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2016 10 20 神代植物園Ⅵ


ルッツィ - ルイージ・ルッツィ (Luigi Luzzi)

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ルッツィ - ルイージ・ルッツィ (Luigi Luzzi)

ルイージ・ルッツィ(Luigi Luzzi、1828年3月27日 - 1876年2月26日)は、イタリア、オレーヴァノ・ディ・ロメッリーナ出身の作曲家。

生涯

パヴィーア近郊のオレーヴァノ・ディ・ロメッリーナで生まれる。トリノ大学で、文学と医学を学んだ後、音楽を学ぶ。作曲家として活動する傍ら、音楽教師としても勤めていた。

彼の作品は、オペラが2曲、管弦楽器(不世出の宰相カミッロ・カヴールの死に際して書いた葬送行進曲)、数多くの歌曲やロマンスを書いたが、中でも最もよく知られているのが『アヴェ・マリア』である。というより、この曲以外は殆んど知られていないのである。

1876年にオレーヴァノ・ディ・ロメッリーナからほど遠くないストラデッラで没する。

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マリアによせて - アルカデルト/ストラデッラ/モーツァルト/シューマン:声楽作品集(安藝榮子/梅本俊和/摩寿意英子)

Vocal Recital: Aki, Eiko - ARCADELT, J. / STRADELLA, A. / MOZART, W.A. / SCHUBERT, F.

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田村麻子 - ジュエルズ・オブ・アヴェ・マリア

Vocal Recital: Tamura, Asako - LORENC, M. / BACH, J.S. / GOUNOD, C.-F. / ALAIN, J. / SCHUBERT, F. / VAVILOV, V. (Jewels of Ave Maria)

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スターズ・ワー・シャイニング 2 - ロッシーニ/ヴェルディ/ラロ/ビゼー/ゴメス:オペラ・アリア集(1936-1953)

Opera Arias - ROSSINI, G. / VERDI, G. / LALO, E. / BIZET, G. / GOMES, C. (The Stars Were Shining, Vol. 2) (1936-1953)

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アメリカ録音集(ポンセール)(1939, 1954)

PONSELLE, Rosa: American Recordings (1939, 1954)



ルディン - ロルフ・ルディン (Rolf Rudin)

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ルディン - ロルフ・ルディン (Rolf Rudin)

ロルフ・ルディン(Rolf Rudin、1961年12月9日 - )は、ドイツの作曲家、指揮者。

来歴

フランクフルトに生まれ、フランクフルト音楽大学とヴュルツブルク音楽大学で音楽教育、作曲、指揮、音楽理論を学んだ。フランクフルト音楽大学ではハンス・ウルリヒ・エンゲルマン(de:Hans Ulrich Engelmann)、ヴュルツブルク音楽大学ではベルトルト・フンメル(de:Bertold Hummel)に師事している。1991年に作曲、1992年に指揮のディプロマを取得した。

さまざまな作曲賞を受賞しており、ドイツ国民学習財団(de:Studienstiftung des deutschen Volkes)やバイエルン州文化省の奨学金を得てパリ国際芸術都市(Citè Internationale des Arts, Paris)にも留学している。

1993年からフランクフルト音楽大学で音楽理論を教えていたが、2003年からはフリーランスの作曲家として管弦楽曲や吹奏楽曲、合唱曲、室内楽曲を発表している。

主要作品

管弦楽作品

秋の歌 ~ロベルト・シューマンへのオマージュ 作品18 (Herbstgesang - Hommage an Robert Schumann, op.18)
振付け 作品36 (Choreographie, op.36)

吹奏楽作品

バッカナール 作品20 (Bacchanale, op. 20)
エングスの夢 作品37 (Der Traum des Oenghus, op. 37)
ドルイド ~ある神話の記憶 作品38 (Die Druiden - eine mythische Erinnerung, op. 38)
無言歌(詩のない歌) (Lieder ohne Worte)

外部リンク

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ルーディン:アウト・オブ・ノーフェア/エレビー:聖トマス・アクィナスのミサ/ショバニアン:アルメニア狂詩曲(ジョージ)

RUDIN, R.: Out of Nowhere / ELLERBY, M.: Mass of St. Thomas Aquinas / CHOBANIAN, L.: Armenian Rhapsody (George)

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ベートーヴェン/レーン/モアヘッド/ラヴェル/ルーディン/ラスバン/シュタインメッツ:コールアングレ作品集(ホーヴ)

Cor anglais Recital: Hove, Carolyn - BEETHOVEN, L. van / LANE, R. / MOREHEAD, P. / RAVEL, M. / RUDIN, R. / RATHBUN, J. / STEINMETZ, J.

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ルーディン:光への道 Op. 61 (エッセン大聖堂少女合唱団/ヴィッパーマン)

RUDIN, R.: Weg zum Licht, Op. 61 (Essen Cathedral Girls Choir, Wippermann)

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ガルブレイス:ドゥエンデの踊り/メイズ:ドリームキャッチャー/バセット:カーステンへの子守歌(ノース・テキサス・ウィンド・シンフォニー/コーポロン)

GALBRAITH: Danza de los Duendes / MAYS: Dreamcatcher / BASSETT: Lullaby for Kirsten

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第9回世界吹奏楽大会 1999 - カリフォルニア州サン・ルイス・オビスポ(ノルトライン・ヴ​​ェストファーレン・ユース・シンフォニック・バンド)

1999 WASBE San Luis Obispo, California: The Youth People's Symphonic Band of North Rhine-Westphalia

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第20回世界吹奏楽大会 2011 (国立嘉義大学バンド)

2011 WASBE Conference and 20th Chiayi City International Band Festival - National Chiayi University Band

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第24回世界吹奏楽大会 2015 - アメリカ、サンノゼ (サンフランシスコ・ウィンド・アンサンブル)

2015 WASBE San Jose, California: WASBE San Francisco Wind Ensemble

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ノース・テキサス・ウィンド・シンフォニー - サウンドスケープス

NORTH TEXAS WIND SYMPHONY: Soundscapes

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フロリダ・ミュージック・エデュケーターズ・アソシエーション2015 (オール=ステート・コンサート・バンド/オール=ステート・シンフォニック・バンド)

2015 Florida Music Educators Association (FMEA): All-State Concert Band and All-State Symphonic Band



2016 10 20 神代植物園Ⅶ

2016 10 20 神代植物園Ⅷ

ルドゥ - クロード・ルドゥ (Claude Ledoux)

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ルドゥ - クロード・ルドゥ (Claude Ledoux)

クロード・ルドゥ(Claude Ledoux、1960年2月23日 - )は、ベルギー生まれの作曲家。

「音楽の国境を越える」という理念を探求し、音楽を通して、断片 化された世界を反映することを試みている。

その結果として作品には、現代的な響きと、ポピュラー音楽、非 西洋音楽の表現と技術の相互作用が見られる特徴がある。

最近の作品では、人類が持っている要素の中で最も官能的な側面と 精神を繋ぐ、地理的・ 歴史的な出会いによって感情が生まれる場としての「文化的なポロ シティ」への興味を示している。

(ポロシティとは本来は、物質が空間を含む量を表す尺度のこと。気体と液体が混ざり合う 気液二相流においては流路中の場所ごとに異なった値を取り、 時間とともにゆらぐことから、 二者の間で影響し合い変化していくことのたとえ。)

生い立ち

科学と芸術に魅了され、17歳の時に美術学校で絵画とグラフィッ ク・アートを学び始めるとともに、リエージュ音楽院で音楽を学ぶ 。そこでジャン・ルイ・ロベール、フィリップ・ブースマン、 フレデリック・ジェフスキー、アンリ・プッスールと出会い、 音楽の道へ進むことを決意した。

CRFMWスタジオ(現在のプッスール・センター)では電子音楽 の研究も行い、講習会でトリスタン・ミュライユと出会う。

その後、海外に教育を求め、とりわけハンガリー(ベラ・バルトー ク・セミナー)とイタリア(ボルツァーノ、ヴェネツィア)でジェルジ・リゲティの講習会に参加、パリには数年間居を構えIRCAMの講習会に参加した。同時にパリ第一大学においてヤニス・クセナキスにも作曲を学ぶ。

受賞

作曲家として、リール、パリ、ローザンヌを含む数々のコンクール において受賞。2003年には、 当時の活動に対してニューヨークのチビテッラ・ラニエリ財団より 音楽賞を受賞している。

彼の作品はブリュッセル(Ars Musica)、リエージュ(Royal Philharmonic of Liege)、パリ(Radio-France, Présences, L’Itinéraire, Intercontemporain...)、ストラスブール( Musica)、ベルリン(WDR, Philharmonie)、トルコ(Ankara Radio Symphony orchestra)ウクライナ、ロシア、近年ではスロベニアのリュ ブリャナ(ISCMのオープニングコンサート2015において、 Slovenian Radio Orchestra)などヨーロッパの多数の都市、また北アメリカ(Colorado Symphony Orchestra、Montreal Symphony Orchestra)、アジア(ヴェトナム、日本)でも演 奏されている。

最近では、Ensemble Nouvelles(ベルギー:1998ー2000)のコンポー ザー・イン・レジデンスに就任、更にCastello of Umbria (イタリア:2003)、Brussels Bozar(2008ー2009)、札幌コンサートホールKitara(日本:2009)に招かれている。2012年にはベルギ ー現代音楽フェスティバルArs Musicaのディレクターも務める。

東洋音楽の研究

アジア音楽のサウンドへの情熱により、 音楽の伝統的技術を学び研究に着手するために東洋諸国を旅してい る。

1992年に初めて、 インドを経由してヒマラヤ山脈中腹の地域やラージャスターン州 の砂漠の伝統的な音楽を学んだ。1996年、ヴェトナム、 カンボジア、インドネシアの音楽の研究のため、 SPES財団より助成金を受ける。

その後、2004年から現在まで、 本人にとって最も重要なことの一つであるとして日本を何度も旅行 し、 日本の伝統的な音楽の慣習や楽器についての知識を深めていった。

更に近年では中国においても研究を行っている

活動

2009年、クロード・ルドゥはエリザベート王妃国際音楽コンク ールのセミファイナルのために課題曲を作曲した。

2012年にベルギー現代音楽フェスティバルArs Musicaのディレクターを務めた際には、その企画の中で、ア ルメニアの伝統的な音楽を基にクラリネットとオーケストラのため の"Ayl"を作曲。

その後この数年間は、二胡とオーケストラのための"Crossing Edges"、上海シンフォニエッタによって演奏された"Echoes of Crossing Edges"、アンサンブル室町(東京)の委嘱で"Eurydice effacée"など、東洋の様相を伴った作品を多数書いている 。

2016年、エリザベート王妃国際音楽コンクール ピアノ部門ファイナルの課題曲、中国の書物「荘子」に基づくピア ノ協奏曲"A Butterfly's Dream"を作曲した。

2016年は器楽作品の作曲に加えて、著名な尺八奏者、黒田鈴尊 のための尺八協奏曲を含む新しいオーケストラ作品、日本ベルギー 友好150周年記念のために日本で初演される声楽作品を作曲する とともに、彼は今も旅を続けている。

リエージュ大学において音楽学と情報伝達学 の修士を取得している。

ラップトップとアコースティック楽器を融合させた新しいアンサン ブル、LAPSの芸術監督であり、創立者。

今日では、作曲活動を行うだけでなく、音楽ジャーナリストとして 作曲、アナリーゼ、現代音楽に関する多数の記事を書いている。

フ ランスのパリ国立高等音楽・舞踊学校(CNSMDP)のアナリーゼ科教授 、ベルギーのモンス音楽院作曲科教授。

更にこれらの分野においてサンパウロとカンピーナスの大学(ブラ ジル:2008ー2009)、上海音楽院(中国:2014ー20 15)でも教鞭を執った。

2006年よりベルギー王立学術団体(The Royal Academies for Science and the Arts of Belgium)のメンバー。


外部リンク




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二次元の雄叫び - ルネサンス、19-21世紀の歌(アンサンブル・クレマン・ジャヌカン)

Vocal Music - CAMPO, R. / DERANSART, E. / JANEQUIN, C. (L' Écrit du cri - Renaissance and 19th to 21st Century Songs) (Ensemble Clement Janequin)

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LEDOUX, C.: Notizen-Fragment I and II / DELEUZE, J.P.: Voici l'absence, cinq deplorations en antiphonie (A. Franck, Castillo)

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2016 10 20 神代植物園Ⅸ

2016 10 20 神代植物園Ⅹ


ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)Ⅰ

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ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)

ヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski, 1913年1月25日 - 1994年2月7日)は、ポーランドを代表する作曲家、ピアニストの一人。ヴィトルド・ルトスワフスキとも呼ばれ、ポーランド楽派の黎明期に活躍した。

略歴

1913年1月25日、ポーランドのワルシャワに生まれた。
1937年ワルシャワ音楽院を卒業。
1954年に代表作、管弦楽のための協奏曲を作曲した。UNESCO国際作曲家会議で第一位受賞、頭角を現す。
1959年 - 1965年は、 国際現代音楽協会ISCMのポーランド支部委員に選出。
1963年からは、ヨーロッパ全土で活躍。各地で絶賛される。
1983年からは、伝統的なスタイル「交響曲」、「協奏曲」、「ファンファーレ」、「パルティータ」といった楽曲を作曲する事が優勢になった。ポーランド初のISCM名誉会員へ選出。
1994年2月7日、ヴァイオリン協奏曲を作曲中に急逝。81歳。


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ルトスワフスキ:歌の花と歌のお話/前奏曲とフーガ/5つの歌/チェーン I (ノルウェー室内管/ハーディング)

LUTOSLAWSKI, W.: Chantefleurs et Chantefables / Preludes and Fugue / 5 Songs / Chain I

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ルトスワフスキ:交響曲第4番/ヴァイオリン・パルティータ/チェーン II/葬送曲(ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Symphony No. 4 / Violin Partita / Chain II / Funeral Music (Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:交響曲第2番/小組曲/交響的変奏曲/ピアノ協奏曲(パレチニ/ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Symphony No. 2 / Little Suite / Symphonic Variations / Piano Concerto (Paleczny, Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:交響曲第3番/パガニーニ変奏曲(グレムザー/ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Symphony No. 3 / Paganini Variations (Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:管弦楽曲集 - 4 チェロ協奏曲/管弦楽のための書/チェイン3 (ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Cello Concerto / Livre pour orchestre / Novelette / Chain III (Bauer, Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:管弦楽曲集 - 5 管弦楽のための協奏曲/3つの詩/「ミ・パルティ」(ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Concerto for Orchestra / 3 Poems by Henri Michaux / Mi-Parti / Overture for Strings (Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:管弦楽曲集 - 6 交響曲第1番/歌の花と歌のお話(ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Symphony No. 1 / Chantefleurs et Chantefables (Pasichnyk, Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:管弦楽曲集 - 7 13独奏弦楽器のための前奏曲とフーガ/ポストリュード/ファンファーレ(ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Preludes and Fugue for Solo Strings / Postludes / Fanfares (Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:管弦楽曲集 - 8 二重協奏曲/ダンス・プレリュード/チェイン1 (ポーランド国立放送響/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: Double Concerto for Oboe and Harp / Dance Preludes / Chain I (Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:管弦楽作品集 2 - 交響的変奏曲/ピアノ協奏曲/交響曲第4番(ロルティ/BBC響/ガードナー)

LUTOSLAWSKI, W.: Orchestral Works, Vol. 2 - Symphonic Variations / Piano Concerto / Symphony No. 4 (Muzyka polska, Vol. 3) (BBC Symphony, Gardner)

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ルトスワフスキ:管弦楽作品集 3 - 交響曲第2番/グラーヴェ/チェロ協奏曲/小組曲(BBC響/ガードナー)

LUTOSLAWSKI, W.: Orchestral Works, Vol. 3 - Symphony No. 2 / Grave / Cello Concerto / Little Suite (Muzyka polska, Vol. 4) (BBC Symphony, Gardner)

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ルトスワフスキ:管弦楽作品集 4 - 交響曲第1番/パルティータ/舞踏前奏曲(リトル/コリンズ/BBC響/ガードナー)

LUTOSLAWSKI, W.: Orchestral Works, Vol. 4 - Symphony No. 1 / Partita / Dance Preludes (Muzyka polska, Vol. 6) (Little, Collins, BBC Symphony, Gardner)

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ルトスワフスキ:管弦楽作品集(ニュー・ミュージック管/ビヴァレツ)

LUTOSŁAWSKI, W.: Orchestral Music (New Music Orchestra, Bywalec)

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ルトスワフスキ:20のポーランド語クリスマスキャロル/ラクリモーサ/5つの歌(パシェチニク/ポーランド放送合唱団&交響楽団/ヴィト)

LUTOSLAWSKI, W.: 20 Polish Christmas Carols / Lacrimosa / 5 Songs (Polish Radio Choir, Polish National Radio Symphony, Wit)

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ルトスワフスキ:歌曲とキャロル集(ラジェイェフスカ/ルトコフスキ)

LUTOSŁAWSKI, W.: Songs and Carols (Radziejewska, Rutkowski)

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ルトスワフスキ:ピアノ作品全集(シモン)

LUTOSŁAWSKI, W.: Piano Music (Complete) (C. Simon)

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ルトスワフスキ/ヒダシュ/シュールホフ/シャウォフスキ/セーニ/ヴェレッシュ:室内楽作品集

Chamber Music (Eastern Europe) - LUTOSLAWSKI, W. / SCHULHOFF, E. / SZLOWSKI, A. (East Wind Trio d'Anches Looks East) (Burke, Barret, Burns)

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ノルドグレン:ペリマンニの肖像/エッレル:5つの小品/グリーグ:2つのノルウェーの旋律(オストロボスニア室内管/カンガス)

NORDGREN, P.H.: Pelimannimuotokuvia / ELLER, H.: 5 Pieces / GRIEG, E.: 2 Nordic Melodies (Folk into Classic) (Kangas)



ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)Ⅱ

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ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)

作風

作曲時期、特に「ヴェネチアの遊び」以前と以後で作風は大きく変わるが、音楽の持つエネルギーを完璧に制御する技術[1]を手中に収め、クライマックスを築く書法は生涯全体において共通する。

1950年代まで

「二つの練習曲」、「二台ピアノの為のパガニーニの主題による変奏曲」などは、彼の出発点とも言える新古典的様式を示しており、硬質の形状を伴った音楽作りはこのころから生涯を通じて変わっていない。当時はピアニストとしても活躍しており、「パガニーニ~」は自作自演で初演した。順風満帆に見えた創作は第二次世界大戦で中断せざるを得なくなり、捕虜として捕えられる。仲間の多くが亡くなる中、徒歩による数十キロの逃避行の後に帰還した。戦後はソビエトの衛星国となったポーランドの共産主義による規制でますます前衛的な曲を書くことが制限されたが、「小組曲」やクラリネットと管弦楽のための「ダンス・プレリュード」などのいくつかの喜遊曲的な小品を経て、この時期の集大成である「管弦楽のための協奏曲」が書かれた。

この時代のルトスワフスキはすでにポーランド国内でも評価が高く、デビュー直前のボグスワフ・シェッフェルはこの時期に世界で初めてルトスワフスキの論文を仕上げている。

1960年代から70年代末

「スターリンは死んだ。これからは私たちの時代だ」。ポーランドは東欧の共産主義諸国としては例外的にスターリンの死後前衛芸術への門戸を開き、ポーランド楽派や映画のポーランド派などがそれらの活動の前衛性で西側諸国にも注目された。

その中で前述の旧ソ連への挑発的なコメントを公的な場で発したルトスワフスキは、まず12音技法の修練の為に「葬送の為の音楽」を作曲する。ジョン・ケージの「ピアノとオーケストラの為のコンサート」を聴いた彼は、180度作曲観が変わったと述べたが、それでもシュトックハウゼン、ブレーズ、ケージらの前衛イディオムの単なる引き写しを行わず、自らが納得のゆく語法を1960年代中庸まで暖めつづけた。この自己語法は後年「12音和音」と「ad-lib動律」に帰結し、精度の高いオーケストラ音楽へ昇華した。これらの技法を自分で指揮できた事が、後年の評価へつながった。

「ヴェネツィアの遊び」で初めて採用し、以後「弦楽四重奏曲」、「交響曲第二番」、「チェロ協奏曲」で現れる「ad-lib動律」[2]とは、各パートが「それぞれのアゴーギクを保ちつつ」、「ほぼそのように」演奏される為に、指揮者は入りの瞬間だけをキューで示し、後の音楽の進行はそれぞれの奏者ごとに与えられる異なったテンポやフレーズ、繰り返しに任される。このことにより、各パートの旋律の様相がクリアに浮かび上がる利点を持つために、不確定性全盛の時代の中で最もクラシック音楽に近いポリフォニーを生成できた。ただし、このテクニックでは、セクションが終わるまで動律が止まらない為に、衝撃音か合図音で打ち切らなければ次に進めないなどのいくつかの問題点を生んでいた。しかし、1970年代以降の諸作品でも修正を行いながらこのテクニックは手放さなかった。このad-libセクションと、通常の小節線によるセクションを往復することを、初期には縄状形式、後に呼び方を改め「チェーン形式」と呼んだ。

「12音和音」は12音すべてを用いる和音を指すが、元々第一期から音数の多い和音を好んできた彼にとっては、この合音集合は都合が良かった。このテクニックも後年は特定の音程を強調するなど、調性化が避けられなくなった。

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ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲/チェロ協奏曲/パガニーニの主題による変奏曲(ダロク/オールソン/ヴロツワフ・フィル/カスプシク)

LUTOSŁAWSKI, W.: Opera Omnia, Vol. 6 - Piano Concerto / Cello Concerto / Paganini Variations (Daroch, Ohlsson, Wrocław Philharmonic, Kaspszyk)

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シマノフスキ:交響曲第2番/ルトスワフスキ:管弦楽のための書/葬送音楽(ポーランド国立放送響/リープライヒ)

SZYMANOWSKI, K.: Symphony No. 2 / LUTOSŁAWSKI, W.: Livre / Musique funèbre (Polish National Radio Symphony, Liebreich)

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C.P.E. バッハ/ルニエ/ラヴェル/トマジ/ルトスワフスキ/イベール/ルイエ:オーボエとハープのための作品(シーベルト/セルマン)

Oboe and Harp Music - BACH, C.P.E. / RENIE, H. / RAVEL, M. / TOMASI, H. / LUTOSLAWSKI, W. / IBERT, J. / LOEILLET, J. (Sieberth, Sellmann)

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ルトスワフスキ:管弦楽作品集(ポーランド国立放送管/ルトスワフスキ)

LUTOSLAWSKI, W.: Orchestral Music (Lutoslawski)

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シマノフスキ/ドビュッシー/クライスラー/チャイコフスキー:ヴァイオリンとピアノのための作品集(オルダック/ベイリー)

Violin and Piano Recital: Oldak, Maria / Baillieu, James - SZYMANOWSKI, K. / DEBUSSY, C. / KREISLER, F. / TCHAIKOVSKY, P.I. (Modern Times)

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ルトスワフスキ:歌の花と歌のお話/A. チャイコフスキー:7つのシェイクスピアのソネット(ズベル/アホネン)

LUTOSŁAWSKI, W.: Chantefleurs et Chantefables / TCHAIKOWSKY, A.: 7 Shakespeare Sonnets (Dream Lake) (Zubel, Ahonen)

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ルトスワフスキ:声楽作品集(ムジカ・ポルスカ 2)(クロウ/スペンス/パーヴェス/BBC響/ガードナー)

LUTOSLAWSKI, W.: Vocal Works (Muzyka polska, Vol. 2) (Crowe, Spence, Purver, BBC Symphony, Gardner)

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ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲/小組曲/交響曲第4番(北ドイツ放送響/ウルバンスキ)

LUTOSŁAWSKI, W.: Concerto for Orchestra / Little Suite / Symphony No. 4 (North German Radio Symphony, Urbański)

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ルトスワフスキ:序曲/葬送音楽/ヴェネツィアの遊び/パルティータ/間奏曲(シンフォニア・ヴァルソヴィア/ミフニェフスキ)

LUTOSLAWSKI, W.: Overture / Funeral Music / Jeux venitiens / Partita / Interlude (Sinfonia Varsovia, Michniewski)

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マコンキー:エピリオン/ヒンデミット:葬送音楽/パターソン:チェロ・コンチェルティーノ Op. 90 /コピィトマン:カディッシュ(ウォルフィッシュ/ボートン)

MACONCHY, E.: Epyllion / HINDEMITH, P.: Trauermusik / PATTERSON, P.: Cello Concerto, Op. 90 / KOPYTMAN, M.: Kaddish (Wallfisch)

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リンドホルム/ルトスワフスキ/サッリネン/ヌールハイム:現代コントラバス作品集(オクトフォニア)(ステュッフェ)

Double Bass Recital: Styffe, Dan - LIDHOLM, I. / LUTOSŁAWSKI, W. / SALLINEN, A. / NORDHEIM, A. (Octophonia)

