚染など低いもの、しかし地球上の放射性物質の量は絶望以外の何者でもないということ、 DNAの徒労 生命が、放射線で何万ベクレルと、遺伝子をどれだけ切断されても、生きるためには、その度に複製、修復しと、その生命の徒労が、シシュフォスの徒労でなくて何の徒労、 ジャン・ジュネのコメディー、死者への捧げもの、孤独への、事物存在との一体へ、こうした観点は、絶望に抗する人間の世界対私の姿、 絶望していて、何故書くのかと問うなら、 まだ何かあるのではと、ラッキョの皮を剥いているような、何もしないでいることが出来ないから、余命を数えるために、明日死んでもいいようにと、書くことが、生きているという私の方法だから、最期まで考えたいから、 真実と本質が分かっても、実存は表せない、伝えられない、人間は、世界は変わらない、実存はその人の絶望から考えられる感情、 真実はあらゆる手段を使って隠されているということ、本質は、それがシステム、利権、支配の構造であるということ、実存とは、死と孤独、私一人の自己ということ、 人間が絶望に至らないのは、希望を信じているからではない、絶望の真実を知らないからだけ、未だ絶望に至っていないだけ、世界が絶望以外の何ものでもないことが、受容されていないだけ、 医療における、政治における、科学における、戦争における、歴史における、陰謀の数々、これら全ては、3.11の核汚染に比べたなら取り返しの付くこと、核汚染という絶対悪、絶対無、真実は絶望の中に見えてくる、決して希望や理想からではない、見る前に飛べではなく、飛ぶ前に見なければならない、実存の前にはどうでも良いことではあるが、ブログや、ツイッターの人間たち、陰謀の追究に人生を費やし消えていく、自らの実存は喪失して、世界の悪を暴くことを使命に感じ、 夜半に眼が覚める、世界は何事も無かったように、眠っている、私だけが原発、核のことを考えている、人類のために考えているのではない、私に対する原発、核として考えている、哲学者が自らの意味を問うように、作家が自己と向き合うように、意味を剥奪し、私という、一個を剥き出しにした核というもの、核とは、純粋に、水銀、カドミユームと変わらぬ、物質、化学の問題なのだが、それが問う私のすべてに作用してくるいう、プルトニウムを持つ私に、かつての宗教裁判、神の、天変地異の、と私に襲った中で誕生した、哲学、文学、芸術であるように、この現代に、私に襲いかかっているのであった、すべてを否定するものへの、人間の愚昧の頂点である、この核のことを、人間は、人生50年でよいだろう、人間は原罪を持った方が良いだろう、人間は1億人位が良いだろう、人間はシンプルが良いだろう、と私に結論させる核というもの、こうした感情になれること、自然な、何もしないでいられる、何もする必要がない、一日を花を見て、時の移ろいを眺めていられる、核の中の私が居る、梟は目を覚まさない、夜を眠っている、地球の破滅が、避けられないことを知っている、梟は眠っているばかり、 千葉、4万ベクレル平方、一回のレントゲンが、0.05ミリシーベルト、年間20ミリシーベルトとは、年間400回のレントゲンをすること、年100ミリとは20000回のレントゲン、それも全身レントゲン、 エミコが「どうして、それほど人を支配したり、お金が欲しいのかわからない」と、世界の不幸の理由の答えを聞いてくる、どうしてなのか、ライオンがインパラを狩るのとは違う、植物が、大木が陽をさえぎるのとは違うのではと考えているようだ、大木は陽をさえぎる、ライオンは喰らう、しかし、それは意味や利益が互いにあってのこと、40億年の生命のシステムとしての形である、人間200万年の中にあって、現代のシステムもその結果であると、自然宇宙という掟からは何人も逆らえない、存在そのものであること、人間が滅びることも、虫や植物にしてみれば自然なこと、同じDNAをもつ彼ら、再び人間を誕生させることだろう、そうした存在は永遠に続いて来ているのだ、地球が滅びても、どこかの星でと、この絶望も自然なことであるのだと、