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シャロネク/スモロンギェヴィチ/ルトスワフスキ/メイエル:チェロとピアノのためのポーランド作品集(ブホフスカ/チョルツェウスキ)

Cello and Piano Recital: Buchowska, Izabela / Tchorzewski, Jakub - SZALONEK, W. / SMORAGIEWICZ, B. / LUTOSŁAWSKI, W. / MEYER, K. (Polish Music)

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ルトスワフスキ:弦楽四重奏曲/ペンデレツキ:弦楽四重奏曲第3番/グレツキ:弦楽四重奏曲第1番(アポロン・ミューザゲート・クァルテット)

LUTOSŁAWSKI, W.: String Quartet / PENDERECKI, K.: String Quartet No. 3 / GÓRECKI, H.: String Quartet No. 1 (Multitude) (Apollon Musagète Quartet)

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ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲/交響曲第2番(ツィメルマン/ベルリン・フィル/ラトル)

LUTOSŁAWSKI, W.: Piano Concerto / Symphony No. 2 (Zimerman, Berlin Philharmonic, Rattle)

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ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲/織りこまれた言葉/交響曲第3番(ベルリン・フィル/ロンドン・シンフォニエッタ/ルトスワフスキ/ロヴィツキ)

LUTOSŁAWSKI, W.: Concerto for Orchestra / Paroles tissées / Symphony No. 3 (Berlin Philharmonic, London Sinfonietta, Lutosławski, Rowicki)

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子供のためのルトスワフスキ(カルチマレク/シュチェプ/アラ・ポラッカ合唱団/マルフヴィツカ)

LUTOSŁAWSKI, W.: Slomkowy lancuszek i inne dziecinne utwory / Wiosna (Lutosławski Dzieciom) (Kaczmarek, Szczep, Alla Polacca Choir, Marchwicka)

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ルトスワフスキ/ブヤルスキ/ヤブウォンスキ/タンスマン/メイエル:ポーランドのチェロ作品集

Cello Music - LUTOSŁAWSKI, W. / BUJARSKI, Z. / JABŁOŃSKI, H. / TANSMAN, A. / MEYER, K. (Polish Cello Music)

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ルトスワフスキ:交響曲第3番/交響的変奏曲/シロンスクの3章/小組曲(ズベル/ヴロツワフ・フィル/カスプシク)

LUTOSŁAWSKI, W.: Opera Omnia, Vol. 5 -Symphony No. 3 / Symphonic Variations / Silesian Triptych / Little Suite (Zubel, Wrocław Philharmonic, Kaspszyk)



ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)Ⅲ

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ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)

1980年代以後

60年代の作風により、国際的な名声はすでに決定的になったにもかかわらず、個人様式の深化を彼は常に考え続けた。1980年代は著名なクラシック演奏家からの委嘱が増えるにつれ、伝統的な作曲技法への傾斜がより顕著になり、通常の五線譜で作曲されるようになった。

「交響曲第三番」はショルティの指揮とシカゴ交響楽団で初演され、未だ現代音楽に疎かったアメリカの聴衆は大絶賛で迎えた。しかし、この曲は既にオクターブや三度音程に加えて4音ライトモティーフまで出現し、ほとんどクラシックにしか聞こえないという批判の声も見られた。新ロマン主義全盛であった当時は、彼ですらもこの流行に順応する結果を招いたが、管弦楽法の冴えが衰えることはなく、かつ前衛イディオムは表層に現れないために人気は上がりつづけた。

クリスティアン・ツィマーマンの完璧な演奏マナーに支えられた「ピアノ協奏曲」や「交響曲第四番」も同路線で作曲されている。1993年の「ロサンジェルス・フィルハーモニックのためのファンファーレ」(Fanfare for Los Angeles Philharmonic)でも、金管の同音連打がかつての彼の様式を偲ばせるが、楽譜は定量記譜の中に収まっている。

京都賞を受賞の際も車椅子の類は一切用いず、心身ともに充実している感を多くの人々に印象付けたものの、1994年に急に体調を崩して逝去。夫人もその数ヵ月後に後を追った。武満徹に向かって「トオル、メロディーについて考えているか?これからの作曲家も常にメロディーのことを考えなければならない[3]」と語ったように、旧来の音楽語法への深い理解は全時期を通じかわらなかった。

没後

生前はMUZAが主要作品をすべて録音していたが、録音と演奏の質に問題があり、NAXOSから新しいソリストとオーケストラを迎えて全主要作品の録音に成功し、高い評価を得ている。

ルトスワフスキ財団は現在も作曲家への援助を惜しまず、常にポーランドの若手作曲家への奨学金を提供しているほか、散発的に国際作曲賞を設けて新しい人材を輩出している。


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シマノフスキ/ラヴェル/イザイ/ルトスワフスキ:ヴァイオリン作品集(ヴァヴロウスキ)

Violin Recital: Wawrowski, Janusz - SZYMANOWSKI, K. / RAVEL, M. / YSA?E, E. / LUTOS?AWSKI, W. (Aurora)

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コープランド/ブラームス/フロスト/ルトスワフスキ/ピアソラ/ヒルボリ:クラリネット作品集(黒パイプのダンス)(フレスト)

Clarinet Recital: Frost, Martin - COPLAND, A. / BRAHMS, J. / FROST, G. / LUTOSLAWSKI, W. / PIAZZOLLA, A. / HILLBORG, A. (Dances to a Black Pipe)

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ルトスワフスキ:パルティータ/チェーンII/ピアノ協奏曲(ツィメルマン/ムター/BBC響/ルトスワフスキ)

LUTOS?AWSKI, W.: Partita / Chain II / Piano Concerto (Zimerman, Mutter, BBC Symphony, Lutos?awski)

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クラシカル・コレクション - エッセンシャル・モダン

CLASSICAL COLLECTION - The Essential Moderns (Benedetti, Tilbury, McCreesh, Bernas, Boulez, Cleobury)

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ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲/チェーンIII/ノヴェレッテ(ツィメルマン/BBC響/ルトスワフスキ)

LUTOS?AWSKI, W.: Piano Concerto / Chain III / Novelette (K. Zimerman, BBC Symphony, Lutos?awski)

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ラフマニノフ/ラヴェル/インファンテ/ルトスワフスキ/ミヨー:ピアノ・デュオ作品集(エーレン/タイ・ユーチ)

Piano Duo Recital: Ehlen, Timothy / Yu-Chi Tai - RACHMANINOV, S. / RAVEL, M. / INFANTE, M. / LUTOS?AWSKI, W. / MILHAUD, D. (Virtuosic Dance)

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ルトスワフスキ/ヤナーチェク/ミトロプーロス/バルトーク:ヴァイオリン作品集(ザンブルツィキ=パイネ)

Violin Recital: Zambrzycki-Payne, Rafal - LUTOS?AWSKI, W. / JANA?EK, L. / MITROPOULOS, A. / BARTOK, B. (XX/XXI)

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シマノフスキ/ショパン/エキエル/マラフスキ/ルトスワフスキ/キシエレフスキ:ポーランドのピアノ作品集(チャイコフスキ)

Piano Recital: Czajkowski, Stella - SZYMANOWSKI, K. / CHOPIN, F. / EKIER, J. / MALAWSKI, A. / LUTOSLAWSKI, W. / KISIELEWSKI, S. (Polish Piano Music)

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ルトスワフスキ/フーバー/ベールマン/デメッツ:クラリネット作品集(ゴルサー)

Clarinet Recital: Golser, Peter - LUTOS?AWSKI, W. / HUBER, M.F.P. / BAERMANN, H.J. / DEMETZ, E. (Veitstanze)

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セロツキ/キシエレフスキ/ペンデレツキ/バウエル:20世紀ポーランドのクラリネット音楽(バルシュチ)

Clarinet Recital: Barszcz, Mariusz - KISIELEWSKI, S. / LUTOS?AWSKI, W. / BAUER, J. / ?WIDER. J. (Music for Clarinet by 20th-Century Polish Composers)

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シーグル/クラーク/ラファエル/ルトスワフスキ:ヴィオラとチェロのための作品集(アドラー/ルーゲ)

Viola and Cello Recital: Adler, Julia Rebekka / Ruge, Thomas - SIEGL, O. / CLARKE, R. / RAPHAEL, G. / LUTOSLAWSKI, W. (Keepsake of Modern Age)

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ルトスワフスキ/ハース/エルトマン/マスグレイヴ/クルークハルト:オーボエ作品集(ヒル)

Oboe Recital: Hill, Mark - LUTOS?AWSKI, W. / HAAS, P. / ERDMANN, D. / MUSGRAVE, T. / KLUGHARDT, A.F.M. (Sad Steps)

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プログ/アーノルド/ルトスワフスキ/クレスポ:金管五重奏曲集(ファンタジー)(フィーリング・ブラス・クィンテット)

Brass Quintets - PLOG, A. / ARNOLD, M. / LUTOS?AWSKI, W. / CRESPO, E. (Fantasy) (Feeling Brass Quintet)

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フォーレ/ウィリアムズ/イベール/ルトスワフスキ/アルベニス/マイヤーズ:ギター作品集(ヘッブ/スヴィット)

Guitar Recital: Hebb, Bernard / Svit, Finn - FAURE, G. / WILLIAMS, L. / IBERT, J. / LUTOSLAWSKI, W. / ALBENIZ, I. / MYERS, S. (Guitar Impressions)

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ピアソラ/トゥリーナ/ルトスワフスキ/モレーノ:ギター四重奏曲集(ギターズ・ア・クワトロ)

Guitar Quartets - PIAZZOLLA, A. / TURINA, J. / LUTOSLAWSKI, W. / MORENO, T.F. (Four for Tango) (Guitars A Quattro)

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ザジツキ/ノスコフスキ/リピンスキ/ドロヅィゼヴスキ/グレツキ:ポーランドのヴァイオリン作品集(アウグスティン)

Violin Recital: Augustyn, Kinga - ZARZYCKI, A. / NOSKOWSKI, Z. / LIPINSKI, K. / DROZDZEWSKI, P. / GORECKI, H. (Polish Violin Music)

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ルトスワフスキ:ピアノ・ソロ作品集(ブリエル)

LUTOS?AWSKI, W.: Piano Solo Music (Briel)

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Polska ~ポーランドの歌

Choral Music - SZYMANOWSKI, K. / PENDERECKI, K. / GORECKI, H. / LUTOS?AWSKI, W. (Polska) (South West German Radio Vocal Ensemble, M. Creed)



ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)Ⅳ

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ルトスワフスキ - ヴィトルト・ルトスワフスキ (Witold Lutosławski)

エピソード

ヨシフ・スターリン没後ほどなくして、ソ連政府の一切の文化的抑制に対して屈しないことを公的に表明した。ポーランドがいち早く現代音楽を擁護し、ほかのソ連の衛星国は後れをとった。
国際現代音楽祭で自作品が演奏されていた松平頼則に向かって、「この作品をどうしてコンクールに出さない?公募枠では余りにもったいない。出せば間違いなく優勝[4]」と激励した。ちなみにその作品は「右舞」であり、その後ローマ国際作曲コンクールで優勝した作品が「左舞」である。この経緯は松平のFONTEC作品集のライナーノーツに詳細に経緯が書かれている。
国際的な名声を表彰して、後年ヴィトルト・ルトスワフスキ国際作曲コンクール、ヴィトルト・ルトスワフスキ国際チェロコンクール、ヴィトルト・ルトスワフスキ国際指揮コンクールが開催されることとなった。そのコンクール本選会の際に、「作曲家の質は学歴ではなく、作品で選ばれるべきです[5]」と江村哲二へ向かって述べた。
現役の指揮者であったこともあり、フィテルベルク国際指揮コンクール、ルトスワフスキ国際指揮コンクールは、最終審査で必ず彼の作品を選択できる。

主要作品





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PHILOMELA: In Dreams

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ルトスワフスキ:声楽作品集(ズベル)

LUTOSLAWSKI, W.: Vocal Music (el Derwid: Blots on the Sun) (Zubel)

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チルコット/ファルチンキェヴィチ/ボルコウスキ/マルタン:合唱作品集(祈り)(ムジカ・サクラ(ワルシャワ=プラハ大聖堂合唱団)

Choral Concert: Musica Sacra Warsaw-Praga Cathedral Choir - CHILCOTT, B. / FARCINKIEWICZ, L. / BORKOWSKI, M. / MARTIN, F. (Prayer)

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JAKUBCZAK, Ludmila: Tylko raz

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ポーランドのクリスマスの歌 - さあ、私たちとおいで(リョードベリ/エークベリ)

CHRISTMAS MUSIC FROM POLAND - Kom, folj med oss! (Rydberg, Ekberg)

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ルトスワフスキ:パルティータ/チェーンII/ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調(ムター/BBC響/フィルハーモニア管/ザッハー/ルトスワフスキ)

LUTOS?AWSKI, W.: Partita / Chain II / STRAVINSKY, I.: Violin Concerto in D Major (Mutter, BBC Symphony, Philharmonia Orchestra, Sacher, Lutos?awski)

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デュティユー:チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」/ルトスワフスキ:チェロ協奏曲(ロストロポーヴィチ/ボド/ルトスワフスキ)

DUTILLEUX, H.: Tout un monde lointain … / LUTOSLAWSKI, W.: Cello Concerto (Rostropovich, Baudo, Lutoslawski)

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リゲティ:ルーマニア協奏曲/フサ:プラハのための音楽1968/ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲(ロサンゼルス・フィル/サロネン)

LIGETI, G.: Romanian Concerto / HUSA, K.: Music for Prague 1968 / LUTOS?AWSKI, W.: Concerto for Orchestra (Los Angeles Philharmonic, Salonen)

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ベスト・オブ・ルトスワフスキ

LUTOSLAWSKI (THE BEST OF)

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ルトスワフスキ/ウルバンナー/ベリオ:弦楽四重奏曲集(アルバン・ベルク四重奏団)

LUTOSLAWSKI, W. / URBANNER, E. / BERIO, L.: String Quartets (Alban Berg Quartet)

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ルトスワフスキ:室内楽作品集

LUTOS?AWSKI, W.: Opera Omnia, Vol. 1 - Chamber Music (Lutos?awski Quartet)

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MODERNE KLASSIKER - ピアノ

MODERNE KLASSIKER - Klavier

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マルタ・アルゲリッチ - ヴェルビエ音楽祭2007年ライヴ(Carte Blanche)

ARGERICH, Martha: Carte Blanche

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アンッシ・カルットゥネン - 20世紀の無伴奏チェロ作品集

KARTTUNEN, Anssi: 20th Century Solo Cello

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ヒンデミット/クシェネク/ダッラピッコラ/リゲティ/ヘンツェ/イベール/ルトスワフスキ:チェロ作品集(ベッチャー)

Cello Recital: Boettcher, Wolfgang - HINDEMITH, P. / KRENEK, E. / DALLAPICCOLA, L. / LIGETI, G. / HENZE, H.W. / IBERT, J. / LUTOSLAWSKI, W.

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ロストロポーヴィチ記念コンサート - 2007年チェロ・フェスティヴァル・ライヴ録音

Cello Music (In Remembrance of Mstislav Rostropovich - Live Recordings from the Cello Festival 2007)

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ポーランドのクリスマス抒情歌曲集

POLISH LYRICAL SONGS FOR CHRISTMAS



ストライキ前夜[チャンサンコ・メ/韓国/1990]Night Before a Strike [Chansanco Me / KOREA / 1990]

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ストライキ前夜[チャンサンコ・メ/韓国/1990]Night Before a Strike [Chansanco Me / KOREA / 1990]


ストライキ前夜
題名
英題
ハングル ストライキ前夜
Night Before Strike
파업전야
製作年 1990
時間 105
製作 チャンサンコンメ
監督 イ・ウンギ
イ・ジェグ
チャン・ドンホン
チャン・ユニョン
出演 カン・ヌンウォン
コ・ドンオプ
キム・ドンボム
パク・チョンチョル
パク・ホンギュ
シン・ジョンテ
オム・ギョンファン
ワン・テオン
イ・ドッシン
イ・ヨンベ
日本版
Video
DVD なし

 16mm。独立映画集団チャンサンコンメの作品。製作はイ・ヨンベとイ・ウン。シナリオはコン・スチャンとキム・ウンチェ。共同監督の内チャン・ドンホンが代表演出を担当している。チャンサンコンメの前作『五月-夢の国』と同様、数多くの大学の映画研究部や独立映画集団が製作に参加している。

 劣悪な労働環境に対し、組合を作って立ち上がる労働者を描く。韓国での上映当時には警官隊が介入しフィルムが押収され、観客の負傷事件も起きたという問題作。

 1990年にソウル・釜山など全国11都市で一斉に公開されたが、煽動性を問題視した当局によって、フィルム・機材の押収、観客への暴行・不法連行、鑑賞した労働者への辞職強要、鑑賞した軍人への保安隊異動などの事件が引き起こされた。これに対し、チャンサンコンメなど18団体は「『ストライキ前夜』弾圧粉砕のための共闘委員会」を結成し、最終的には30万以上の観客を動員。しかし、政府もまた、製作・上映関係者を緊急検挙するなど少しも退かなかった。検察はチャンサンコンメ代表のイ・ヨンベらを映画法と公演法の違反で非拘束起訴。同様の政治闘争は翌年イ・サンイン監督の『お母さん、あなたの息子』(製作:映画製作所青年)でも行われた。




イ・ウン
名前
漢字
ハングル イ・ウン
李恩
이은
性別 男
監督作品
1998 陽が西から昇ったら

 新進気鋭の製作会社ミョン・フィルムの代表兼映画監督。現在では、映画人会議やスクリーン・クォーター制死守運動でも活躍しており、非常任映画振興委員会委員も勤める。

【プロフィール】

1961年、生まれ。
1989年、中央大大学院映画学科修了。
1987年から独立映画演出及びプロデューサーとして活動。
主要製作作品:『ストライキ前夜』、『閉じられた校門を開けて』
主要演出作品:『工場のあかり』、『五月-夢の国』
1995年8月、ミョン・フィルム創立

【ミョン企画 企画作品】
 『君の中のブルー』、『その女、その男』

【ミョン企画 広報企画作品】
 『君の中のブルー』、『結婚物語』、『セサン・パクロ 外の世界へ』、『ゲームの法則』、『ネオンの中へ陽が沈む』、『ドクター・ポン』、『ガンマン』、『ヘア・ドレッサー』

【ミョン・フィルム 製作作品】
 『コルセット』、『接続』、『クワイエット・ファミリー』、『陽が西から昇ったら』、『ハッピーエンド』、魚と寝る女『JSA』、『ワイキキ・ブラザース』、『バス、停留場』、『フー・アー・ユー?』、『爆烈野球団!』、『嫉妬は我が力』、『浮気な家族』、『秘密-Desire-』

『魚と寝る女』

 1961年、ソウル生まれ。1989年に中央大学演劇映画科を、1990年に同大学院映画学科修士課程を修了し、BAとMFAを持つ。

 大学は「映画」ではなく「演劇」で入学。加えて、入学後はサークル活動に興じていたが、兵役に就いていたさなか「時代と良心のために生きるべきだ」と決心。軍隊にいるときに見た『馬鹿宣言』に衝撃を受けたのがきっかけで、復学後、1985年から大学で映画のワークショップを始める。短編映画『工場のあかり』を製作したのがきっかけで、チャン・ドンホン、チャン・ユニョンらと知り合い、光州事件を描いたインディペンデント映画『五月-夢の国』を共同製作する。そして、この作品が完成した1988年冬に、映画活動を続けていくため、「映画を通じて現実を変える」ことを目的に独立映画集団チャンサンコンメを結成。1990年には労働運動を描いた『ストライキ前夜』を製作する。

 『ストライキ前夜』の成功後、イ・ウンは韓国映画界のメイン・ストリームとの交流を促進しようとしたが、チャンサンコンメの他のメンバーからは反対意見が続出。遅々として進まぬチャンサンコンメの活動に見切りをつけたイ・ウンは脱退して、チャン・ユニョン、オ・チャンファンらとチャンイオ・プロダクションを設立する。そして、1994年にミョン企画のシム・ジェミョンと結婚。1995年にミョン・フィルムを創立し商業映画界に進出する。

 1996年にミョン・フィルム創立作品として『コルセット』を発表。翌1997年には『接続』を大ヒットさせて製作会社としての基盤を確立し、以後、『クワイエット・ファミリー』、『陽が西から昇ったら』、『ハッピーエンド』などの話題作・秀作を作り続ける。

 1998年には、韓国映画で初めてプロ野球審判という職業をラブストーリーを通して描いた『陽が西から昇ったら』で商業映画監督としてデビュー。ちなみに、イ・ウンは、野球狂の若いシナリオ作家キム・ヒョンソクが書いた『陽が西から昇ったら』の草稿を読んだ瞬間、男性主人公のキャラクターに魅了され、当初は製作者としてシナリオ修正作業などを進めていたが、時間が経つに連れ自らメガホンを取る決心をするに至ったという。

 2000年には、ヴェネチア国際映画祭コンペ部門に進出した『魚と寝る女』、そして記録的な大ヒットとなった を製作。『JSA』は、1998年12月に原作小説『DMZ』を読んだイ・ウンが「誰かが映画化すべき内容」と判断し、妻のシム・ジェミョンに相談したのがきっかけで製作がスタート。翌1999年1月にはパク・チャヌクを監督に決定し、シナリオの完成にほぼ1年を費やしたという。



 ミョン・フィルムは、2001年に、インターネットなどの新しいメディアを対象とした映画社 dnding.com と、海外合弁事業・海外セールス専門の会社 E Pictures(代表は釜山国際映画祭のフリーマーケット「釜山プロモーション・プラン」設立の立役者であるポール・イ)の二つの子会社を設立。また、100億ウォン・クラスの映像専門投資組合を結成したり、CJエンターテインメントと持ち株を交換して関係を強化するなど、事業の多角化に乗り出している。

 また同年には、妻のシム・ジェミョンと共に、アメリカの週刊誌『バラエティー』で「注目すべき10人のプロデューサー」にアジアから唯一選出された。

 ミョン・フィルムは現在、製作実務を総括するイ・ウン、シナリオ選定とマーケティングを担当するシム・ジェミョン、シム・ジェミョンの妹でマーケティングと製作全般に関与するシム・ボギョンの三人によって支えられている。なお、シム・ジェミョンは専門性を重視して現実的な判断をする一方で、イ・ウンは長期的な視野にたって理想を追求するタイプとか。

 他の有力製作会社が大作に偏りがちなのに対し、ミョン・フィルムは『魚と寝る女』、『ワイキキ・ブラザース』といった作家性のある小品の製作も積極的に手がけているのが特長。

初版:1998/12
最新版:2002/3/11




2020年東京五輪、ナオミ・クラインから警告 ~「ナオミ・クライン 火事場泥棒の資本主義を検証 “ショックドクトリン”応用編」

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2020年東京五輪、ナオミ・クラインから警告 ~「ナオミ・クライン 火事場泥棒の資本主義を検証 “ショックドクトリン”応用編」https://onaironaironair.wordpress.com/2013/08/19/%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%92%ef%bc%90%e5%b9%b4%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e4%ba%94%e8%bc%aa%e3%80%81%e3%83%8a%e3%82%aa%e3%83%9f%e3%83%bb%e3%82%af%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%8b%e3%82%89%e8%ad%a6%e5%91%8a/… 「「国家戦略特区」に東京を速やかに指定し、今後3年から4年をめどに、医療や教育、それに都市計画などの分野で大胆な規制緩和を進める」っていう、この、「など」として言われていない所に注目!@wordpressdotcomさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月6日

スウェーデンで1日6時間労働がスタンダードになろうとしている、その理由とは? http://irorio.jp/daikohkai/20161004/354967/… @IRORIO_JPさんから
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マーフィー ‏@nagahirogolf 10月6日

日本の問題って、100%ほぼ行政にあるわけ。百歩譲って、アメリカからの圧力が想定以上だとしても、陰謀論うんたらは、現実逃避以外の何物でもないよね。
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山口和朗 ‏@mitosya 10月3日

新潟に新しいリーダーを誕生させる会
米山隆一新潟県知事候補へ支援の輪を広げよう!!
10月1日
元報道ステーションコメンテーター 古賀茂明氏(元経産省官僚)応援演説 動画&書き起こし~東京電力の原発です。これを動かすか、動かさないか。http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58639/64292755
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山口和朗 ‏@mitosya 10月2日

東日本大震災直前に現われた不思議な熱のリング ~日本の地震、津波はHAARPにつながる可能性があるとするNASAの新しい研究ポイントhttp://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1129.html
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山口和朗 ‏@mitosya 10月2日

恐怖!!全国で導入続々!!”スマートメーター”で「不眠」「頭痛」「めまい」「耳鳴り」「吐き気」1000分の1秒のマイクロ波を、平均で1日に9600回、
公認された安全な電磁放射線密度よりも2・5倍高い」世界では反対運動!!
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山口和朗 ‏@mitosya 10月2日

ウェブ版『世界のヒバクシャ』は、1989年5月から翌年5月まで1年間、中国新聞に掲載された134回にわたる記事や特集記事を基に、1992年に講談社インターナショナルから出版されたものである。http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?post_type=exposure
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山口和朗 ‏@mitosya 10月2日

ラドンを毎日数万Bq吸入する日本の首相と、ラジウム水を毎日7万Bq飲んで4年で死んだ米国富豪 http://onodekita.sblo.jp/article/69200814.html
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山口和朗 ‏@mitosya 10月2日

1397.大口病院事件を別の角度から切り込んでみる http://onodekita.sblo.jp/article/177099816.html
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山口和朗 ‏@mitosya 10月2日

『人工地震の原理はこうなんですね。意外と簡単なんですね。』四川大地震の原因は三峡ダム?――「人為的に地震を起こす方法」5つ

「人為的な地震」は頻繁に起こっており、半分は鉱物や原油などの採掘によるもの
http://ameblo.jp/don1110/entry-12205596683.html… #アメブロ @ameba
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山口和朗 ‏@mitosya 9月30日

CTを受けると150日、寿命が縮む。丹羽博士の研究による放射線被爆のメカニズムとは・・癌の治療をしながら新しい癌をさらに作っているとは、全く恐ろしい落とし穴なのです。
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山口和朗 ‏@mitosya 9月30日

『がんの3分の1は、CTスキャンが原因』35歳から54歳までの男女で調査(米国での研究結果)CTを受けると150日、寿命が縮む。

丹羽博士の研究による放射線被爆のメカニズムとは・・ http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/54a647c498224601e71520a38b5fc076… @neko_aiiさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月29日

『セブンイレブンの食品は”一切”買ってはいけない!!狂牛病になる!!狂牛病になぜなるかというと、食べたものが脳幹を通るときに脳幹で拒絶されます。
それが1/1,000、1/10,000で拒絶せずに通過すると言われています

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フォローしています 子安宣邦さん、鶴田静さんと千々岩英一さん。

子安宣邦
@Nobukuni_Koyasu

思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都の市民講座で毎月、…

鶴田静
@soloshika

エッセイストとして本を出版し、新聞・雑誌に寄稿。農村に住み、太陽光発電、井戸・雨水利用、コンポストトイレなどエコライフ実践。…

山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

Later years of Leonard Fujita レオナール・フジタの晩年 https://youtu.be/3OOBt_kt8ho @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

【NET TV ニュース.報道】朝堂院大覚 アート放談 戦争画への熱狂と現実 藤田嗣治2016/09/26 https://youtu.be/xTajP28iBQk @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

小池都知事が「カジノ推進」を就任早々打ち上げた理由 山田厚史の「世界かわら版」(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/418.html
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

豊洲問題について【NET TV ニュース.報道】朝堂院大覚 東京都政会議 2016/09/27 https://youtu.be/sPNVHDdxMB4 @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

米大統領選討論会【NET TV ニュース.報道】朝堂院大覚 アメリカ大統領選挙 2016/09/27 https://youtu.be/EddB_mhAMHk @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

内部告発!(元アメリカ国家安全保障局) 『311大震災はアメリカとイスラエルの裏権力が核兵器を使った!』福島原発>人工地震&津波_地震兵器はいつでも使える https://youtu.be/qMBO0pFJWAI @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

気象 地震兵器、ニュースにならない世界の大ニュース https://youtu.be/iDGg84MH-88 @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月28日

『重要 米国は福島事故放射能を人類存亡にかかわる事態と警告』原田 武夫 氏(元外務省・外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表)安倍 晋三 総理大臣への公開書簡
http://amba.to/1QhJUg0 #アメブロ @ameba_officialさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月23日

NHKサイエンスZERO がん幹細胞 ~がん幹細胞の弱点発見!日本の研究者がすっごい攻略法を見つけだしたんです!<2013年>https://youtu.be/lequupRyXSI @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月23日

〔サイエンスZERO〕夢の化学工場 “放線菌”〔Science Zero〕 https://youtu.be/FQEaaxPbdzg @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月23日

〔サイエンスZERO〕ウイルスでがん消滅! がん治療最前線〔Science Zero〕 https://youtu.be/E3Wuyz6bS-4 @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月23日

小林麻央さんの乳がんも治せるか!?がんの新しい治療法を日本人が発見!世界中が注目|光免疫療法|小林久隆、米国国立がん研究所(NCI)ブログ,ステ... https://youtu.be/zSs4AoG6sRo @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月23日

赤外線を使って「がん」を治療する方法が見つかった https://youtu.be/UqV43sz0his @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 9月23日

がん光治療の実験 1カ所のがんを治療すれば、遠くに転移したがんも消える効果を確認 ~がん細胞を免疫の攻撃から守っている仕組みを壊し、がんを治す動物実験に成功したhttps://youtu.be/QLaYrkUmdaY @YouTubeさんから
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あなたがリツイート
首都圏反原発連合 ‏@MCANjp 9月23日

徐々に増えていく参加者
#金曜官邸前抗議





ルドルフ大公 - ルドルフ大公 (Rudolph, Erzherzog von Österreich)

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ルドルフ大公 - ルドルフ大公 (Rudolph, Erzherzog von Österreich)

ルドルフ・ヨハネス・ヨーゼフ・ライナー・フォン・エスターライヒ(ドイツ語: Rudolf Johannes Joseph Rainer, Erzherzog von Österreich, 1788年1月8日 ピサ - 1831年7月24日 バーデン・バイ・ウィーン)は、神聖ローマ皇帝レオポルト2世の末子。1819年にオロモウツ大司教と枢機卿に選出された。一般的にはルドルフ(ルードルフ)大公の呼び名で、ベートーヴェンのパトロンおよび弟子として知られている。

1803年もしくは1804年にベートーヴェンにピアノと作曲を師事した。その後2人は意気投合し、ルドルフ大公はベートーヴェンの庇護者を務める。1824年まで2人の交友は続いた。

ベートーヴェンに保護者として年金を送りつづけた貴族は他に2人いたが、最後まで絶やさなかったのはルドルフ大公のみであり、作曲家の大作・重要作を多く献呈されている。献呈された作品は、有名な《大公トリオ》や《告別ソナタ》だけでなく、《ミサ・ソレムニス》を含めて合計14曲に上る。ルドルフも見返りに自作をベートーヴェンに献呈している。ベートーヴェンのルドルフ大公宛ての私信は、現在ウィーン楽友協会に保管されている。

ルドルフ大公は生来虚弱で、激務に耐えることができなかった。1831年に早世すると、ウィーンの皇室地下霊廟に葬られた。心臓はオロモウツ大聖堂に眠っている。

音楽作品

ルドルフの音楽作品は、1980年代から再評価が始まり、クラリネット奏者のディーター・クレッカーやヴァイオリニストのヨゼフ・スークによって録音・演奏されるようになった。その作品は控えめでおおむね保守的であり、創意に欠けるきらいがある。しかし晩年の《七重奏曲ホ短調》は野心的な作品の一つといってよく、抒情的な性格においてロッシーニやウェーバー、シューベルトなど、初期ロマン派音楽とのつながりの中に位置付けることが出来る。

その他の主要作品

ヴァイオリンとピアノのための《プロイセン王子ルイ・フェルディナントの主題による変奏曲 ヘ長調》
クラリネットとピアノのための《ロッシーニの主題による変奏曲》
バセットホルンとピアノのための《民謡「わが馬よ Ja mam Konè」の主題による変奏曲》
ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調
クラリネット・ソナタ イ長調 作品2
クラリネットとヴィオラ、ファゴット、ギターのための《セレナーデ》変ホ長調
クラリネットとチェロ、ピアノのための三重奏曲 変ホ長調


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ディアベリのワルツによる50の変奏曲(バルサム)

50 Variations on a Waltz by Diabelli (1824) (Balsam)

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ルドルフ大公:クラリネットとピアノのための作品集(マギスロレッリ/ブラッコ)

RUDOLPH (ARCHDUKE OF AUSTRIA): Clarinet and Piano Music (Magistrelli, Bracco)

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ベートーヴェン:三重奏曲 変ロ長調「街の歌」 Op. 11/ルドルフ:クラリネット、チェロとピアノのための三重奏曲(ナッシュ・アンサンブル)

BEETHOVEN, L. van: Trio in B-Flat Major, Op. 11, "Gassenhauer" / RUDOLPH (ARCHDUKE): Trio for Clarinet, Cello and Piano (Nash Ensemble)




ルニエ - アンリエット・ルニエ (Henriette Renié)

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ルニエ - アンリエット・ルニエ (Henriette Renié;)

アンリエット・ルニエ(Henriette Renié, 1875年 - 1956年)はフランスのハープ奏者・作曲家。敬虔で禁欲的な信仰心のうちに、清貧に甘んじて過ごしたが、女性の社会進出がまだ受け入れられなかった時代にあって、自立し成功した女性芸術家の先駆者となった。独自のハープ指導法を確立した名教師としても知られ、著名な門弟にカルロス・サルセードやマルセル・グランジャニー、ハーポ・マルクス、スーザン・マクドナルドらがいる。

生涯

家族

父ジャン=エミール・ルニエは、テオドール・ルソー門下の画家の卵であったが、家業の建築業を継がなかったために勘当され、オペラ座の舞台俳優として生計を立てていた。だが、遠縁の娘ガブリエル・ムシェと結婚し、妻が妊娠すると役者を引退した。

きょうだいは兄が4人おり、上の3人はやんちゃであった。ルニエは兄たちと遊んでいて、鼻を骨折したことがある。一方、ルニエは四男フランソワになつき、片時も離れようとしなかった。長じてからも両親と親密な関係にあり、父親が他界するとルニエが母親を経済的に支援した。また、難聴のために希望が持てずにいた兄フランソワとも、生涯を通じて親しい関係を続けている。

経歴

5歳になる前にピアノの手ほどきを受けていたが、5歳のときにアルフォンス・アッセルマンを主役にした演奏会を見かけて、「あの人に先生になってもらうんだ」と言い出す。だが8歳になるまでハープに触ることはできなかった。セバスチャン・エラールの音楽教室でアッセルマンに師事。1885年にパリ音楽院に入学し、10歳のときハープ演奏で次席となる(審査団が首席に選ぼうとしたのに対して、院長が妥当でないとしたためだという)。だが11歳で首席になった。

モデルケースとして異例の措置が取られ、当時14歳以下に履修が許されていなかった和声法と作曲の講義への出席が許可される。テオドール・デュボワやアンブロワーズ・トマ、ジュール・マスネらから作曲するように激励されたが、自作の《アンダンテ・レリジオーソ》を教師たちに見せるまで、6週間もこれを隠し続けていた。ルニエは女性は家にとどまるものとの発想に慣れきっていて、人目を集めることは気乗りがしなかったのである(また昔気質から、監督者なしで一人で出歩くことも決してしなかった)。

12歳で音楽院を修了すると、フランス中で演奏し、パリの随所で弟子をとった。ルニエは早くから教師としての片鱗を示し、兄の友人にハープの手ほどきをしており、音楽院の優等生として評判が立つと、パリの至る所から、自分よりも倍以上の年齢の入門者が集まった。

15歳で最初のリサイタルをパリで開くが、両親がアッセルマンの名をオーケストラの指揮者としてプログラムに印刷することを失念したばかりに、この旧師と不和を起こしてしまう。結局ルニエは、アッセルマンを宥めるために、身銭を切ってプログラムを刷り直したが、その後もアッセルマンとの一触即発の関係は続いた。アッセルマンはルニエに、音楽家志望の学生を回そうとせず、花嫁就業のためにハープの手ほどきを求めるような、身分の高い女性ばかりを送って寄越した。ルニエは、真剣な入門者が来ると、極秘で指導に当たらなければならなかった。時が経つにつれて、アッセルマンはルニエの演奏会に指揮者を紹介することさえ拒み、ルニエの未出版作品の一部を、断りなく自分の授業に流用した。それでもルニエは、アッセルマンに誠意を示し続けた。

1901年に、音楽院在籍中に着手した《ハープ協奏曲 ハ長調》を脱稿させる。デュボワの助言を容れてカミーユ・シュヴィヤールに目を通してもらい、いくつかの演奏会で上演する運びとなるが、不幸なことに21歳のときからルニエは胃を弱らせており、病身に鞭打って演奏活動を続けたにもかかわらず、とうとう1回、シュヴィヤールの指揮するコンセール・ラムルー管弦楽団とのコンサートを延期する破目になった。それでも、自作の協奏曲の上演によって、ルニエはヴィルトゥオーソとしても作曲家としても名を上げ、しかもハープを独奏楽器とするのに一役買い、他の作曲家によってハープ曲が作曲されるようになった。

1903年には、もう一つの出世作《伝説曲 Légende 》を、ルコント・ド・リールの『妖精たち Les Elfes 』に基づき作曲する。同年に11歳のマルセル・グランジャニーをパリ音楽院に送り込むが、アッセルマンはグランジャニー少年の入学を一蹴した。翌年に少年は入学許可を得たものの、実技試験に参加することを許されなかった。13歳で初めて実技試験に参加して、首席に輝いている。グランジャニーは、ミルドレッド・ディリングとともに、後にルニエ・メソッドを米国に導入することになる。

1912年になって、アッセルマンと和解する。体がいうことを利かないので音楽院では教鞭がとれぬ、自分の地位を引き継いでもらいたいとアッセルマンに要望されたのである。だが当時、パリ音楽院の器楽科上級クラスに女性教授はいなかった。しかも政府の指図で、パリ音楽院は教育省にその任命の承認を仰がなければならなかった。結局ルニエは信仰があだとなって採用されず、マルセル・トゥルニエが後任教授に選ばれた。偶然とはいえ、アッセルマンはルニエの落選を告げられた日の晩に亡くなっている。

その後ルニエは、エコール・ノルマル音楽院からの就任要請を断わって、1914年にルニエ・ハープコンクールを主催した。サルセードやグランジャニー、ピエルネやラヴェルといった錚々たる顔触れを審査員に迎え、覇者にはかなりの賞金が授与された。

第一次世界大戦中は、ハープ指導によって生計を立てつつ、パリから90キロの距離で戦闘が続き、市内にディッケ・ベルタの砲火が炸裂する中ですら、ほとんど夜毎のように慈善演奏会を行なって困窮する芸術家に匿名で至急送金した。戦後は、トスカニーニよりハープ奏者として契約するように要請されるが、母親の健康の衰えを理由に話を断わっている。1922年にレジオンドヌール勲章の受章者に推薦されるが、宗教的信条を理由に又もや受章拒否した。

ルニエは、ラジオ放送に出演し、1926年にはコロムビア・レーベルならびにオデオン・レーベルにて録音活動を行う。ルニエのレコードは3ヶ月で売り切れとなり、なかでも《小さな妖精たちの踊り Danses des Lutins 》の音源はプリ・デュ・ディスク賞を獲得するも、スタジオ録音にルニエは憔悴し、二度と録音の契約を更新しようとはしなかった。1927年には日記の中で、過労で疲労困憊している旨をこぼし始める。病気のために演奏会を延期したりキャンセルしたりせざるを得ず、苦痛や不安を覚えるようになったのである。

第二次世界大戦中は、出版社の要望に応じて、『ハープ奏法』の執筆に取り掛かり、その完成に傾注した。この著書は、ルニエの教授法の重要性を物語っており、グランジャニーやディリング、マクドナルドら主要なハープ奏者によって教材に採用された。フランスの休戦協定が結ばれると、入門者がルニエの許に舞い込んでは、世界中の音楽学校に向かって教師として散らばって行った。

坐骨神経痛や神経炎に加えて、冬には気管支炎や肺炎の長患いや消化器の感染症により、危うく死に掛かったものの、大量の鎮痛剤を服用しながら指導を続けた。

トゥルニエがパリ音楽院での35年間の教師生活から身を退くと、ルニエは後任教授に就任するよう要請されたが、トゥルニエよりも自分が年長だからという口実で、なぜかその申し出を断わっている。だがついにレジオンドヌール勲章は受章した。その翌年に《伝説曲》を含む演奏会を開き、「この曲を弾くのもこれきりになるでしょう」と述べた。それから数ヵ月後の1956年3月に天寿を全うした。

人柄

10代のときに家族でノルマンディーのエトレタで避暑を過ごすようになるまで、ルニエは同世代の若者と交わることがなかった。いつも働き詰めだったので、友人といえばアッセルマンの娘だけで、しかも彼女も自分の弟子の一人であった。兄の友人たちから想いを寄せられてはいたものの、自分の芸術や音楽活動を犠牲にしてまで、男性と暮らすことなどできないと心に決めていた。アンリ・ラボーからの求婚も撥ね付けている。後にシュヴィヤール夫妻、とりわけ半盲の声楽家シュヴィヤール夫人と親交を重ね、精神的に啓発された。

兄たちが名誉のために軍隊に進んだため、ルニエは兄たちを経済的に支援せざるを得ず、馬の購入代金を立て替えている。それだけでなく、自分のハープを揃えるにも、自腹を切らなければならなかった。経済的に苦しかったにもかかわらず、弟子たちに楽器を見立ててやるのに手数料をせしめようとはせず、時には無料で指導することもあった。

ルニエは、フランス第三共和政が政教分離を模索する中、金色の十字架をしつこく身に着け、自分の教会支持を露わにした。このため、フランス政府より共和制の敵として睨まれた。自分の信念をきっぱり貫く性分であり、友人や弟子たちが恐れる中、ドイツのプロパガンダのポスターを破り捨てるという面もあった。

ルニエとハープ

ルニエは、セバスチャン・エラールのダブルアクション・ペダル・ハープの普及に批判的で、楽器職人のギュスターヴ・リヨンに、ペダルについて手離しで不平不満をもらした。これがきっかけでクロマティック・ハープが発明されることになったが、皮肉にもルニエがブリュッセル万博でエラールのハープを実演したことから、クロマティック・ハープはダブルアクション・ハープに席捲される結果を招いた。

エラールの後継者サルヴィは、「ルニエ型」ハープを開発しており、フランス学士院は、ルニエ・ハープ音楽作曲賞を制定した。

音源

Me playing the harp (Henriette Renie - Esquisse)
Henriette Renie - Legende (Harp / Xavier de Maistre)
Sivan Magen - Renie's Balade Fantastique - 1 of 2
Sivan Magen - Renie Balade Fantastique - Part 2
Angelica Vianna plays "Contemplation" by Renié
Harp-Recuillement by Henriette Renié - Floraleda Sacchi
Henriette Renié - Angelus, Air - Floraleda Sacchi (harp)
Angelus - Henriette Renié



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C.P.E. バッハ/ルニエ/ラヴェル/トマジ/ルトスワフスキ/イベール/ルイエ:オーボエとハープのための作品(シーベルト/セルマン)

Oboe and Harp Music - BACH, C.P.E. / RENIE, H. / RAVEL, M. / TOMASI, H. / LUTOSLAWSKI, W. / IBERT, J. / LOEILLET, J. (Sieberth, Sellmann)

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サルセード/ブッキ/ゴドフロワ/ホリガー:ハープ作品集(サッキ)

Harp Recital: Sacchi, Floraleda - SALZEDO, C. / BUCCHI, V. / GODEFROID, F. / HOLLIGER, H.

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C.P.E. バッハ/ブラームス/ワルターキューネ/モーツァルト/ルニエ:ハープ作品集(マゲン)

Harp Recital: Magen, Sivan - BACH, C.P.E. / BRAHMS, J. / WALTER-KÜHNE, E. / MOZART, W.A. / RENIE, H. (Fantasien)

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J.S. バッハ/モルターリ/グランジャニー/アンドレ/ルニエ/ムチェデロフ:ハープ作品集(ザーク)

Harp Recital: Zak, Melinda - BACH, J.S. / MORTARI, V. / GRANDJANY, M. / ANDRÉS, B. / RENIÉ, H. / MCHEDELOV, M. (Enchanted Hour)

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ハープのためのフランス音楽集(マクドナルド)

FRENCH MUSIC FOR HARP

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J.S. バッハ/ラモー/ドビュッシー/トゥルニエ/フンパーディンク:ハープ作品集(ミューラー)

Harp Recital: Müller, Nicole - BACH, J.S. / RAMEAU, J.-P. / DEBUSSY, C. / SATIE, E. / TOURNIER, M. / HUMPERDINCK, E. (Rêves et danses)

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サティ/ドビュッシー/スメタナ/リスト/フロトホイス/トゥルニエ/ルニエ/アルベニス:ハープ作品集(ミロ)

Harp Recital: Milot, Valérie - SATIE, E. / DEBUSSY, C. / SMETANA, B. / LISZT, F. / FLOTHIUS, M. / TOURNIER, M. / RENIÉ, H. / ALBÉNIZ, A. (Aquarelles)

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ルニエ/デュボワ/ピエルネ/サン=サーンス:ハープ協奏曲集(セイソン/アヴィニョン=プロヴァンス地方管/ジャン)

RENIÉ, H. / DUBOIS, T. / PIERNE, G. / SAINT-SAËNS, C.: Harp Concertos (Belle Epoque) (Ceysson, Orchestra Regional Avignon Provence, Jean)

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ホリー/グランジャニー/バックス/トゥルニエ/デュセック/フレイドリン/ジョンゲン:ハープ作品集(エスポスティ)

Harp Recital: Esposti Emanuela Degli - HOLY, A. / GRANDJANY, M. / BAX, A. / TOURNIER, M. / DUSSEK, S. / FREIDLIN, J. / JONGEN, J.

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フォーレ/アルベニス/ルニエ/シューマッカー/クーツィール/ヘンデル/ドゥダ:声楽作品集(トリオ・ユーフォニー)

Vocal Recital: Trio Euphony - FAURÉ, G. / ALBÉNIZ, I. / REINE, H. / SCHUMACKER, F. / KOETSIER, J. / HANDEL, G. / DUDA, G. (Music for a While)

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グラナドス/ルニエ/ハチャトゥリアン/ドビュッシー:ハープ作品集(ガストー)

Harp Recital: Gastaud, Emilie - GRANADOS, E. / RENIE, H. / KHACHATURIAN, A.I. / DEBUSSY, C. (Dansons avec les Cordes)

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ゴドフロワ/ビュッセル/グランジャニー/ルーセル/トゥルニエ:ハープ作品集(レオナルデッリ)

Harp Recital: Leonardelli, Caroline - GODEFROID, F. / BUSSER, H. / GRANDJANY, M. / ROUSSEL, A. / TOURNIER, M. (Impressions de France)

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メディテーションズ・フォー・オール・シーズンズ

MEDITATIONS FOR ALL SEASONS

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ドビュッシー:ハープ編曲集(ラングラメ/クヴァント/リニケル/ベルリン・フィルハーモニー弦楽ゾリステン)

DEBUSSY, C.: Harp Arrangements (Langlamet, Quandt, Riniker, Berlin Philharmonic String Soloists)

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J.S. バッハ/ヘンデル/グランジャニー/キルヒホーフ/ルイエ:ハープ作品集(セルマン)

Harp Recital: Sellmann, Volker - BACH, J.S. / HANDEL, G.F. / GRANDJANY, M. / KIRCHHOFF, G. / LOEILLET, J.-B. / CHARPENTIER, L. / PESCETTI, G.B.

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MCGUIRE, Marshall: Musical Banquet (A) - A Feast of Sumptuous Harp Music

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バルトーク/リスト/ハチャトゥリアン/プロコフィエフ/ラヴェル:ハープ編曲集(メストレ)

Harp Arrangements - BARTÓK, B. / LISZT, F. / KHACHATURIAN, A.I. / PROKOFIEV, S. / RAVEL, M. (Famous Classics)

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ハープ独奏のための音楽(ハイネン)

MUSIC FOR SOLO HARP



私たちの子供たち[韓国/1990]Our Children [KOREA / 1990]

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私たちの子供たち[韓国/1990]Our Children [KOREA / 1990]


撮影:宮田浩史

ビョン・ヨンジュ(Byun Young-joo)
性別 女

監督作品

1993 アジアで女性として生きるということ



1998 忘れられた匠人 ヤン・ジュナム監督


2000 地域映画史-全州

2002 密愛

 韓国で最も有名なドキュメンタリー作家。女性による映画製作運動にも取り組んでおり、関連講演会やトークに参加するため何度も来日している。2002年には長編商業劇映画の監督としてもデビュー。

 1966年12月20日、ソウル生まれ。梨花女子大学法学科を卒業し、中央大学大学院映画学科修士課程を修了する。学生時代に劇映画『X』(1988年,8mm)を製作。独立映画集団チャンサンコンメを経由し、1988年に結成された韓国初の女性だけによる映画集団バリトに参加。ソウルの託児所問題を取り上げたドキュメンタリー『私たちの子供たち』(1990年,ビデオ)で撮影と編集を、職場での女性差別をテーマにした劇映画『花の名前(原題:小さな草にも名前がある(1990年,16mm))』でシナリオと撮影を担当する。また、バリトが製作にタッチし蔚山現代重工業の労働運動を描いた『戦列』(1991年,ビデオ)の撮影と編集にも参加している。その後、「青い映像」でアジア諸国の売春の実態を追うドキュメンタリー『アジアで女性として生きるということ』(1993年,ビデオ)を演出する。

 初期にビョン・ヨンジュが製作に関連した作品のうち、『私たちの子供たち』と『戦列』は山形国際ドキュメンタリー映画祭 '91で、『アジアで女性として生きるということ』は『アジアの女として』という題名で、山形国際ドキュメンタリー映画祭 '93で紹介されている。なお、彼女はドキュメンタリー映画製作に迷いを持っていた頃、日韓映画界の橋渡し的役割を果たしている青木謙介氏の「日本に行けば非常に重要なドキュメンタリー監督に会う事ができる」とのアドバイスで、1991年7月に小川紳介監督の事務所を訪問。小川監督からドキュメンタリー映画について助言を受け、その精神を受け継いでいる。彼女自身、「山形ドキュメンタリー映画祭と小川紳介との出会いが自分にとってもっとも重要だった」と発言しており、また、ドキュメンタリー作品を映画館で一般公開する土壌のなかった韓国で『ナヌムの家』シリーズを上映するノウハウは、日本での同作品の配給会社であるパンドラから学んだとも発言しており、日本とのつながりの深い作家であることが分かる。

 1993年6月に記録映画製作所ポイムを設立し、従軍慰安婦問題を取り扱った『ナヌムの家』の製作を開始。撮影に使った16mmなどの機材は小川紳介監督の小川プロダクションから無料レンタルして製作されたこの作品は、1995年に完成。第4回(1995)山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア百花繚乱」部門に招待され、前途有望なアジアの新人監督に与えられる小川紳介賞を受賞した他、世界各国の国際映画祭で上映され、世界中に大きな衝撃を与えた。また国内でも映画評論家協会賞で特別賞を受賞するなど高い評価を受けた。

 1997年には『ナヌムの家』の続編『ナヌムの家2』を製作し、1999年には『ナヌムの家』シリーズの完結編『息づかい』を完成させた。そして、『ナヌムの家』3部作で第20回(2000)映画評論家協会賞特別賞を受賞する。

 第2回(1998)富川国際ファンタスティック映画祭では、ドキュメンタリー『忘れられた匠人 ヤン・ジュナム監督』(1998年,ビデオ,映像資料院シリーズ)を、第1回(2000)全州国際映画祭では、全州地域の映画史に関するドキュメンタリー『地域映画史-全州』を製作。

 現在、記録映画製作所ポイム代表。なお、彼女の姓名は一般的には「ピョン・ヨンジュ」と表記するが、監督本人の要望で日本では「ビョン・ヨンジュ」と表記されているので、このサイトでもそれに従っている。

 キム・ドンウォン監督のドキュメンタリー『送還日記』では撮影監督のうちの一人をつとめた。


■ 『密愛』 ビョン・ヨンジュ監督インタビュー

 『密愛』のプロモーションで来日されたビョン・ヨンジュ監督のインタビューはこちら
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ビョン・ヨンジュ

これは、 韓国名 ; ファミリ名は ビョンです。
ビョン・ヨンジュ
うまれた 年12月20日(49歳)
韓国
教育 梨花女子大学 -法律
中央大学高度なイメージング科学、マルチメディアとフィルムの大学院
職業 映画監督
韓国語の名前
ハングル ? ? ?
ハンジャ 邊永?

ビョン・ヨンジュ (1966年12月20日生まれ)は韓国の 映画監督 。 彼女のフィルムはの課題探求女性の権利と人権を 。

キャリア

ビョン・ヨンジュから法律の学位で卒業梨花女子大学との演劇や映画の部門で彼女の大学院の研究をした中央大学校 。
彼女は女性の創設メンバーであるフェミニストフィルム集団 1989年に設立された「Bariteo、「 [1]彼女はとして働いていたカメラマン 少しでもグラスに持っているショートフィルムについて、 自身の名前 (1989年キム・ソヨン)男女職場での差別、そして私の子供 (ドウ・ソンヒ、1990)、貧しい地域における保育に関するドキュメンタリー映画は。 [2] (1993)は、 アジアにいる彼女の最初のドキュメンタリー女性は 、特にアジアでのセックス貿易を中心とセックス観光の済州島 。 [3]
ビョンは最良」の現在と過去の生活文書化する彼女の三部作のために知られて慰安婦に拉致と強制された「 性的隷属で日本軍によって第二次世界大戦を 。 ビョンの努力は、日本政府から正式な謝罪と補償のための女性の要求に重要なプッシュを貸しています。 同時に、フィルムは、その美しさと感情的な電力のための賞賛を集めている。 [4]
つぶやき (1995年)と題するこのシリーズの最初の映画は、韓国の歴史の中で最も絶賛されたドキュメンタリー、国の劇場リリースを受信するためにその種の最初の一つとなっています。 ビョンは彼女が最初に慰安婦のグループに連絡し、彼女はそれらを撮影できたかどうかを尋ねられたとき、彼らはきっぱりと拒否したと述べています。 それが唯一の監督が彼らの信頼と映画を作るための許可を得たことは1年のためにそれらと一緒に生活した後でした。 この最初のドキュメンタリーは、女性が日本大使館で彼らの毎週の抗議をリードし、それらの中に植え、思いやり、公共によって強化された恥の感覚を克服するために戦って描いている。 [4]
習慣的な悲しみ (1997)ビョンがと診断されたグループメンバーの最後の日撮影することを求めた女性の要求に応じて開始された癌を 。 この映画の中で女性が最終的には抗議と癒しの両方の手段として、映画という媒体を利用するために、カメラの後ろに自分自身を移動し、自信を得て見られています。 マイ・オウン呼吸 (1999)最終章では、新しい文字が、14歳の時にサービスに強制的に撮影された女性を導入します。 悲痛強制売春のアカウントなどのように、その若者の残骸後の年を生き残るこれらの女性のユーモアと個性を明らかに彼らの存在、ピョン撮影細部に着目して、することができます。 このようにしてドキュメンタリーは悲劇的な抽象化としてよりもはるかに犯罪を参照し、その代わりに、それはこれらの女性の生活に与えた影響を目撃するために観客をリードしています。 [4]
彼女の対象として: ヤンチュ・ナム (1998年) のドキュメンタリーで、ビョンはディレクター/エディター( 死の子守唄 、 母の愛 スウィートドリーム)を選択しました。 ヤンは、1960年代後半まで、1930年代後半に韓国映画で活躍していたが、それ以来鎖国に住んでいた。 [5]
彼女の長編映画デビューのために、ビョンはによって「マイ・ライフ内で一度だけ来る特別な日"韓国小説適応チョンキョンRINをエロドラマに情熱女性の以前disenchanting生活上の事件の再活性化の効果については、(2002) 。 [6] [7]
以下のように女性の生活の複雑で複数の肖像画を構築するために前近代と現代韓国の両方での発現と存在のフェミニンなモードを扱う南部の女性、韓国 (キム・ソヨン、2001)、、:彼女はその後、ドキュメンタリー古武道を生産しましたdiasporic、または「古武道」:外国人の土地の一時的な生活-男の土地に住んでいる女性[8]ビョンもの一つとしてクレジットされた撮影監督のドキュメンタリーのための本国送還 ( キム・ドンウォン北朝鮮の2を次の、2004)、政治犯とその10年に及ぶ闘争は、彼らのリリース後に家に戻ります。
彼女年生機能の努力フライングボーイズ (2004)は成人のも下層階級や性的マイノリティの闘争を描いたロマンス。 ビョンは、彼らはフォームの基本を把握することができるように、彼女の若い俳優たちがバレエクラスの約2ヶ月を撮ってもらった。 [7] [9]
10×10の一部として委託、10周年プロジェクトソウル国際女性映画祭 、彼女のドキュメンタリー短編映画 20世紀を覚えておくワイズウェイ (2008年)の著作に瞑想であるパークワン・ソとの彼女の遺産20世紀、現在の世代の映画監督や他の女性アーティストとしてビョンに特にその影響。 [10]
彼女の最も最近のフィルム無力 (2012)は日本の小説に基づいている彼女は価値があったすべてのことで宮部みゆき突然彼女の結婚式の前にわずか数週間で消え、だけでなく、民間ローンなどの現代的な問題について話した若い女性の周りに旋回します、破産と信用格付け。 [11]ビョンは2012で最優秀監督を受賞百想芸術大賞映画韓国賞にと女性、および販売240万のチケットで、 無力は彼女の最大の興行は、まだヒットした。 [12]

フィルモグラフィー

無力な(2012)
20世紀を覚えてワイズウェイ ( ドキュメンタリー ショート 、2008)
僕らのバレエ教室 (2004)
情熱 (2002)
マイ・オウン呼吸 ( ドキュメンタリー 、1999)
ヤンチュ-NAMのドキュメンタリー ( ドキュメンタリー 、1998)
習慣的な悲しみ ( ドキュメンタリー 、1997)
つぶやき ( ドキュメンタリー 、1995)
アジアにいる女性 ( ドキュメンタリー 、1993)



映画韓国アワード2012女性:今年の女性映画監督( 無力 ) [13] [14]
2012百想芸術大賞 :最優秀監督( 無力 ) [15]
2009年日本が軍事性奴隷のために起草女性のための韓国語協議会 : 金学順の賞
1999 釜山国際映画祭 :Woonpa基金( マイ・オウン呼吸 )
1998台湾国際ドキュメンタリー映画祭:優秀賞( 習慣悲しみ )
1996年の韓国映画批評家協会:映画批評家特別賞( つぶやき )
1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭 : 小川紳介賞( つぶやき )


外部リンク

つぶやき ( ドキュメンタリー 、1995)














・ヨンジュビョン

監督 | ライター | 撮影監督
・ヨンジュビョンは監督と作家、のために知られているMitsuai (2002)、 ホア-CHA (2012)とバレエgyoseubso (2004)。


監督

(2002)
Hoa-cha
ホア茶
ディレクター

(2012年)
Ballet gyoseubso
gyoseubsoバレエ

(2004)
Sumgyeol - Najeun moksori 3
Sumgyeol - Najeun moksori 3

(1999)

フィルモグラフィー

監督

(7クレジット)

2012ホア茶
200810周年記念プロジェクトテンテン (ドキュメンタリー)(セグメント「ワイズ・ウェイは、20世紀を覚えておきたいです」)
2004バレエgyoseubso
2002Mitsuai
1999Sumgyeol - Najeun moksori 3 (ドキュメンタリー)
1997Najeun moksori 2 (ドキュメンタリー)

1995Najeun moksori(ドキュメンタリー)

(3クレジット)

2012ホア茶
2004バレエgyoseubso
2002Mitsuai

撮影監督 (1クレジット)
1999Sumgyeol - Najeun moksori 3 (ドキュメンタリー)

プロデューサー (1クレジット)
2001古武道:南部の女性、韓国 (ドキュメンタリー)(アソシエイトプロデューサー)

セルフ (1クレジット)
2008城西カントクniのカンパイ! (ドキュメンタリー)
彼女自身



Filmography


Hide HideDirector (7 credits)

2012 Hoa-cha

2008 The 10th Anniversary Project Ten Ten (Documentary) (segment "The Wise Way to Remember the 20th Century")

2004 Ballet gyoseubso

2002 Mitsuai

1999 Sumgyeol - Najeun moksori 3 (Documentary)

1997 Najeun moksori 2 (Documentary)

1995 Najeun moksori (Documentary)

Hide HideWriter (3 credits)

2004 Ballet gyoseubso

2002 Mitsuai

Hide HideCinematographer (1 credit)

1999 Sumgyeol - Najeun moksori 3 (Documentary)

Hide HideProducer (1 credit)

2001 Southern Women, South Korea (Documentary) (associate producer)

Hide HideSelf (1 credit)




オハイオの荒れ果てた倉庫で、箱に入った大量のヒラリー票を電気技師が見つけてしまった。

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オハイオの荒れ果てた倉庫で、箱に入った大量のヒラリー票を電気技師が見つけてしまった。 つまり、開票時に上乗せする目的の偽票ということでしょうか?https://richardkoshimizu.wordpress.com/2016/10/24/%e3%82%aa%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%82%aa%e3%81%ae%e8%8d%92%e3%82%8c%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%9f%e5%80%89%e5%ba%ab%e3%81%a7%e3%80%81%e7%ae%b1%e3%81%ab%e5%85%a5%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%a4%a7%e9%87%8f%e3%81%ae/… @wordpressdotcomさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月26日

『資産家と政治家は完全に癒着している。そういう政治家を100戦練磨にしているのが不正選挙です。』開票立会人をしました。最後票を見るのに疲れはてた頃に、米山票100票の束が三村票の表紙をつけて回ってきました。中を確認すると米山票

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山口和朗 ‏@mitosya 10月26日

タイムカプセルべしゃり号 高樹沙耶 インタビュー 元女優・高樹沙耶の衝撃インタビュー
いま満を持して自分の人生や世の中の「真実」を語り尽くす!https://youtu.be/mswlvrQq5QU @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月26日

9条を発案したのはGHQではなく、幣原元首相だと証言するマッカーサーの書簡 - 大摩邇(おおまに) http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2009473.html
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山口和朗 ‏@mitosya 10月26日

NHK:トランプ氏「投票日に向け大規模な不正行為が行われている」 米大統領選ではジョージ・ソロスが支配するメーカーの電子投票機を大量使用 既にハッキング済みの可能性も - 大摩邇(おおまに) http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2009963.html
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山口和朗 ‏@mitosya 10月26日

『国家非常事態:人類の歴史上の大転換点が2週間後に集約される可能性大:ベンジャミン・f』
http://amba.to/2dHiBfb #アメブロ @ameba_officialさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月25日

TPPの法案はなぜ今回の国会で通さなければならないのか? ISD ) 条項で日本国終わり❗日本の主権放棄永久的独立が無くなるISD 条項は日本国内法律より憲法より上に来る条約批准したら終わり❗【NET TV 2016/10/21
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山口和朗 ‏@mitosya 10月24日

牛乳のカルシウムは歯と骨に逆効果?4つの科学的根拠http://haisya.ts-remy.com/body/immune/milk/
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山口和朗 ‏@mitosya 10月24日

『ウィキリークスのディレクターでアサジンの親友が死亡:毒殺された:情報を提供していた』
http://amba.to/2dQtq1N #アメブロ @ameba_officialさんから
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赤城修司 ‏@akagishuji 10月9日

「然るに、今病的である者こそは、
現實を知ってゐるやうに私には思える。」
中原中也全詩集<上> 未完詩篇機崔μ咾僚」より 講談社文芸文庫
「普通がいい」という病 泉谷閑示 講談社現代新書 p19
20161008福島市
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赤城修司 ‏@akagishuji 10月9日

20161008福島市
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山口和朗 ‏@mitosya 10月24日

人間が起こした地震~東電福島原発の事故でこれから怖れなければならないのは誘発地震?http://shima3.fc2web.com/sekou9701damzisin.htm
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山口和朗 ‏@mitosya 10月21日

総工費400億円!新たなる汚染源が福島県飯舘村で建設・稼動していた - @jisinjp
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山口和朗 ‏@mitosya 10月21日

日本のスーパーで売られているチリ産の鮭を地元の人が食べない理由 http://www.huffingtonpost.jp/konomi-kikuchi/salmon-from-chile_b_10162068.html… @HuffPostJapanさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月20日

仲間が集うと実にいい笑顔、表情になります。~アメリカ大統領選挙。クリントン、トランプお仲間同士最後の直接対決 http://sayuflatmound.com/?p=27052
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山口和朗 ‏@mitosya 10月19日

タイタニック沈没の裏 | 新・世界の裏~なぜか英国と米国は、きちんとした調査もせず、沈没から90年以上経過した後に、タイタニック号保護法を2004年に制定しました。なぜならタイタニック沈没事故は実際は保険金詐欺事件だからです。
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山口和朗 ‏@mitosya 10月19日

映画『太陽の蓋』スピンオフ第1話 報道の行方 https://youtu.be/9v5DyFqF9oQ @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月19日

第10回 反戦・反貧困・反差別共同行動 in 京都 変えよう!日本と世界 ―講演 北上田毅氏、中嶌哲演氏 川口真由美氏・おもちゃ楽団http://iwj.co.jp/wj/open/archives/339206… @iwakamiyasumiさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月17日

2017年の月面探査ミッションに続き、アメリカは再び「月面に人類」を送ろうしているけれど、結局は「人間は物理的な宇宙空間には行ってはいけない」ものなのでは・・・と思わせる問題が次々と発覚 http://indeep.jp/from-apollo-mission-to-moon-express-and-mysterious-syndrome/
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山口和朗 ‏@mitosya 10月17日

地球を取りまくヴァン・アレン帯の謎に迫れ!探査衛星エルグ JAXAが公開 | ハザードラボ http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/7/17059.html… #hazardlab @hazardlabさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月17日

バン・アレン帯を超える宇宙旅行は時期尚早か?(NASAの調査より) http://kivitasu.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/nasa-c015.html
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山口和朗 ‏@mitosya 10月17日

14 (1):関東地方の甲状腺がん罹患数 |栃木県在住の男性が2014年に甲状腺がん全摘手術「『甲状腺がん』にセシウムの汚染が影響している可能性」 http://noimmediatedanger.net/contents/551
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山口和朗 ‏@mitosya 10月17日

月の子供たち(Moon Children)呉乙峰(ウー・イフォン)/台湾/1991]Wu Yii-feng / TAIWAN - 個人誌 『未踏』全ページ - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/40264944.html… #ブログ #映画祭 #ドキュメンタリー映画
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山口和朗 ‏@mitosya 10月16日

配信中! IWJ 新潟CH1 → http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=niigata1… #IWJ_NIIGATA1 @iwakamiyasumiさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月13日

流浪北京:最後の夢想家たち[呉文光(ウー・ウェンガン)/中国/1990] - 個人誌 『未踏』全ページ - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/40260492.html… #ブログ #映画祭 #ドキュメンタリー映画
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山口和朗 ‏@mitosya 10月12日

『ナチブッシュ陣営:もうすぐ法廷へいくか!:9・11事件を裁く!:北朝鮮のトップが、、』
http://amba.to/2dbtWDK #アメブロ @ameba_officialさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月11日

DEAR・PYONGYANG~日本で生まれ育ったコリアン2世の映像作家ヤン・ヨンヒが10年の歳月を費やし、朝鮮総連の活動に人生を捧げた両親、北朝鮮に帰国した兄たちを記録した感動ドキュメンタリー。 https://youtu.be/x_79tbib3UY @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月11日

ニコ生トークセッション「愚民社会」大塚英志×宮台真司 日本は愚民社会だというのがこの動画のテーマであり、現在の私はこの意見に賛同する。私は現在、大学院生で開発学を勉強しているのであるが、講義の退屈さや学生のレベルの低さにははっきり言っ
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山口和朗 ‏@mitosya 10月11日

誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗
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フォローしています 松本麗華さん、米山 隆一さん、大塚英志botさんと他2 人

松本麗華
@asaharasanjo

著述家、カウンセラー 文教大学 臨床心理学科卒。オウム真理教の元教祖・麻原彰晃の三女。オウム真理…

米山 隆一
認証済みアカウント
@RyuichiYoneyama

新潟県知事。福島第一原発事故原因の徹底的検証、福島第一原発事故が健康と生活に与えた影響の徹底的…

山口和朗 ‏@mitosya 10月10日

『政治家ほど汚れた人種はおらず、汚職塗れであり国民の税金を使い放題、金がなくなれば紙幣を擦りまくる』
http://amba.to/2dMlVrm #アメブロ @ameba_officialさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月10日

『アメリカのハリケーンは気象潜水艦がFM周波数を送り空気を上昇させて作り出していることが発覚!』
http://ameblo.jp/don1110/entry-12208166127.html… #アメブロ @ameba_officialさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月9日

白昼強盗で海外に流れる金 六本木TSKビルを競売、国民年金の運用による損害【NET TV ニュース.報道】 https://youtu.be/lfb_uK6xo5U @YouTubeさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月9日

【えっ?】国連が核兵器禁止条約に向けた報告書を採択!日本は棄権!オバマの広島訪問って・・
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山口和朗 ‏@mitosya 10月9日

【無残】安倍総理がNYでオバマ大統領に会ってもらえなかったことが判明!演説も聴衆ガラガラ
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名もなき投資家
♥٩(ˊᗜˋ*)و ‏@value_investors 2015年10月2日

【国連総会での演説模様】

ローマ法王、オバマ大統領、プーチン大統領、安倍晋三総理大臣
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川上芳明 ‏@Only1Yori 2015年9月30日

ガラガラの国連で演説中の安倍首相(笑)
こんな光景は滅多に見られませんよ(;´д`)(笑)
前代未聞♪
写真はロイターです。
0件の返信 1,604件のリツイート 422 いいね
山口和朗 ‏@mitosya 10月8日

2016/09/21 「藤田祐幸さんは生き続けている」 反原発の物理学者で、元慶應大助教の藤田祐幸さんを偲ぶ会に広瀬隆氏、小出裕章氏らが参加――今、語られる藤田祐幸氏の「生き様」 http://iwj.co.jp/wj/member/archives/58842… @iwakamiyasumiさんから
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山口和朗 ‏@mitosya 10月8日

新潟県知事選 米山隆一候補 街頭演説(新潟駅万代口) ―応援弁士 共産党 志位和夫委員長、生活の党 小沢一郎代表、社民党 福島みずほ副党首、民進党 松野頼久衆院議員 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/336703… @iwakamiyasumiさんから




ルキノ・ヴィスコンティ「異邦人」(吹替え版)

レフ・シェストフ

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レフ・シェストフ

レフ・シェストフ(Lev Isaakovich Shestov,Лев Исаакович Шестов、1866年2月12日(ユリウス暦1月31日)- 1938年11月19日)はロシア系ユダヤ人の哲学者。本名はレフ・イサコヴィッチ・シュワルツマン(Шварцман)。日本語ではドイツ語名Leo Schestowの影響から「レオ・シェストフ」とも表記される。

生涯

キエフのユダヤ系商人の家に生まれ、モスクワの州立大学で数学と法律を学ぶ。学監との衝突のためキエフにもどり学術論文を完成するが、その革命的な傾向のために受理されず、法律の学位を取ることができなくなった(のちにベルリンで法律学を修める)。1898年から、ニコライ・ベルジャーエフ、セルゲイ・ディアギレフ、ディミートリ・メレジコフスキー、およびヴァシーリー・ローザノフなどの知識人のサークルに入り、その同人誌に寄稿しはじめた。

1908年にドイツのフライブルク、ついでコベットというスイスの小村に移住し、1910年までそこに滞在した。1915年にモスクワにもどるが、1919年のボルシェヴィキによる政権奪取の時期から、生活は困難となりフランスへと亡命することになった。1925年からソルボンヌ大学で哲学の講義を受け持ち、ブレーズ・パスカルとプロティノスの研究に打ちこむ。1926年にエトムント・フッサール、1929年にマルティン・ハイデッガーと知り合い、特にハイデッガーにはセーレン・キェルケゴールの重要性を教えられ、宗教と実存主義哲学へと目を開かせられる。1938年から重い病にかかりつつインド哲学の研究を進め、パリの診療所で亡くなる。

思想と影響

1898年に発表した『シェークスピアとその批評家ブランデス』は大胆な判断で注目を集め、1903年『ドストエフスキーとニーチェ(悲劇の哲学)』、1908年のチェーホフ論『虚無よりの創造』などの作家論・哲学者論で、真理は理性を越えると主張し、あらゆる合理主義に対立した。このような傾向は、ベルジャーエフがロシア的精神の特長として指摘した「ニヒリズム」、文化や文明の賜物を重視しない態度の延長であり、シェストフは実存主義に通じる「絶望の哲学」を展開した。この哲学は1890年代以降ロシアで高まった反写実主義の思潮に合致し、そのレトリックを駆使した名文も相まって、象徴派作家に愛好された。亡命後の著作は第一次大戦後のヨーロッパに「不安の哲学」として迎えられ、D・H・ロレンス、アルベール・カミュ、ジョルジュ・バタイユ、アイザイア・バーリン、バンジャマン・フォンダーヌなどにも大きな影響を与えた。

日本では1934年に刊行された『悲劇の哲学』が発端となり、満州事変以後の思想弾圧と社会不安にさらされた知識人の間に、一時的な激しい流行を見た。河上徹太郎が当時のシェストフの主な紹介者であり、文壇において「シェストフ的不安」という造語が生まれた。

その他の主著

邦訳は雄渾社「シェストフ選書」などにまとめられている。

『トルストイとニーチェの教義における善』(1900年)
『ドストエフスキーとトルストイ』(1923年)
『ゲッセマネの夜』(1923年)
『手かせをはめられたパルメニデス』(1930年)
『キルケゴールと実存哲学』(1936年)
『アテネとイェルサレム』(1937年)

レフ・シェストフ協会









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